水曜日の苦悩
ハナビシトモエ
水曜日の宝石
私は友達にお弁当を見られたくなくて、いつも水曜日の昼休みは教室から、いなくなる。
親が離婚、養育能力はお母さんにはなかった。自由奔放で私が生まれて十年も結婚生活が続いたのはもはや奇跡でしかない。
お父さんにはいつも食事を作ってもらって、尽くしてもらって、他の家に入り浸って、私に「いい女は他のところに家を持つの」と言って、ブランデーと睡眠薬を飲んでデロデロになって寝る。
お父さんはそんなお母さんを責めることはなく、ただ毛布をかけて、見守る。物心ついた時点でお父さんはお母さんに献身的でお母さんはのびのびして、十歳になった瞬間離婚した。
お母さんが家を出る最後の日、初めてお母さんが料理をするところを見た。
「こう見えても昔はホテルで働いていたのよ。明日のお弁当も作ってあげる」
そうお母さんは言って、いつもお父さんが作る料理よりも何倍も華やかな晩御飯を作ってくれた。
まるで宝石みたいな料理は当時から美化されているとは言え、お母さんが家事をしなかったギャップでより感動的に見えた。
味は覚えていない。味ではない。感情だ。嬉しかった。
次の日の朝、お母さんは「最後の子供孝行」と言って、危なげない手さばきでりんごの皮をむいて、ブロッコリーやウインナーを茹でて、笑顔で「可愛く出来た」と言って、作ってくれた。
中を見ようとしたら「幸せになれって魔法をかけたの。お昼までお母さんと早苗の秘密」と。
お昼に開けたお弁当はキャラ弁だった。一段目はオムレツの上は可愛く顔が書かれていた。二段目は三つのおにぎりだった。中に何が入っているのか楽しみで海苔のまかれていない塊を口にいれた。
中は無かった。三つともただ塩の味がするおむすび。魔法がかかっているって言ったのに何も入っていないというのは少しがっかりした。
オムレツもきっと今日家に帰ったら、離婚なんて冗談だよ。また豪華な夜ご飯作ってあげるからねと言ってくれるに違いない。
私は我慢強い。今日じゃなくて明日でも明々後日は嫌だけど、帰ってくるならちゃんとお掃除しなきゃ。きれいにしてお母さんが帰って来るのを待とう。
そう思って七年が過ぎた。家にお母さんがいた痕跡をお父さんはゆっくりと消していった。でも私の部屋には手を出さなかった。私は家の中のお母さんを自室に集めた。お母さんボックスにはお母さんがいっぱいいる。どれも酒に飲まれてズタボロのお母さんじゃない。遠出して、帰りに撮ったきれいな家族写真。
高校が遠方にあって、早起きしようと意気込んだ。続いたのは一年の夏まで、野球部の先輩にお弁当を作って持って行ったこともあった。自分の分は可愛くないお弁当で先輩のはちょっと可愛いお弁当。色々な女の子がお弁当戦線から退く中、私は最後の大会が始まるまで続いた。
教室から廊下に出ようとしたところで階段の方から先輩たちの声がした。
「うわー、弁当を作ってくれる後輩欲しい」
山寺先輩はお調子者でよくモテる。
「俺、彼女出来たから断ろうと思って」
「彼女にしていい?」
「お前、脳みそ猿か?」
身を隠して、ほんの数十センチ先を私には気づかず先輩は通り過ぎた。
次の日から、私のお昼はこれまで惨敗兵と同じく、学校前の売店でコーヒー牛乳とパンになった。でも売店は水曜日は休みだ。
惨敗兵のほとんどは頑張ってお弁当を作るか、自転車で十五分のファーストフード店でテイクアウトするかだった。前者はまだ女を捨てきれず、後者はポテトがへなへなと文句を垂れて臭いと言われる。
私は料理の才能がない。人参を調理出来ない。包丁で切ろうとしたら刺さったまま動かない。キュウリを切ろうとしたら何をどうしていいか分からずゴロリとしたいびつな塊が五個出来た。湯を沸かして何をどうするかも分からない。
そんな様を見てお父さんは水曜日だけお弁当を作ってくれる。
大きなお弁当箱に塩むすび三つと冷凍食品。頑張ってお弁当を作る胆力も無ければ、ファーストフード店でいじられる覚悟も無い。お高くとまってと思われたらいいが、こんな誰でも出来そうな男子のお弁当を教室で広げられるわけがない。
クラスの女の子は小さなお弁当に可愛いおかず。惨敗勢同士で仲良くなって友達が出来て、あの自分たちを袖にした先輩の悪いところや山寺先輩に言い寄られて最悪なんて話をして、げらげら笑って、おかずを交換する。
私のお弁当には交換するおかずは冷凍唐揚げしかない。女の子のおかず交換に唐揚げはやや荷が重い。
私は自分のお弁当が嫌いで、男の子みたいで、お父さんは何も分かっていないくて、水曜日はいつも怒って、センスのないお父さんのお弁当は嫌いって何回も言って、その度にお父さんはごめんなって悲しそうな顔で謝る。
後で言い過ぎたって思って、自己嫌悪に陥る水曜日が私は嫌いだ。
朝、忙しくて作る暇のないお弁当を私に気を遣ってゴム手袋で握る塩むすび。中には魔法や秘密が入っていない。もうお母さんは帰って来ないし、どこか遠くに逝ってしまったから、あの落胆した初めての塩むすびをお父さんは越えることが出来ない。
毎年、お母さんからのお年玉と言ってお父さんがくれたお金でお父さんのボロボロのお弁当箱を新調してあげよう。そして贅沢だと思うけど、お父さんに言うのだ。
「お母さんの小さなお弁当にお昼ご飯を入れて欲しい」と。
お父さんの事だから、きっと小さなお弁当箱にミチミチにおむすびが入ることだろう。お母さんボックスに遺していた小さなお弁当箱。お母さんの顔を見て、それくらいの文句はいいよねと言って私はお母さんボックスを棚の中に入れた。
水曜日の苦悩 ハナビシトモエ @sikasann
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