6.亡失都市ハルシュカ

 意識は次の場面へ転移した。雪原にいくつもの天幕が張られた野営地らしき場所である。どうやら【追憶の傍観者】は必要な場面だけ切り取って、俺たちに追体験をさせてくれるらしい。

 ここは避難所であろうか。焚火の周囲で、外套に身を包んだ海獣たちが身を寄せ合い、暖をとっていた。若き日の族長アンフィベウスことアンフィ、恋仲のイザベラもそこにいた。

 コータイの村で見ることはなかった、ペンギンやビーバーが人型を成したかのような海獣も中にはいた。彼らの子孫が暮らす集落が現在もどこかにあるのかもしれない。


 そんなことを考えていると、騎士然とした鎧に身を包んだ海獣が、物々しい雰囲気で避難民たちの前に立っていた。


「次、二十六街区! これは二十六街区の住民リストだ! 自分の名前に印を入れてくれ! もし、行方不明者や死亡者が分かっていたら、それも報告してくれ!」


 鎧に身を包んだ海獣は台の上にスクロールを広げた。初めてこの世界で住民が文字を使っているのを見たが【言語理解】スキルのおかげで読むことは問題なさそうだ。二十五街区の住民リストも見えたが、相当の数の取り消し線が入っており、それが死亡者を意味すると考えると恐ろしい。


「衛兵さん! 俺もハルシュカの捜索に連れて行ってくれませんか!」

「だめだ! 一般人は立ち入り禁止だ! そう通達されているだろう!」


 アンフィが詰め寄ると、衛兵は怒気を帯びた顔付きでそう返した。


「それは分かっています! それでもどうかお願いします!」

「これ以上騒ぐと、どうなるか分かってるのか!」

「俺とイザベラの家族が行方不明なんです! 生きているとは思わないけど……それでも待っているだけなんて、できないんです!」

「それは、ここにいる者、みんなが思っていることだ! こらえて、押し殺して、歯を食いしばってんだ! 自分だけが特別なんて思ってんじゃねえ!」

「自分を特別だと思って何が悪いのですか! 何度でも言います! 俺をハルシュカに連れて行ってください!」

「穏便に済まそうと思ったら、このクソガキが!」


 睨み付けるアンフィを打ち据えようと、衛兵は鉄鞭を取り出していた。

 目を固く閉じるアンフィ。しかし、鉄鞭が振り下ろされることはなかった。


「クソッ! 子供を殴るのは趣味じゃねえんだ。いいか? これは独り言だ。明日、早朝、湖の西からハルシュカに物資を運ぶ小舟を出す。普通は三人一組だが、あいにく人手不足で俺一人だけ。ただ俺はちょっとばかし注意力が散漫でな。誰か一人や二人、こっそり紛れ込んだとしても気付かないかもしれねえ……以上だ」

「衛兵さん……!」

「リストの名前に印を付けたら、さっさと行きな」


 衛兵はアンフィを手で追い払う仕草をした。その顔は少しにやけて見えた。


 アンフィは小躍りするようにイザベラの元へ帰って行った。何を話しているかは分からないが、二人はとても嬉しそうであった。


「しかし族長……。あのような血気盛んな時期もあったのですね」

「まだわしも若かったということじゃ」


 ガロの言葉にアンフィべウスはばつが悪そうに頭を掻いた。


 ◆


 意識はまたも次の場面に転移した。寒空の下、湖のほとりに繋がれた小舟が揺れていた。

 ガロは手持ち無沙汰になったか、同じく半透明になっているアンフィべウスに話しかける。


「衛兵さんが言っていた物資を運ぶ小舟だと思いますが、誰もいませんね」

「そうじゃな。しかし、この世界……まだ理解が及んでおらんが、わしの記憶に基づくものという訳ではないのか。最初に転移した見晴らしの丘でもそうであったであろう」

「確かに当時の族長がいた場所から、かなり離れた場所に私たちは転移していましたね。あれは当時の族長が知り得ない時間軸の情報のはずです。アスタ様は何かお分かりでしょうか」


『ふむ。それは我も気になっていた。これは推測だが……我の持つスキルは原初から星に刻まれたあらゆる事象、想念、感情の記憶にまつわるスキル、とされておる。故に【追憶の傍観者】は人ではなく、星に刻まれた出来事を追体験させているのではないのかとな。人の記憶というのは、それを引き出すための切っ掛けに過ぎないのではないかとな』


「なるほど。アスタ様が言われていることが正しいとすると、今までのことも理解できますね」

「わしが当時に分からなかったことを知ることができるかもしれない、ということですかな。いやはや、賢者殿のスキルというのは本当に底が知れませんな」


 ガロもアンフィべウスも、俺の見解に納得した様子であった。


 程なくして、小舟に近づく人影があった。男女の海獣――アンフィとイザベラである。


「積荷がいっぱいだけど、どうしよう、アンフィ」

「積荷をどかして、なんて訳にはいかないよな」


「お前ら本当に来るとはな」


 上半身が隠れる程の大きさの木箱を持って、先程の場面の衛兵が現れた。


「衛兵さん! 一人や二人紛れたとしても気付かないかもしれない、って何だったんですか。それに、こんなに積荷があったら人が乗れないですよ」


 アンフィを無視し、衛兵はさらに木箱を小舟に積んだ。衛兵はふいーと、額の汗を拭う。


「おっと、これも独り言だから気にするな。普段、三人一組で物資を運んでいるのは本当だ。ただし、乗組員としてじゃない。俺たちが泳いで小舟を押して行っていたのさ。今日は神の悪戯でハルシュカまで楽に辿り着けないかと思っていたところさ」


 衛兵は流し目でアンフィとイザベラを見る。


「衛兵さん……あんた、はめたな」

「何のことやら。さて、神のご加護がありますように」


 アンフィの悪態に衛兵は涼しい顔だ。衛兵は金属の鎧を脱いで小舟に投げ込み、湖にざぶざぶと入って行く。


「俺たちも行こう」

「ええ」


 アンフィの声にイザベラはこくりと頷いた。


 ◆


 意識が転移した。俺たちは湖の中の桟橋にいて、湖の遠くに小舟が見える。桟橋は階段につながっていて、その先の高台に瓦礫の街が広がっていた。

 ガロは周囲を見遣った後、アンフィべウスに問う。


「さっきの場所の対岸――ここがハルシュカなのでしょうか」

「そうじゃ。ここがハルシュカ。わしらの故郷、そして忌まわしき記憶が眠る場所じゃ」

「まだ全てが終わっていない……そのような、おっしゃりようですね」

「もうじき、全てが分かる」


 アンフィべウスは相変わらず、何を考えているか分からない顔で小舟の方を見つめていた。


 小舟はやはり、衛兵、アンフィ、イザベラが泳いで運んでいたもののようだ。高台から他の衛兵が湖面を見張っているようであり、物資を積んだ小舟を押して泳いでいるうちは、一般人であろうと怪しまれなさそうだ。

 小舟が桟橋に到着すると、衛兵は水から桟橋へ、勢いよく飛ぶように上がった。体を震わせて水を飛ばした後、積荷を降ろそうと体を屈めた。水の中のアンフィに向かって、衛兵は話しかける。


「いいか? 俺が積荷を運んで、見張りの衛兵と話をする。俺が合図をした時にハルシュカの中に入れ。お前らとはここでお別れってことさ。気が済んだら適当に他の衛兵に見つかるといいだろう。何か言われるだろうが、避難所まで帰してくれるはずだ。くれぐれも俺のことを話すんじゃねえぞ」

「ありがとうございました。衛兵さん、本当に……」

「気にすんなよ。まあ、なんだ。お前ら、強く生きて行けよ」

「はい!」


 衛兵は積荷を階段の上まで運び、見張りの衛兵と話を始めた。アンフィとイザベラは水から桟橋に上がり、階段の陰から様子を窺う。


「よお、見張りご苦労さん」

「そっちこそ、今日は一人で物資を運んでんだろ? 大変だな」

「まあな。そっちの調子はどうだい――」


 二人の衛兵の話が弾む。衛兵は立ち位置で、見張りの衛兵の視線が階段の方から外れるように仕向けているようだ。アンフィと衛兵の目が合い、衛兵が頷いたように見えた。

 アンフィとイザベラが走り出す。見張りの衛兵に見つかることなく、ハルシュカへ入ることができたようだ。


「良い方でしたね。あの衛兵さん」


 ガロがアンフィベウスに話しかける。


「そうじゃな。結局、最後まで彼の名を知ることもなかったが」

「では、昔の族長とイザベラさんを追いますか」

「……いや。ここから先、わしらはハルシュカを回って、あまりの惨状に来たことを後悔するが、ただそれだけじゃ。それよりも向かうべき場所がある。メルクレードの聖堂へ行くぞ」


 アンフィベウスは迷いなく、次の目的地を目指して歩き始めた。


「何か、お考えがあるのですね。分かりました」


 ガロもアンフィベウスへ付いていく。


 メルクレード――何か覚えのある言葉であったが、それはガロのステータスパネルで【加護】の欄に記載されていた、水神メルクレードであるに違いない。ガロだけではなく、この世界の住人は皆、メルクレードの加護を受けているようであり、それが祭られている聖堂なのであろう。

 この加護がどのような影響を及ぼすというのは、よく分かっていない。しかし、ステータスパネルにまで記載されるということは、重要な要素であることは間違いないであろう。俺はガロにメルクレードについて尋ねることにした。


『ガロ。メルクレードとは何か、我に教えてくれぬか』

「私が知っている限りのことでよろしければ。メルクレードは私たちの世界を創った神とされています。この世界は元々、溶岩に覆われた死の世界で、命が芽生えては滅びを繰り返していたそうです。メルクレードはそれに嘆き悲しみました。メルクレードは涙を流し続けると、やがてそれが大地を満たし、死の世界は水の世界へと生まれ変わりました。創世の涙と呼ばれる、メルクレードの伝説です。私たちはその御業に感謝し、メルクレードを唯一の神として祈りを捧げています」

『お主らはメルクレードを信奉する民ということだな。神託による七柱の神の一柱、それが水神メルクレードということか。他の神については何か知っているか』

「少なくとも私はメルクレード以外の神は知りません。神託では六の世界が一つになったようなので、残りの五の世界に他の神がおわすのではないでしょうか」

『六の世界で七柱の神では計算が合わぬ故、どこかに二柱の神が守護する世界があるのであろうな』

「私もそう思います。もし、他の世界の方と出会えたなら、色々と聞いてみたいものですね」


 ◆


 聖堂までの道中、凄惨な光景を目の当たりにした。かつて栄華を誇ったであろう街並みは見る影もなく、道は最低限、通れるような空間を確保している程度で瓦礫が横にうず高く積まれていた。

 泥の堆積もひどく、瓦礫や泥の中に海獣の遺体も少なからずあった。かつて命が宿っていたとは思えない、ぼろ雑巾のように打ち捨てられている様であった。


「幻影とは言え、再びこのようなハルシュカを見ると、堪えるのう」


 アンフィべウスは独りごちた。


「ひどい有様です。ここまでむごい出来事だったとは」


 ガロはそれに反応する。アンフィべウスは天変地異を悪魔の所業だと言っていた。今ならそう思うのも分かる気がした。

 しかし、アンフィべウスが過去の自分より、俺たちに見せたいもの、あるいは自分が見たいものは何なのか。それは一向に見えてこなかった。


「あれがメルクレードの聖堂じゃ」


 アンフィべウスが指を差す。その先に見えたのは半壊した大聖堂。他の建物の状態を考えると、かなり原型を保っているように思われた。それだけ頑丈な作りになっているのであろう。

 石造りのそれは、宗教的な施設であることを匂わせる芸術的な彫刻が全体に施されており、威容を誇るように天高く塔が突き出していた。塔の天端は鐘楼となっているようで、巨大な鐘は街の住民へ時を知らせる役目を負っていたのであろう。


「しばし時を待とう」


 アンフィべウスはガロに顔を向ける。


「ここで何かが起きるのですね」


 ガロの問いにアンフィべウスは無言で近くの瓦礫へ腰を下ろした。これ以上、話すつもりはないようである。ガロも近くで腰を下ろす。なんとも居心地の悪い時間が過ぎていった。


 どれぐらい経ったであろうか。

 役目を失ったはずの鐘が鳴った。

 三つ、四つと鳴り響き、聞き間違いであるはずがない。


 天から薄闇を割るように光が聖堂に降り注ぐ。

 聖堂が大きく揺れ、あっけなく崩壊した。

 地を割って現れたのは新たな聖堂。

 存在を塗り替えるようにそれは顕現した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海獣王と流れ星の賢者 武蔵 @takezoh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ