第7話 実験の最終結果

 そして、この医学論文は、非常な反響を呼び、各国の言語でも翻訳され『不老不死の実現』と短く改題されて、世界中に喧伝されたのだが、ここにある国の大富豪が目を付けたのだ。




 何処の国の誰とは言えないが、石油の大手産油国の人物とでもしておこう。仮に『アリババと40人の盗賊』から名を借りてアリババ氏と呼ぶ事にしようか。




 アリババ氏の個人総資産は、現在、世界一の富豪とされているIT企業の社長より多額だとも一部で噂されている人物だ。石油の埋蔵発見にかけては天才的な能力があって、今は世界中に彼の会社の油田がある。




 既に60歳近くなっていた彼は、自分の命が惜しくなったのだろう。そりゃそうさ。アリババ氏の国は一夫多妻制だから、毎日、若い美女に囲まれている。また、彼は、若い時から、多分自分の名誉欲もあったろうが、その資産の一部を各国の医学研究施設にバラまいたのさ。


 


 例えばこのX大学医学部の「最先端遺伝医学研究所」はその彼の多額の寄附金によって設立されたようなものなのだ。ただ、真実のところ、彼が各国の医学研究施設に金をバラまいたのは、結局自分の「不老不死」を実現させる為だったらしいがね……」




「で、中村名誉教授は、そのクローン実験とかに手を付けられのですか?」と、私はオウム返しに聞いた。




「ああ、確かに。しかし、最も困ったのは、その大富豪の依頼人アリババ氏は、自分の体のクローン再生のみならず、自分の頭脳も、記憶、感情、思考方法等々もクローン化した第二の自分に完全に移し換えてくれというのだよ。




 人間の記憶は、概ね、海馬と大脳側頭葉と言われる組織に集約されているというが、ドイツの医学研究所で海馬の神経細胞から電気信号に置き換えて、記憶自体を取り出し、テレビ等に映し出す実験をしたが、何度実験しても成功しなかったそうだ。


 


 ただ、その研究の途中で、ある信号、つまり極微量の電気的パルス信号を送り込む事によって、新たな記憶を植え付ける実験には成功したのだ。




 つまり人工的に作り出した記憶や感情や思考回路を、特殊な方法で電気信号に置き換え、クローン再生した人間の大脳に送り込んで、その人間の体は勿論、記憶や感情等も完全に移し換える事が理論的に可能となったのだ。

 先ほどの、君と、藤崎真理との風呂場の場面等は、精巧なコンピュータグラフィックスによって想像されたバーチャル世界の画像だったのだよ。




「そして、そのシナリオを書いたのはこの私だ。猟奇殺人事件に造詣が深いこの私ですら2年もかかって書き上げた我が人生の最高傑作だからね」と、例のフリーライターの五島努は言った。




「尤も、そのシナリオのコンピュータグラフィックスを作成したのは、日本の大手のゲームメーカーとアメリカの大手の映画会社のCG部門だが……」と、少し残念そうに言った。




 一体、彼らの話している事は、本当なのだろうか?




「では、この私とは、結局、何者なのです。単なる実験動物なのですか?それとも、本物の人間なんですか?」




「いい質問だ。まず、この新聞記事を見たまえ」と言って、中村名誉教授はリモコンを捜査して、先ほど、私と藤崎真理とを映していた液晶の画面を瞬時に切り替えた。




 それは、西暦2019年7月22日(月)付けの「毎読新聞」の朝刊の3面記事で、そこには、「日本空手道大学選手権の関東大会での決勝戦で、前回の関東大会優勝者のQ大学4年生(22歳)の田崎真一君が、挑戦者の右回し蹴りを側頭部にまともにくらい、直ちにX大学医学部付属病院に搬送されたものの、約半日意識不明のまま、同日午後11時54分に死亡が確認された」との記事が、小さく載っていたではないか。




 次に、私の、葬儀の場面が次々に、あの大型の液晶画面に映し出されたのである。




「いいかい、田崎君。この時点で本物の君自体は既に死んでいるのだ。つまり今そこにいる君こそは、クーロン人間そのものなのだよ」




「では、何故どうして、僕が選ばれたのです」




「それは、私も最初のクローン再生人体実験の時は、罪悪感もあり身元不明の路上生活者を使ってこの実験を開始したのだ。これが、その時の実験の経緯だが、培養用のフラスコの中でクローン細胞が自らバラバラに分裂しているだろう。彼は、後になって分かったのだが、薬物常習者だったのだ。




 で、私は、今度は、心身ともに強健な若者でクローン実験をする事に決めていたのだ。 




 そんな時に、空手の有段者で私立大学でも超名門のQ大学の学生が、空手大会で意識を失って我がX大学病院に緊急搬送された。早速、パソコンに入力して見ると、この実験に最適者とコンピュータ上の答が出た。後は、もう実験に取りかかるしかない。私は、極秘で君の細胞から遺伝子を取り出し、いよいよ世紀の実験を開始したのだ」




「では更に質問しますが、何故、僕に本物の田崎真一の記憶を、埋め込んでくれなかったのです。何故、あのような、不気味な「藤崎病院事件」や「蛇谷村大虐殺事件」など、荒唐無稽とも言えるような、仮の大事件を敢えて作り出して、僕の記憶に無理矢理埋め込んだのです?」




「それも、いい質問だ。もともとこのクローン実験は極秘で行われていた。しかしながら、依頼主の大富豪アリババ氏には、イランイラク戦争や湾岸戦争等の生々しい記憶が取れないと言う。それが今でもトラウマとなっていると言っていた。




 私が、心配したのは、かのアリババ氏に湾岸戦争等のような激烈な現実を、いくらバーチャルの記憶とはいえ、無理に彼のクローン脳内に埋め込んだ際、彼の精神が正常なまま持つかどうか大いに心配したのだ。で、その当時、依頼主の大富豪アリババ氏が経験したという湾岸戦争時にも似たような、大虐殺事件のシナリオを敢えて作り出し、クローン再生された人物にそのバーチャル記憶を埋め込んでみる。




 それに加え、本人が色々な薬物療法によっても、その記憶に対する信念が崩れ去らなければ、いわゆる『不老不死』の実験は、ほとんど成功したと言ってもいいのだ。そして今までのところ田崎進一君は見事にその数々の試練を乗り越えたのだ。つまり、クローン無限連鎖実験の成功は、最後の一歩まで来ている。


 


 後は、君自身が、この話を受け入れてくれるかどうか、それともこれが元で君の精神に障害を起こすかどうかだった。これが最後の分かれ道だったが、どうもそれも杞憂に終わりそうだね。さっきからの、田崎君の様子を見ていると、少しも動揺してはいないからな」




「うーん、とても信じられない話ですが、では、僕がクローン状態から、今に至るまでの経過を移した映像があれば、証拠として見せていただきたいのですが……」




「それを見る事は、今の君にとっては、全く意味の無い事でしかない!」 




「一体、何故です。今まで、全ての真実を話してくれたではないですか?」




「しかし、唯一、君にまだ話していない事が、たった一つだけ残っているのだ」




「それは、一体、……」




「田崎さん、貴方は20年近くX大学医学部の精神神経科病棟にいたと思っているでしょうが、実はたったの2ケ年しか入院しておらず、また、その期間内で各種の実験をされているのです」と、ここで山本看護師が口を利いた。




「何ですって、僕は、では、20年と2年と混同していると言うのですか?」




「残念ながら、その通りなのです」と、中村名誉教授は又も冷たく言うのだった。




「まあ、そこまで言われれれば、あまり見せたくはないのだが、これは、クローン再生された貴方が27歳頃になった時に、バーチャル記憶を大脳に送り込んでいる時の映像です。どうです」と、中村名誉教授は、新たな画面を映し出した。




 明らかに若い頃の私と思われる人物の大脳に無数のリード線が埋め込まれ、またヘッドギアのようなような不気味な機器に大脳を囲まれている。




「うーん、分からない。中村名誉教授が、このクローン実験を開始したのは丁度10年前からと言っていましたね。で、どうして、クローン再生された僕の年齢が27歳にもなっているのです。年数が完全に矛盾しているじゃないですか?」




「いやいや、ところが全く矛盾していないのだ。そして、ここが実に問題のところでもある。君は知らないと思うが、人間の遺伝子の中に、年齢のカウントや老化現象をコントロールする遺伝子があるのだ。で、私は、研究の結果の早期の結論を得るために、君の老化遺伝子をゲノム編集して、通常の人間より老化年齢速度を10倍以上に設定してあるのだよ」




 おお!何と言う事だ。とすれば、私は、驚異的なスピードで年を取っているのだった。




「非道い、酷すぎる!」




「いや、田崎君、何度も言うように、本物の君自身は既に死んでしまっておりこの世には存在しないのだ。我々のスタッフが造り上げた、いわば製品のようなものだからね……」




「いや、どんな理屈があるにせよ、当の本人が、受け入れられない以上、これは完全な犯罪です。クローンであっても人間ですよ」




 ようやく、全ての真実を理解できた私は、最後の選択を迫られている事に気がついてきた。このままの状態を受け入れるか?それとも何とか、ここから脱出してマスコミかどこかに、この地獄の生体実験を暴露するか?いや、それには何の証拠も持たない私には、非常に難しいように思えたのだ。今までの話は、あくまで中村名誉教授等からの伝聞だけであり、バーチャル映像やクローン実験施設があるまずここの施設を、マスコミに嗅ぎつけてもらわない限り、私の言った事の証明は、ほとんど不可能だからだ。




「中村名誉教授、そもそも、ここは一体何処にあるのですか?」




「それは極秘事項だから答える訳にはいかないが、富士山の樹海の中の場所とでも言っておこうか。しかし、ともかくも、私が想像していた以上に、田崎君、君は落ち着いている。私が、最後の実験と考えていた真実の暴露にも、君はそれ程取り乱す事なく見事に耐えている。実験は完全に成功だ。


 私はこの成功をもって、依頼人のアリババ氏に早速連絡を取らねばならない。『クローン無限連鎖実験の成功』、つまり『不老不死実験の成功』をね」




 私は、中村名誉教授の勝ち誇った声を聞いて、もはやどうにもならない事を悟った。




「それでは、今の僕の姿を鏡か何かで見させてくれますか?多分、僕の記憶からすれば、生まれてから既に約50年弱の年限が経っている筈ですが、現実の時間は約5年程度しか経過していないのですね?それをこの目で確認してみたいのです」




「君の言う通りで今日は西暦2024年9月13日(金)。君の実年齢換算では丁度満50歳相当に該当する。まあ、ここは君のこの実験への協力に免じてだね、山本看護師、田崎君の姿をスクリーンに映し出してみてくれ」すると研究室の壁に、私の姿が映し出された。50歳前後の中年のおじさんの姿がそこにあった。




 だが、その時である。中村名誉教授の顔色が急に変わったのだ。




 それは、私自身も強烈に感じた。まず私の顔の表面に急激に皺が増えてきたのだ。




「ああ、駄目だ。老化遺伝子が異常に反応し始めた。このままでは田崎君は老衰で死んでしまう。あの老化遺伝子を操作する薬剤XY2019は何処にあるのだ?早く注射しなければ………」




 ふと、私の顔を舐める感じに反応して、私は目を覚ました。私の飼い犬の「イヴ」が朝方私を起こしに来たのだ。何よりも驚いたのは、私の横には、あの美人の藤崎真理も、布団を引いて寝ていたからだ。私が起きるのと同時に、彼女も目を覚ました。




 私は、起きたばかりの藤崎真理に頼んで今日の新聞を取りに行ってもらった。どうしても、今日は、何時なのかを確かめたかったからだ。しかし、地元の地方新聞の日付は、西暦1990年(平成2年)8月26日(日)となっている。




 こ、これは、一体どういう事なのだ!




 確かに、今の今まで、西暦2024年9月13日(金)の日に、私は、中村名誉教授達と、『クローン無限連鎖実験』という恐怖の実験についての真実の話を聞かせれていた筈だったのに。では、先ほどの記憶は、未来の記憶だとでも言うのか!

 一体、この時間的、年代的な数々の矛盾やパラドックスは、何なんだろう。




……既に、私は、急激に老化が進行し死亡した最初の第一代目のクローン人間から、次の第二代目のクローン人間として、今、再度のバーチャル記憶を埋め込まれた世界の中に、ずっぽりと浸っているのであろうか?しかも、その直前のクローン人間第一代目の記憶もまた確実に残っているのに。……つまり、『連鎖する記憶』のみだけが確実に存在している事になるのか?                                                              

                  了

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狂人の独り言「連鎖する記憶」!!! 立花 優 @ivchan1202

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