第59話 幽霊の正体見たり枯れ尾花

 本名を暴かれたダンテンは深いため息を一つ吐くと、脱帽して地面に落とし、前髪を掻き上げて後ろへ撫でつける。

 探偵としての穏やかなかおを捨てた彼は、かと言って獰猛さや冷酷さを露わにするでもない。


「やれやれ……そこまでバレてしまったのか」


 ダンテンでもなければ、ドロテホでもない、ただ初老の人狼としてのヨーゼフは、驚くほど虚無の表情をしている。

 疲れ果てた様子で、彼が浮かべる微苦笑に、しかし改めて底知れぬ恐ろしさを感じたのは、けっしてヴィクターの怯懦ばかりが原因でないはずだ。


「私は元々」


 彼が口にする一言一句に警戒を強めるのは、傍らのスティングも同様だった。


「一族では出来損ない扱いされていてね。ヴィクターくん、君なら私の気持ちがわかるんじゃないかな?

 我がダマシニコフ家は、感知と詐術に長ける血筋なのだけど、ものには限度というのがあってね。

 私はその二つに関しては十分な素質を生まれ持ってはいたのだが、いかんせん人狼が最強の獣人とされる所以ゆえんである、格闘センスがからっきしなんだ。

 我が聡明なる妻と、娘、息子は別としても、一族の中で肩身の狭い思いをした。

 それを理由に、出稼ぎという方便でゾーラに出てきて盗みを働き、果ては同業を潰し回り、闇の世界ですら嫌われ者となった。

 代わりに一部の好き者からは大泥棒の誉れを得たが、良かったのかどうか。

 お偉いドロテホ様がこの街で迎えた結末は、退屈極まりない惨めなものだ。

 とうとう尻に火が点き、悪党どもに追い回されて、泣く泣く尻尾を巻いて逃げたのさ。

 事実、この街に帰ってきたのは当時以来、約二十年ぶりということになるね。

 それというのも、どうしてもこの街でやらなければならないことができたからなんだけど、それはともかくとして」


 冗長でつまらない自分語りに過ぎない。が、聞き流すことはできない。

 ヨーゼフがなにを考えているか、なにをするつもりかがまったくわからないからだ。


「五年前のあの日、私がどこにいてなにをしていて、どんな気持ちだったのかと訊いたね……教えてあげよう。私は市外某所で性懲りもなく盗みを働いていたよ。それも二十年前この街でやっていたのより遥かに稚拙な、泥棒ごっことでも呼ぶべきクオリティの仕事をだ。

 後になって新聞で知ったよ。私が小悪党から小銭を巻き上げてゲラゲラ笑っている最中に、娘夫婦は討ち死にした。息子は孫たちを庇って教会に下り、三人揃ってベナンダンテだ。私がどんな気持ちになったかは、説明の必要があるかな?」


 ない。ダンテンと違ってヴィクターやスティングは感情感知能力がないが、彼のさほど大柄とは呼べない肉体から沸々と立ち上がるものがなんなのかは理解できる。

 突きつけられた彼自身の無力に対してすら、果たして抱いて良いのかさえ躊躇っただろう、静かな、幽かな、亡霊のような鬼火のような、だが確かに灯った怒りだ。


「娘夫婦にはもう会えない。息子は私を見たら殴り掛かってくるだろう、『クソ親父、今までどこにいやがった』とね。孫たちにも合わせる顔がない。私が彼らにできることはもうなにもないし、なんならヨーゼフ・ダマシニコフとは二度と名乗るべきでないとも思う。

 もう私には、なにも残っていないんだ。ちなみに今は探偵ごっこをやっているよ。助手も雇った、彼女が私の生きる指針だ。彼女のことは新しい孫のように思ってる、本物の孫たちより一回り年上だけどね」


 話しながらヨーゼフがさりげなく靴を脱いだのは認識していたはずだが、ヴィクターもスティングもそれを気に留めることができなかったようだ。

 さっきの脱帽と同じ流れで、土下座でもして嘆願するのかとすら、チラッと考えたくらいだった。


「彼女の欲しがるものは、なんでも与えてあげたい。もちろん意味はない。だが私にとって、今はそれが唯一意味のあることなんだ」


 それもそのはず。ヴィクターが固有魔術で閲覧したヨーゼフの肉体履歴に、彼が獣化変貌……まして五メートルほどの巨体に膨れ上がる記録など、一度も残されていなかったからだ。

 それもいたずらに筋骨密度を下げて体積だけ膨らませる虚仮威しではない。喧嘩は下手とはいえ、しっかり人狼の強度があるヨーゼフが、もはや動物よりは建物に近い魁偉と化した。


「感知と詐術に長ける血筋だと言ったね。だがもう一つ我が一族の特技がある、拡張活性だ。とはいえ格闘センス皆無の私は、力任せに殴りつけるしかできない。スティングくんと言ったっけ、君を倒すことなどできないだろう」


 ヨーゼフは複数の仮面ペルソナを使い分けることで、狂気と正気の狭間を歩いている状態だと考えた方がいい。

 探偵ダンテンはヨーゼフの絶望から生まれた存在だ。その言動や行動は本質的に無目的で、逃避と破滅の混沌を求めてもがくばかり。


「だから喜んで刺し違えよう。繰り返しになるけど、もちろん意味はない。だが僕にとっては意味があるんだ。俺にとってはないがね。私にとってはあるはずだな。私とは誰だったっけ。俺はドロテホ。僕はダンテン。私は……ないね。我に名はなし姿なし、私こそ真の亡霊さ」


 ただし、ドロテホとしての彼は明確な目的を持っている。元が代償欲求から生まれた比較的健全な仮面ペルソナだ、子孫らに起きた悲劇にもっとも正面から向き合えたのが、父でも祖父でも探偵でもなく、泥棒としてのヨーゼフだったというのは、なんとも皮肉ではある。

 そしてこの場におけるヴィクターの狙いはといえば、ヨーゼフを逆上させて襲いかからせ、スティングに返り討ちにさせるというものだったのだが、そちらも目論見が外れた。


「やーめた」


 あっけらかんと発した親友の声に、振り向かざるを得ないヴィクター。

 冷静なのは良いことだが、スティングはヴィクターの予想以上に冷静だったのだ。


「この人を倒せたとする。〈亡霊ファントム〉〈鬼火ウィスプス〉と〈芥の聖女〉を全員出し抜いて、『竜の珠』を横取りできたとする。そこから〈巫女〉を相手してようやく〈災禍〉と対峙だよ。どう考えたって無理に決まってる。師匠の言う通り、最低でもあと五年鍛えて出直すことにするよ」

「よく言ったスティングくん、英断だよ。はいというわけで僕たち『竜の珠』は諦めますね! 〈亡霊ファントム〉くんたちの勝利を陰ながら願ってやまないですよ〜さよならっ!」


 早口で言ってスティングの手を引き立ち去るヴィクターの台詞が本音だというのは、感情感知に長けたヨーゼフなら自ずとわかるだろう。

 だが拍子抜けした様子の彼は獣化変貌を解くのも忘れ、なんとかぐちゃぐちゃになった頭の中を整理しようと呟いている。


「あれ……? 困ったなぁ、これじゃ僕はティコくんに良いところを見せられないじゃないか。いや、いいのか? しかし俺が思うに、〈亡霊ファントム〉〈鬼火ウィスプス〉がテレザレラに勝つのは相当難しい。横からスティングとヴィクターを突っ込ませて掻き回させ、紛れを起こす方が……いや、ちょっと待て、そもそも私はなんのために……」


 しばらく歩いて距離を取った後で、なんとも言えない表情で口を開くスティング。


「あの人、大丈夫かな……?」

「気にしない気にしない。たまにああやって、自分がなにをしたいのかわかんなくなるみたいだけど、まあ僕らだってよくあるでしょ」

「かなぁ……?」

「あるって。スティングくんだって、〈災禍〉討伐を優先したいスティングくんと、ギャディーヤ叔父さんを探しに行きたいスティングくんとか、あとさっさと村に帰ってママを守りたいスティングくんとか、色々いるでしょ、スティングくんの中にも」

「ま、また俺をマザコンにしようとしてるな」

「してないしてない。真面目な話、ヨーゼフはもうダメだ、完全に燃え尽きてる。ヨーゼフが空元気出して無理矢理明るく振る舞ってる状態なのがダンテンだ、あれもダメだね。

 でもドロテホは足掻いてる。ドロテホは僕にちょっと似てるんだよね。ほら、さっき彼が『ヴィクターくん、君なら私の気持ちがわかるんじゃないかな?』って言ってたでしょ。わかるんだよね、僕も一族の落ちこぼれだから。

 さっき君にした質問に、僕の側からも答えておくね。僕も君と同じで、〈災禍団〉なんかを討てたところで、まったく満足できないね。

 あいつらを……ヴィトゲンライツ家の、僕の兄弟姉妹や、なにより父親を見返すためには、それこそ〈災禍〉を仕留めるくらいしかない」


 そのためにはまず〈災禍〉との顔繋ぎができなければ話にならないのだが……取り入る相手となる枢機卿やその候補が、アクエリカでなければならない道理もないのだ。

 ヴィクターとしても、再度のんびりと策を練ろうと思う。スティングの言うように、決戦は早くても五、六年後となるだろう。

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暁のファンタズマ 福来一葉 @fukurai

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