第35話 悪霊の目的(後編)
「結局、その者が本当に殺したいのは、私ということだろう。竪琴を取り上げて、そなたの命を危険にさらしたのも。すべての原因は私にある。そなたが責任を感じる必要がどこにある?」
「マレナ様はわたしがイーシャ族の末裔であることをご存じでした。この半年以上、陛下のもとで竪琴を弾いていることも知っていたはずです。けれど、つい先日まで陛下に警告をすることはありませんでした」
アメリーの言葉は、ジェラルドの記憶を呼び起こすものがあった。
(……そう、私もそれがおかしいと思っていたのだ)
どの時点でも、アメリーがイーシャ族の末裔だと知ったら、彼らを恐れるマレナたち――ガルーディア人が黙っているはずがない。つまり、マレナがアメリーに呪い殺されると騒ぎを起こした日まで、知らなかったということになる。
(ならば、どうやって知ったのか――)
形だけとはいえ伴侶であるジェラルドにすら、アメリーは竪琴の継承者であることをなかなか打ち明けようとはしなかった。アメリーも容易なことでは口にしないだろう。バリエ家で一緒に育ったエリーズも知らなかった。
「そもそもイーシャ族が奏でる竪琴の音色というものは、どうやって普通のものとその違いを判断するものなのだ?」
貴族の娘なら楽器の一つや二つ、たしなんでいてもおかしくない。王宮の楽師にも竪琴を弾く者はいるし、それこそ平民の旅芸人ですら扱えるありふれた楽器だ。竪琴を弾けるだけでは、イーシャ族の末裔だとは言い難い。
(もちろんマレナのことだから、勝手にそう思い込んで、アメリーを陥れようとしたとも考えられるが――)
「それを判断できるのは、死者の魂たちだけです。マレナ様はその悪霊から教えられたのだと思います」
「マレナもそなたと同じように、死んだ者の声が聞こえるのか?」
「いいえ」と、アメリーは静かにかぶりを振った。
「竪琴の音を介して、耳で声を聞くのとは違います。心に
「私は母の声を聞きたいと願っているのに、夢の中でも聞くことはできないのだな。見るのは悪夢ばかりだ」
「それは――」と、アメリーは気まずそうに口ごもった後、気を取り直したように口を開いた。
「悪霊の方が声と同じく、思念も強いのです。陛下を取り巻く悪霊たちがいなくなれば、悪夢を見ることも減っていくことでしょう。イザベル様が夢の中に現れることもあるかと」
「そうか……」
ジェラルドが小さく頷くと、アメリーは話を続けた。
「あの悪霊が動き始めたのは、わたしが陛下のもとで【鎮魂の調べ】を弾いた後です。あの時、陛下のもとから逃げた悪霊が何体かおりました。その内の一体が、マレナ様のもとへ行ったのだと思います」
「そして、マレナに憑依して、そなたの命を狙ったと。再び狙ってくる可能性はあるのか?」
「ないとは申し上げられません。マレナ様に再び憑依するのか、他の方ということもあります」
「竪琴が手元にないと、そなたが危ないのは間違いないのだな?」
「どうかわたしのことはお気になさらずに。逃がしたのは、わたしの落ち度です。ですから、わたしの責任だと申しました。申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げるアメリーを見て、ジェラルドはベッドを下り、彼女の前でひざまずいた。
「そなたが頭を下げる必要はない」
アメリーの肩を掴んで身体を起こすと、その頬が涙に濡れていた。
「でも、でも、わたしが軽率に【鎮魂の調べ】を奏でたせいで、マレナ様の身を危険にさらしたのです。もし本当にお腹にお子がいたら、殺してしまうところでした。竪琴の継承者として、あってはならないことだったのに……」
泣きむせぶアメリーの顔を見ていられず、ジェラルドはそのまま胸に抱きしめた。いつものように拒絶されるかと思ったが、アメリーはしがみつくようにジェラルドの上着を握りしめて、声を上げて泣いていた。
(竪琴の継承者とは――どこまでも誇り高く、生者にも死者にもやさしい者なのだな)
ジェラルドを呪う悪霊を祓うことにしてみても、イザベルが望んだからだった。アメリーは厚意でやってくれただけのこと。その結果、悪霊を取り逃がし、たとえマレナが命を落としたとしても、アメリーを責めることなどできない。そもそも人を殺め、恨まれるようなことをしてきたジェラルドの方に非がある。
しかし、いくら『そなたのせいではない』と慰めたところで、アメリーは竪琴の継承者として自分を許すことはできないのだろう。
ならば――
「そなたはよくやってくれている。私が何より望むのは、今でも母と言葉を交わすことだ。私の我がままに最後まで付き合ってくれるか?」
ただ慰めるより、前に進む道を示す。
アメリーの頭を撫でていると、徐々にしゃくり上げる声は小さくなっていった。
「……はい、必ず。陛下のお命まで奪われるわけにはいきませんから」
「そなたも後継者が必要だからな」
アメリーは突然弾かれたように頭を起こすと、キョトンとした顔でジェラルドを見つめてきた。ジェラルドが涙を拭ってやると同時に、アメリーの頬が真っ赤に染まっていく。
「そ、そそ、そうでございましたね!」
アメリーはいきなり大声を出したかと思うと、どんっとジェラルドの胸を押してきた。ジェラルドはその勢いでバランスを崩し、尻もちをついてしまう。
「なぜ、そこで突き飛ばす!?」
「も、申し訳ございません! 身体が勝手に……!!」
アメリーは即座に立ち上がると、挙動不審かと思うくらいにジェラルドの前をウロウロし始める。そして、やおら竪琴を掴んだかと思うと、「失礼いたします!」と叫んで、部屋を飛び出して行ってしまった。
(あれは何を考えているのだ!?)
さっきまでしおらしく泣いていたというのに、突然の豹変ぶりにジェラルドの頭はついて行けなかった。
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