きれい好きな清掃員

水涸 木犀

独自

 あの辺りの清掃の仕事は、朝番、昼番、夜番の三つのシフトに分かれています。僕はその夜番でして、具体的にいうと夜の八時から深夜零時までの、四時間の勤務だったんです。


 仕事が終わるとほとんどのお店は閉まっていて、唯一コンビニの明かりだけがいやに目立って見えました。いつもそんな夜道を歩いて帰るのですが、ある日職場から駅まで向かう途中、気になるものを見つけたんです。いえ、仕事柄目に入ってしまった、といった方がいいかもしれません。

 それは、職場からまっすぐ歩いて、二本目の交差点を右に曲がったところにある、女性向け服飾ブランドのお店でした。当然日付が変わるくらいの時間にはお店は閉まっていて、ショーウィンドウも電気が消されています。でも、真っ暗というわけではないですから、女性の衣服を着せられたマネキンが並んでいるのは見えるのです。


 そこで、僕はそのショーウィンドウに、指紋がびっしりついているのを見つけました。ええ、びっしり、です。よく小さな子どもが、窓ガラスに頭と手をくっつけて中を見ている、ということがありますが、あの指紋はそういう風ではありませんでした。何度も何度も、ぺたぺたとガラスに手形を押したような感じでした。


 僕はきれい好きなんです。だからこそ清掃の仕事をきちんとしているわけですが、それを見てどうしても、指紋をきれいに拭き落とさなければならないと思ったのです。でもハンカチなんかで拭いたら汚いでしょう。だから、予備で持ち歩いている眼鏡拭きで、ショーウィンドウを軽くこすってみたんです。眼鏡拭きは、僕の職場で使っていたガラスクロスと近い材質ですから、指紋汚れ程度であれば水を付けなくても落ちるものなのです。ええ、今度試してみてください。


 しかし、指紋は落ちませんでした。少し試してみて、その理由はすぐにわかりました。指紋は外側ではなく、内側から付けられていたんです。つまり、あのお店の清掃担当者が、僕と違って大雑把だったんでしょうね。僕の目の高さに合うくらいの、大人だったらすぐに目につくところにびっしりついた指紋を拭きとらないなんて、ずいぶんとずさんなお店だなと思いました。


 指紋に気が付いてから、そのお店の前を通るときはいつも気にして見るようにしていました。何しろ僕はきれい好きですから、ほかの人がちょっとした汚れ、大したことのない汚れだというものに対してもよく気が付くんです。

 それで、職場に向かう時にはその指紋は付いていなくて、帰るときになるとそれがまた、びっしりと付いているということがわかりました。つまり、夜の八時前には指紋はなくて、零時過ぎになると付着しているということですね。


 それを見て、僕は怒りました。指紋の付き方を考えると、僕と同じ時間帯で清掃の仕事をしている人が、わざと指紋をつけているようにしか思えないからです。だってそうでしょう。店じまいをしたお店のショーウィンドウの内側から、指紋をべたべたつけるなんて、清掃スタッフくらいしかできないじゃないですか。

 たぶんあのお店では、夜の清掃の人がべたべたつけていった指紋を、朝の清掃の人が毎回ふき取っているんでしょうね。なんでそんなことをする人を雇い続けているのか、僕にはまったく理解できませんが。


 ええ、僕があのオフィスビルの清掃の仕事を辞めるまで、そこのお店の指紋が付いているのは見ていましたよ。今はもう、あの駅で降りることすらしなくなりましたから、どうなっているのかはわかりません。でも、真面目に働いていた僕でさえ辞めざるを得なくなったくらいですから、あそこのお店で指紋を付けていた清掃スタッフも、そろそろ辞めているんじゃないですか。

 僕はああいう人よりも、真面目で、きれい好きな人と一緒に働きたいと思っています。ええ、僕と同じようにね。

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きれい好きな清掃員 水涸 木犀 @yuno_05

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