第二十三話 納得


「鬼という種族は、感覚が鋭すぎるのだから、仕方ない」

 もう一人の男がぐいっと喉を鳴らしながら、酒を飲むような音が聞こえる。渡里さんは、男に「お前はまたそればかり」と苦しげに唸る。それに対する返事は豪快な笑い声だ。


 やりとりを見るに、二人の関係はかなり深く長いのだろう。

 それにしても、感覚が鋭すぎるというのは一体。


「先代なんて、桜の精に恋したせいで、大変な目にあっただろ」

「ああ、子育ても出来ぬ。年に数日しか現れぬ精霊だったせいで、幼い若様は狸に預けるハメになった。そうしたせいか、狸面の役に立たない女に惚れて……!」


 桜の精?

 狸?

 知らない情報が次々と彼らの口から漏れていく。妖怪たちというのは、口に戸を立てられないのかと思ってしまう。

 

「まあ飲め飲め。鬼はな、足りない物を欲するんだ。娘は、それを持っていただけ」

「貧相かつ貧弱で、役にも立たないようなのにか……」

「先代の時に比べれば、屋敷に囲える人間だ。何の不満だ」

 渡里さんの批評で、心にグサグサ刺さるがただこの名を知らぬ男の言葉に、私はひたすら耳を傾けた。


「それは鬼しか分からぬ。鬼はな、古来戦う生き物。足りないものがあるなら・・・・、自分の子には補いたいと思う。すれば、子は強くなるって、耳にたこに成るほど聞いているだろ」

「たしかに、そうだが……」

 長々とした言い聞かせに、どこか不満そうに口を噤む渡里さん。


「それが、生き物の本能だ」

 ごくごくと、豪快に酒を飲む音が聞こえた。


 私はその言葉を聞き、ストンと喉に突っかかっていたものが胃に落ちていく。

 大学生の頃、北海道のよさこい祭り参加の為に泊まったホテルでテレビを見ていた時だった。

『恋の科学』という内容で、「人は血縁が近い人間の匂いを嫌う」という内容だった。

 理由としては、近親婚を防ぐためだったはずだ。

 だからこそ、人間は自分よりも遠い遺伝子の人を、本能的に選ぶと科学者の人が話していた。

 妖怪も同じなのだろう。自分とは違う特徴を持った人を伴侶に選らぶ。鬼は特に本能が強いのだろう、春宵さんも五感が鋭いと言っていたし。


 だから、一番遺伝子的に一致しない生物、妖怪ではない私・・・・・・・に恋をした。


 一目惚れなんて、正直信じられなかったけれど。理由さえ分かればいい。


 今もなお、障子の向こうでは渡里さんと謎の男が酒盛りをしている。

 私はそうっと音を立てないように、布団へと戻ってゆっくりと横たわると、目を閉じ一つ大きく息を吐いた。


 前世でも、今世でも、恋愛について、考える余裕はなかった。ずっと、家のための結婚しかできないだろうと思っていた。

 元々、自由が一切無い生活だった。

 だから今、よさこいが出来るのなら、何だって良い。


 このまま、春宵さんの愛というぬるま湯に浸かればいい。

 一目惚れという不可解な理由によって、嵐のように忙しかった心の中が、ようやく静かに凪いでいくのを感じた。




 目が覚めて、翌日のことだった。

 朝御飯(外は夜真っ最中だが)を春宵さんたちと共にしていた時、一匹のからすが部屋に飛び込んできた。八つの目を光らせた烏は、一緒に食べていた深山さんの肩に止まると、足に紐で結ばれていた丸められた紙を突き出した。


「ああ、そんな時期か」

 深山さんは何かを思い出したのか、紐を解いて紙を開くと、すぐに目を通し始める。

 私は何事かと紙へと目を向けると、大変見覚えのある物だった。

 陽本国の瓦版かわらばん。月一くらいの頻度で町の役所に掲示される新聞紙みたいなものだ。


「なにか、変わったことはないか」

「特に、あのよく分からん、宗教の有り難い教えばかりです」

 春宵さんの問い掛けに、深山さんは幻滅した口振りで、すいすいと視線を文字の上で滑らしていく。たしかに幾度も役所で目を通したが、盗人や辻斬り以外を省くと、陽本国の国教である金烏宗の素晴らしいお言葉だらけだった。素敵な理想論ではあったと思い出しつつ、私は箸でお新香のきゅうりを口の中へと運んでいた。

 春宵さんも同じく、味噌汁をずるずると豪快に飲んでいる。


 暫く深山さんは瓦版を眺めていたが、紙両面一枚の分量ため、すぐに最後まで到達したのだろう。大層つまらなそうな表情で、紙をくるくると丸め直した。


「特にないですね」

 すぱんっと言い切った深山さんは、運んできた烏に、朝食の魚である目刺しめざしを一匹与えた。何もないのかと、私も三匹ある目刺しを一匹頭から齧りつく。

 春宵さんが「本当に何もないのか?」と尋ねると、深山さんはしばし唸ったあと「強いて言うなら」と言葉を続ける。

 私は気になりつつも、きびご飯を口に入れた時だった。


「陽本国の跡継ぎ様が元服したそうです」


 私の身体の動きが止まる。ちらりと深山さんと春宵さんを見る。二人はあくまでも世間話をするように、淡々としていた。


恒例の・・・大奥の選定が始まるそうですよ。子を産める年頃のものたちを探しているようで」

「ほお、まあ我らには関係ないな。昔とは違い、交流はない」

「一応、先にお耳にだけは入れておこうと」


 そのまま食事を続ける様子に、私もまた箸を無理矢理動かし始める。先ほどまでは美味しく感じていたお新香ですら、今は砂をかむようで全く味がしない。身体からは嫌な汗が滝のように流れ始めた。この世界に生まれてから、家族からずっと聞かされてきた言葉が、頭の中に吐きそうになるほど繰り返し鳴り響く。


『姉さまは、いいところに。私は、それなりのところに嫁ぐって決まってるもの。だって……』

『姉君、恥だけは晒さぬように。なにせ、近々……』

『武士の子は、お家のために尽くす定めよ。貴方は運良く……』

『言い訳なんぞ、聞きたくない。お前は将来……』


 決まって、同じ言葉が続くのだ。


『将軍家に嫁いで、子を産むのだから』


 呪いのように、私に纏わり付き続けた戯言。

 しかし、夢に浮かれるのも無理はない。

 跡継ぎ様こと陽本国将軍家の若様誕生から二年後、私は生まれたのだ。

 実際に遊び相手として、お忍びで街の大きな寺を訪れていた跡継ぎ様とあったこともある。

 傾いた没落武家にとって、娘が大奥に入り嫡男を生めば、という夢を家族達は描きたくなってしまったのだ。


 でも、私は今、月陰国にいる。

 私には、関係ない。もう、関係ない。

 関係ないはずなのに、何故か悪寒が止まらない。


「一白、どうした? お腹いっぱいか?」

 春宵さんの声かけに、私は顔を上げる。


「す、少し、胃腸の調子が悪いようです」

「なぬ、なら休むべきだな。布団へ運ぼう」

 すぐに箸を置いた春宵さんは、さっと私の傍に来ると、私の身体を軽々と抱き上げる。


「ありがとうございます」

「構わぬ。愛しい一白のためだからな」


 私は頭に渦めく悪寒から逃げるように、春宵さんの胸に顔を埋めた。


 その悪寒が、少し先の未来で大きな騒動になることも知らずに。




 第一夜 完



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百鬼百夜恋物語~転生した踊り子は、鬼の猛愛と踊る~ 木曜日御前 @narehatedeath888

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