5.アンフィベウスの追憶

 コータイの村、最強のトーマンに膝をつかせた――その事実は広場の観衆にどよめきを走らせた。

 俺は【エクトプラズム】のリキャストタイムが終了したのを確認して、光の腕を出し、倒れている斧の戦士に刺さっている槍を回収した。


『ガロ。槍のリキャストタイムが終わった。あとは槍で畳み掛けるのだ』


 俺はガロの眼前に槍を差し出し、彼はそれを受け取った。


 膝をついたトーマンを立ち上がらせないよう、ガロは【ファストチャージ】で瞬時に距離を詰め、その勢いで槍を突き出す。しかし、トーマンは上体を反らせながら、複雑な形状をした戟の穂先を絡めて防いでみせた。

 切っ先はトーマンにわずかに届かなかった。追い詰められようと、ここまで対応するとは、本当に化け物じみている。ただ、膠着状態に見えて、トーマンとガロには明確な差がある。


【パワースイング】


 ガロの槍がトーマンの戟を弾き飛ばした。硬質な音が響き、持ち主を失った戟は高々と宙を舞い、雪原へと突き刺さった。

 普通、鍔迫り合い状態から予備動作もなしに、このような強力な振り払いをすることはできないが、スキルだからこそ、このような芸当が可能になる。スキルの理解度――これがガロとトーマンとの差であり、勝負の明暗を分けたと言えるであろう。


 ガロはトーマンに槍を突き付けた。トーマンと目が合う。


「なぜ、ここで止まる。俺たちはお前を殺そうとしたぞ」

「もう、やめにしませんか。僕は仲間をこれ以上、傷つけたくない」


 ガロは槍を雪原へ突き立てた。

 トーマンは高らかに笑った。


「族長! 俺は降りるぞ! こいつは何にも変わっちゃいない、大甘のハナタレ小僧のまんまだ! もし、それでもこいつを殺そうって言うなら、俺はガロに付く! みんなはどうなんだ!」


 観衆がにわかに沸き立った。熱が熱を呼んでいく。


「ガロが悪魔の手先になんかなる訳ないだろ!」

「なんで仲間を殺さなきゃならない!」

「今回ばかりは族長がおかしいだろ!」


 様々な声が聞こえる。感極まったか、ガロの視界が滲んでいた。


 そんな声も徐々に収まり始める。広場の奥に引っ込んでいたアンフィべウスが表に出て来たのだ。


「族長! 納得のいく説明をしてくれ! 俺たちは過酷な世界で生き抜かなくてはならない! そのために窮屈な掟を守っているんだろう! でも、俺たちは盲目で従っている訳じゃない! 頼む、納得のいく説明を!」


 誰かの声を皮切りに、観衆の声が止まらなくなった。アンフィベウスへの非難の声だけが大きくなっていく。


「お前ら! 静かにしやがれ!」


 トーマンが戟の石突きで地面をガンと鳴らす。


「なんか勘違いしてねえか! 族長はあの天変地異から百年近く、ずっと俺たちの部族を守り、導いてくれているんだ! 批判はすれど非難なんてできる訳がねえ!」


 広場に静寂が戻る。アンフィべウスは確かな足取りで歩みを進め、広場の祭壇に上がった。

 少し、しゃがれているがよく通る声で、皆に言い聞かせるように彼は言う。


「皆の者、わしの話をさせて欲しい。この世界に起きたことに何を思い、どうすべきと考えてきたかを。その前にすまんが、ガロはこちらへ来て欲しい」


 アンフィべウスの元へガロは進み出た。アンフィべウスは話を続ける。


「ガロよ。このようなことを、わしが言えたことではないが、見事な戦いぶりであった。お前の言うことを少し信じてみたくなった。……教えて欲しい。お前の中にいる賢者殿と話をするにはどうすればよいのじゃ。その上で族長としてけじめをつけよう」

「族長、お手を拝借します。あとはアスタ様との対話を望んでください。そうすれば道が開かれるそうです」


 ◆


 俺は【亜空の支配者】で白の空間へガロとアンフィべウスをいざなった。白の空間に入る条件として、対象と接触していること、生物であれば空間に入るのを望んでいること、この二点がある。

 白の空間にガロとともにアンフィべウスが現れたということは、その本心に偽りがないということなのであろう。


「ここは一体……。このまばゆい光が賢者殿なのか」


 アンフィべウスが垂れ下がった眉の毛を少しかき上げ、こちらを見る。


『いかにも』

「賢者殿がどのような方か、まだ分かりかねる。教えていただきたい。その力でガロをどうなさるおつもりか。その先に何を求められるのかを」

『我が何故、この世界に来たか。それは話すことは叶わん。記憶を全て異界に置いて来てしまったようでな。気付けばガロの体に入り込んでおった。しかし、この世界に遥か昔に降りた神託と現状を聞いて、我は決めたのだ。他の世界の者と手を取り合い、百年後の脅威に備える――ガロの夢を叶えるとな』

「あくまでもガロのため、そう言われますか」

『うむ』

「わしはガロに伝えていないことがある。ガロだけではない。村の皆にもだ。もし、この神託だけを聞いていたなら、わしはガロと同じく、他の世界との接触を求めたかもしれん。しかし、違うのじゃ。わしは思った。あれは神などではない。悪魔の所業であると」


 アンフィベウスは頭を抱えた。


「ガロ。賢者殿がお前のために事を起こそうというのなら、わしはお前に心変わりをしてもらう。いや、これはお願いじゃ。どうか、わしの言う通り、今までと同じように暮らしてくれ」


「納得がいきません」


 逡巡があったか、少し間が空き、アンフィべウスの懇願にガロは首を横に振る。


「確かに、神は六の世界の統合のため、天変地異により耐えがたい苦痛を与えたかもしれません。でも、神はスキルという祝福は与えてくださいました。これこそ、神託が神によるものという証明ではありませんか」

「お前はもう少し、何かを疑うということを知るべきだ。それすらも悪魔の差し金だとしたら」

「訳が分からないです。スキルの祝福が悪魔によるものだとして、一体、悪魔に何の得があるというのですか」

「神や悪魔の考えることなど、人の理解が及ぶところではないわ。希望を与えるだけ与え、最後に叩き落とす。そのようなことを至上の喜びと考える悪魔がおっても決しておかしくはない」

「では族長は、滅びの時が本当に訪れるとして、この世界が絶えるのを受け入れられるというのですか」


 互いの主張は行き詰まり、沈黙が支配した。アンフィベウスは神託や祝福を悪魔によるものと主張し、ガロは素直に神によるものだと主張している。

 主張の相違が起きるのは、経験を共有していないこと、すなわち天変地異をアンフィべウスは直接体験し、ガロは伝聞でしか知らない。このことに尽きると思う。


『アンフィべウス殿。このままでは互いの主張はすれ違ったまま。ガロが全てを話したように貴殿も天変地異の時、何が起きたのか話をしていただけますかな』

「賢者殿の言われるとおりじゃ。元よりそのつもりであった。わしが経験した全てを話そう」


 アンフィべウスが次の言葉を発そうとした時であった。


《異界の魂が所定条件を満たしました。スキル【追憶の傍観者】を取得しました。スキル【星の記憶】に統合されます》


 無機質なAI読み上げソフトのような女声のアナウンス。久々に聞いた気がした。所定の条件とは何か。このタイミングで新たなスキルを取得したのは何故か。【追憶の傍観者】の効果とは何なのか。疑問が湧き上がった。


《所定の条件とは、スキル【エンパス】が熟練度レベル2へ到達すること。スキル【追憶の傍観者】の使用が問題解決に有効な場面に遭遇すること、となっています。スキル【追憶の傍観者】の使用者は、対象とした人物の過去に起きた出来事を追体験します。また、スキル【エンパス】と併用することで複数人が追体験することを可能とします》


 心を読むかのようにアナウンスが補足した。ガロと感覚を共有する【エンパス】はボリュームを絞ったりしているが、常時発動しているため熟練度がいつの間にか上がっていたのか。気付かなかった。


「賢者殿。この声……これは神託なのでしょうか」

『いや、そのような大それたものではない。万物の事象を正確に把握することができる、我がスキルの力の一端といったところか。【追憶の傍観者】なるスキルであれば、ガロもアンフィベウス殿の思いを曲解することがなかろう。……貴殿の記憶、覗かせてもらうぞ』


 ◆


【追憶の傍観者】の発動を意識すると、青空が澄み渡る緑の草原へと意識が転移した。薄闇に支配された白銀の世界とは趣を全く異にする世界である。ここが過去の世界、天変地異が起きる前の世界なのであろうか。


「族長、体が半透明になっていますね」

「ガロ、お前もじゃな」

「アスタ様は私の中にいらっしゃるようですね」

『うむ。そのようだな』

「おや? 賢者殿の声が聞こえますぞ」


 どうやらガロの体の中にいようと、心の声がアンフィべウスへ届いているらしい。複数人の追体験に【エンパス】を使っているので、その影響かもしれない。


『どのような理で動いている世界か分からぬが、物には触れられそうか?』


 ガロが地面に落ちている石を掴もうとすると、それは叶わず、半透明の手がすり抜けることとなった。


『この世界への干渉はできなさそうだの』


 俺、ガロ、アンフィベウスは互いに状況を確認した後、アンフィベウスは草原を割るように敷かれた砂利の坂道を登っていく。ガロはアンフィベウスに付いて行った。


「なんとも清々しい世界ですね」


 ガロがアンフィべウスに話しかける。


「そうじゃろう。これが天変地異が起きる前の世界。この道の先に過去の自分がいる。そんな気がする」

「この先に何があるのでしょうか」

「亡失都市ハルシュカ――お前は知っているか」

「はい。親父にも聞いたことがあります」

「この見晴らしの丘を上がった先から、ハルシュカの街並みが見える。わしらの部族の故郷じゃ」


 しばらく進むと分かれ道があった。一方は道の先に平地が広がっていてベンチやテーブルがいくつも設置された休憩所、もう一方は山頂の方向へと続く道となっていた。

 アンフィベウスは休憩所の方向へ歩みを進めた。


「見えたぞ。あれが亡失都市――いや、当時の名で呼ぶべきじゃな。水の都ハルシュカじゃ」


 休憩所の崖下に見えるのは石造りの建物が所狭しと並んだ巨大な街であった。エメラルドグリーンの湖の中心に浮かぶように建造されたその街は至る所に水路が張り巡らされていた。建物は多いが、決して雑多ではなく、整然とした街並みであり、遠くから眺めているだけで文化の香りが漂ってきそうだ。


「族長。私たちの故郷はかくも美しかったのですね」

「そうであろう、ガロ。しかし、たったの一時でそれも終わる」


 突如、足元が揺れる。立っていられないほどの大きな地震だ。視界がまともに定まらない。激しい地響きがあちらこちらから鳴っていた。


「族長!」

「始まったようじゃ!」


「アンフィ!」

「イザベラ!」


 男女の叫び声にガロの視界が反応する。休憩所には他に一組の男女がいたようだ。やがて地震が収まるまで、彼らは抱き合ってうずくまっていたようであった。


「族長。アンフィと呼ばれた彼は――」

「察しの通り、わしじゃな。イザベラは当時、恋仲だった海豹族のおなごじゃ。あの時、そうやって互いを慰め合った。またこうしてイザベラに会えるなど、賢者殿には感謝しつくしても足りんほどじゃ」


 気付くと、アンフィベウスは目頭を押さえていた。


「ガロ、こんな老いぼれなど見るでないわ。ハルシュカの終焉をしかと目に焼き付けよ」


 その声で我に返ったか、ガロはハルシュカの方向を見遣った。

 先ほどの美しい情景が見る影もない、廃墟へと変貌していた。

 エメラルドグリーンの湖は白く濁り、湖を渡る架け橋も崩壊していた。

 そして、遠くに見えていた海から、波が押し寄せていた。

 全てを押し流しながら、それはハルシュカだった街へと到達する。

 重厚な石造りの建物が、まるで水遊びのおもちゃのように流れていく。

 巨大な災害に、俺もガロもただ茫然と眺めるしかなかった。


 ふと、視界にちらつく白い物があった。ガロはそれを手のひらへ載せる。


「雪……ですね」


 冷たさを感じる間もなく、それは水滴になって消えてしまった。


 穏やかな気候から一転し、急激に気温が下がっていた。雪は瞬く間に勢いを増し、吹雪の様相となった。廃墟は真っ白に塗りつぶされていく。

 こうして水の都ハルシュカは滅びの運命を辿ったのであった。

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