2つの性別の間で悩みまくった話。

西奈 りゆ

「男/女」のあいだで。

♦前半:過去のお話


さて、どこから始めましょうか。


最近SNSのフォロワーさんが、世界の(日本で言えば)異性装の歴史や、公の文化についてツイートされていて、お話を聞いているうちにいろいろ思うところがあったので、半分メモ書き代わりに書いています。


筆者の、特に思春期から20代終わりまでの生きづらさの中で、ウェイトを占めているものの一つに「性」の悩みがありました。

姉妹版の「素人男子のメイク奇譚。」に詳細は譲りますが、中学生のときに女の子用のゴスロリ衣装を知って、「なんてキレイな!」「え、これオレ着れないの!?」ってなったんです。ちなみに、20年くらい前の話ですね。

あまりの悔しさに自傷行為にまではしっていたので、ショックもとい、けっこう苦しんでいたんだろうと思います。


服装は自己表現の手段。そういう意味で、思春期の不安定さにマッチして深みにはまった部分もあるのでしょうが、はまった相手が悪かった。少なくとも当時は、今のような『男性でもメイクが好きな人がいていい!』的な風潮はネット上でもごく一部を除いてほぼなかったし、何より自分にその認識がまったくありませんでした。


じゃあ、この自分の気持ちの正体は何なんだ。何かの異常なのか?

ということで、『性』に関する書籍を取り寄せまくって読んでいました。だいたい性同一性障害(GID)に関するサイトで、こっそりオンラインでGIDの方に対するカウンセリングを受けたりもしていました。


が、どうにも違う。今だから明確に分かることなのですが、自分はあくまで『中性/女性的な綺麗さ』がほしいのであって、身体のことはほぼ何とも思っていない。あえていえばスタイルがしゅっとした感じに良くなるといいとは思いますが、別にそこまで『改造』しようとは思わない(改善しようとは思って運動はしてますが)。


そしてなお言えば、『綺麗な顔』になりたい。これにつきます。

そしてそうすると、自分の中では『中性/女性的』な顔に行き着くわけです。

余談ですが、当時の筆者の性的志向(どちらの性が好きか)も微妙なところで、はっきりと女性が好きなんですが、特に同年代の歌手や女優さんなんかは、『好き』ではなく「この顔、姿になりたい!」という『憧れ』の対象でした。床屋で「この髪型にしてください」って、女性アーティストの写真持って行って、断られたこともあります(いや、確かに無理ですね。床屋さんですもの。というか、当時の美容院でも厳しかったんじゃないでしょうか)。


結果。どうなったかというと、いわゆる醜形しゅうけい恐怖症のようになりました。簡単に言えば、『自分は醜い』という思いが強すぎて、生活に支障が出る状態です。詳しくは書きませんが、かなり追いつめられて何年もすごすはめになりました。


実体験から思うところですが、醜形恐怖の怖いところは、『自分は醜い』という思いが強すぎて、挙動不審のような動作のぎこちなさが生じ、それを見た無責任なその辺の他人から実際に心もとない言動をあびて、さらに『これは自分は醜いからだ』という認識が深まるところではないかと思います。ちなみに、これも自傷行為に繋がりました。


と、ここまでが前半部分です。


♦今のお話


先に現在のお話を書いておきますね。

こちらの近況ノートでも需要うんぬん関係なしに掲載しておりますが、宅コスのような感じで、メイクして撮影→ SNS等にアップ、というのが趣味、けん、息抜きになっている、という感じです。妻に言わせると、ビーバーが人間の美人に化ける(オイ)ということで、「化けメイク」という呼称がついてます。


ただ、はっきり言って筆者は運が良かったんです。

もともと童顔で、どちらかといえば細面で、なにより美大卒、メイク会社の勤務歴がある妻がメイクに理解があったこと。こんな条件、そう転がっていません。

今でこそYouTubeの男性のメイク動画で勉強できますが、かなりの練習とある程度の下地に近づけることが必要になると思います。


なので、「恵まれたやつだから言える」と言われれば、その通りだと思います。

それでも言いたいです。「性別問わず、『綺麗になりたい』気持ちは素敵なこと」だと。


今、筆者は自分の楽しみのためにメイクしてもらってます。

最初は、恥ずかしくて仕方がなかったです。撮影に至っては、自分への罵詈雑言の嵐でした。まあ、もともと自分大嫌い人間なのですが。


でもですね、『綺麗』に近づくと楽になれます。怖いですが、怖がるだけの価値はあります。試練さえ乗り越えれば。


メイクを落とした後には、現実の顔が待ち受けています。

まあ、絶望とまではいいませんが、いい気分はしないですよ。控えめに言って、かなり気落ちします。


それでも、『メイク』は素敵な行為だと思います。そこに性別は関係ないと思います。自分の思う『綺麗』を、『メイク』が叶えてくれるなら、恥ずかしくてもやる/やってもらう価値はあります。

悩んでいた自分にもし何か言えたなら、『死なないで』。

ゴスロリはサイズ的に無理でも、自分が許せる世界はきっとある。

昔は無理でしたが、今はそう信じています。


♦終わりに


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

自分以外の方にこの文章がどう映るかはまったく想像がつかないまま、このエッセイを締めくくろうとしています。


話が飛びますが、『自分らしく』『ありのままで』って、何でしょうね。

筆者がひねくれているだけですが、こんなに扱いの難しい言葉も、そうそうないと思います。だって、これらの言葉って、それが許されることが前提じゃないですか。

もちろん、『する側』としてのマナーや良識は必要ですが。


メイクは素敵な行為ですが、甘いだけの行為ではないと、回を重ねるごとに実感しています。


ここで少し歴史を紐解いてみると、歌舞伎や歌劇においての需要はありつつ、わずかな間ですが、日本でも異性装が刑罰の対象となった時代があるそうです。

また、西洋においても、異性装は刑罰の対象、あるいは精神疾患として偏見にさらされ、その文化が根強く、刑罰を廃止した後の日本に浸透したという経緯もあります。


難しいことは分かりませんし、想像でしかないのですが、

今、そして筆者の過去の時代から遠く離れた時代、無念のうちに散っていった名のない『綺麗』を求める心は、数多にあったのではないでしょうか。


筆者がいつまでメイクの道に居続けるのかは、分かりません。

それでも、『綺麗』を目指せたこの時間を、筆者としてはいつまでも不可侵の宝箱にしまっておくだろうと思います。


長文となりましたが、今度こそこのエッセイは幕を閉じます。

お読みいただき、ありがとうございました。




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