アイスブルーのリボンで天地縫ひとめて地球は人形《ドール》の眼球となる

近頃はどんどん歌の純度を上げてゆき、
私にとってはもはや「わからんが、凄い」の領域へさしかかっていた菫野さんだが、
今回の連作は私でも分かる歌が複数ある。

本来私は歌人としても評者としても菫野さんには及ばぬ身である。
それでもとにかく「分かりそうなところからチクチクと」言及していく戦略でどうにか新作ごとにレビューを付けてきた。

今回もその作戦でいこうと思う。


・「骨に火をかくしたひととフルートは似てゐる月のやうにはだかで」

たいてい菫野さんが「キャッチコピー」に選んだ歌は「力作」であるだけに手強く、言及を徹底して避けてきた私だが、
今回はこの「キャッチコピー作」を読む。

「骨に火をかくしたひと」にまず戸惑う。
最初私は「他人の骨に穴を開けて火を『かくすように』詰め込む職人みたいな人」をイメージした。
しかしどちらかというと
「我が骨の内に火をかくした人(熱いハートを持つ人)」という解釈の方が自然だと思う。

それと「フルート似てゐる」「月のやうにはだかで」だが、一気に難解さを増す。

とりあえず私は皆川博子氏が作品にしているのを読んで知った「骨笛」という物を中間に挟むことで、
「火をかくした」「骨」から「フルート」への跳躍に一応説明を付けようとする。

骨から笛へ、という発想はそこまでおかしなものではないのである。

そしてその笛が「フルート」という現代オーケストラでも使われる、
「骨笛」と比べて極めてリアルで現代的な楽器として提示されるから戸惑うのだ。

さて、次の謎は「月のやうにはだかで」である。
月は確かに裸だ。
特に満月の時は裸だろう。
意味合いとしてはわかる。
「月は裸」であり、
「骨に火をかくした人とフルート」は「月のように裸」なのだ。

なぜ「月」を持ってきたのかが問題だ。
「月」はいったい何の意味があるのか、ここはよくわからない。

分からない問題は、まあ……飛ばそう。

私の経験上、「分からない問題をドンドン飛ばし、分かる所から攻めていくうちに全貌が把握できるようになる」というのが解釈のいち戦略として通用するのである。

さて、細部を見た後に大部を見よう。

先程書いたように「骨に火をかくした人」は相当にアツイ人に違いない。

「ホネ」があるだとか、「気骨」があるだとかいうように、「骨」はその人の信念を意味する場合がある。

そして当然ながら見えない、肉体の奥にある。
肉体の奥深くに「かくし」ておくアツイ信念。それが「火」である。

その人は「はだか」だ。
この歌はいうなれば
「たった一人、アツイ人物が武器も持たず防具も持たずに闘志を密かに燃やし続ける」というような力強い宣言なのである。

では「骨」との関連こそ強いものの「フルート」自体の意味は何になるのだろうか。

「フルート」もまた「はだか」らしい。




ここで発想を転換しよう。
やっと気がついた。
この歌は「フルート」から導く歌なのだ。

「フルート」を見る。テカテカ光り、その形は細長い。
18金等でできたフルートもあるようだから「月」への連想も用意だ。
そもそも多数のボタンが丸く、月を思わせる。

この「フルート」を見ていると「骨」が連想された。形状から見ても、「骨笛」などのほかの道具から見ても自然な連想だ。

そしてその「骨」はきっ と、
「アツイ魂をかくし持った、そしてフルートと同じくはだかでその身を晒す人物」の「骨」に違いないという想像が働いた。
ここが歌人の跳躍力なのである。

そして「骨に火をかくした人」という「火」の力強い闘志のイメージでまとめあげた。

この「骨に火をかくした」闘志はかなり現実的なものだろう。
社会的重圧に耐えながらも己の思想を貫く人々はいくらでも現実に存在する。

また、「フルート」も実際に見たのではないかと思う。
月光の元で光る、金のフルート……というそのまんまだったかは謎だが、
「実物」と「闘志」の二つがあってこの歌が生まれたのではないか。


さて、「キャッチコピー」の歌がやっとある程度読めてきたところでもう一首挙げる。

・「アイスブルーのリボンで天地縫ひとめて地球は人形〈ルビ:ドール〉の眼球となる」

歌意はそのまんまだろう。
そのまんまで読めて、しかも美しい幻想だ。
「アイスブルーのリボン」を抜きにしても地球は水の星なのだからやはり「碧い眼」の人形になるのだろう。
さぞ美しい人形になることだろうと思う。

人形は不思議だ。
高原英理は『ゴシック・ハート』で「人形」を論じ、純粋性や無垢、客体性への憧憬が人を人形愛へ駆り立てるといったことを書いていたと記憶している(違ってたらすいません)。

世界が壊れても、地球が眼になっても、「人形」なら良い。
「人形」ならなぜだかその美と純粋性を信じることが出来る。