後編

 彼女は1つため息をついてから首の向きを地表に合わせる。

「75日だよ。どうせ、どっかの会社が高性能なの作ればみんな夢中になるさ」

「確かにね。あ、あそこに雨宿りできそうな所あるよ」

「マジじゃん。行こ行こ」

 私と彼女はその場所で足を休める。この世と私たちを繋げるのはこの2万円だけだ。けれどもそれを使ってどうしようとも、そのお金をどう増やそうという方法も思いつかなかった。そのリミットまでに考えつかなければ2人ともおしまいだ。


 端的に言えば、私も彼女も後先考えてしまうタイプであった。選びさえしなければいくつかお金を稼げる方法はある。けれどもそれに対するデメリットがいつも頭を衝くのだ。それは今までため込み続けた記憶のせいだろう。けれども選ぶという選択肢は無いことも承知だった。


 だけど結局、何もできなかった。私は彼女の生きるための「選択肢」を必死に止め、彼女もまたそうした。結局動くことができなくて、この雨宿りできる少しだけのスペースにずっといることしかできない。最低限生きるための食事はしたけれども、面白いぐらい東京はお金が減るみたいだ。所持金はもう金属だけである。

「ねえ、今日、なんか寒くない?」

 何もすることが無い朝でも、隣には彼女がいる。彼女は私の裾を掴んで、そしてほわあ、と息を吐く。いつの間にかそれが白くなる季節になってしまったようだ。


「うん。今日は……もう12月の、あれ何日だっけ」

「じゃあ、あそこのスクリーンていうかビジョン行こうよ。最近立つか座るかしかしていないんだし」

「そうだね」

 彼女はまたゆっくりと立ち上がって、自然光を纏った街を歩くことにした。


 街ではクリスマスソングが流れ始め、オーナメントやら関連商品の販売競争がいよいよ過熱している。恐らく1週間前だとかそこらの、折角生み出した価値をゼロに絶対しない、という気概を感じられた。その隣にはすっかり年末年始のグッズも売られている。知っていたことだが日本人の宗教観はそこそこ特異なのかもしれない。


 5分ぐらいで例のビルに着く。今日は16日。大方の予想は当たっていた。

「けれどみんな凄い恰好してるよね。私たちとは大違い。東京は暑いから大丈夫だと思うけど……」


 その帰り、少し汚いけれどまだ使えそうな毛布を持ち帰った私と彼女は、それにくるまって空を見上げていた。宝石のように輝く街に朝よりもさらに冷たい空気が降りたようだ。彼女のその嫌な予感は的中することとなり、私は思わずため息をついてしまった。

「大丈夫だよ、大丈夫。ほら、毛布もあるじゃん」

 彼女はさっきまでの不安が的中ことを消し去るように笑う。それに対して申し訳なくて、私は彼女の手をそっと握った。

「どうしたの!? 五十嵐君」

「ううん。なんでもないよ」


 次の朝、体感的には10℃を切っているのだろうか。外で生きる私と彼女には辛い季節がやってくる。もう動こうという気も無くて、ただ毛布にくるまるしかない。互いの身体、それだけが互いを温めうるもので、気づけばトイレ以外は密着して過ごすようになった。残りのお金を使うのは怖くて、食べない時も増えた。

 ある日、彼女の体温が感じられず早くに目が覚める。自分だけが毛布を被っている。


 彼女は1人そこで眠っていた。彼女の身体に触れると、彼女は毛布がいらないぐらい熱を帯びていたのだ。

「みたちゃん! みたちゃん!」

「あ、五十嵐君……。ごめん」

「ごめんなわけないでしょ! 毛布被ってて、今なんか買ってくるから」

 私は近くのコンビニへと急ぐ。風呂に入っていないなんて気にすることなく、1個のヨーグルトを買った。

「これ。ちゃんと食べなきゃ。あと、落ちてたんだけどハンカチ。今どっかで濡らしてくるから」

「ごめん。たくさんお金使わせて」

「そんなこと言わないで。君が死ぬのに比べたらわけ無いよ」


 それでも、彼女の容態は良くなることはなかった。彼女は日に日に衰弱し、ついには水でさえ喉を通らなくなっていた。風邪薬は高くて、ハンカチを取り換える以外何もできない自分に腹が立つ。街は赤と緑の光に染められていて、けれども私の心は絵の具の赤と緑に混ざってゆく。

「ねえ」

 声も出していなかった彼女が、突然話しかけてきた。

「私、そろそろ死にそうだね」

「分かるのかよ」

「なんとなく」


 「絶対生かしてやる」だとかそんな無責任なことは言えなくなった。そして身体のことはその持ち主が一番分かるはずだ。

「……ごめん。俺が行動してれば」

「謝らないで。どうせ私が止めてたんだし、五十嵐君だってきっとそうしたでしょ?」

「それでも俺なら多分耐えれた。俺はみたちゃんを死なせたんだよ」

「そうかな? 分かってたじゃない。こんな運命になるのは。それよりも私が私として、あなたがあなたとして生き続けれられて嬉しかったの」

 彼女は瞼をパチパチさせてから、私に向かって微笑んだ。

「けれど、最期の記憶があなたで良かったよ。あんな場所じゃなくて。ほら、今クリスマスカラーの、こんな綺麗な光の下で、あなたと一緒」


 肌寒い夜、彼女は少しだけ身体を起こす。

「ねえ、五十嵐君? 私はあなたの特別な何かになれた?」

「急にどうして」

「死ぬまであと数時間だよ。ちゃんと答えて」

「俺にとってみたちゃんは特別な存在だよ。だから、だからこんなことをした俺を忘れてくれ。それが一番特別なことの証だから」

「それは難しいことだね、とてもできないや」

 彼女はゆっくりと倒れ込み、そして私の手を弱弱しく握る。

「おやすみね。また」

 2度と、彼女が立ち上がることは無かった。亡くなったというのに、彼女は美しくて、まだその魂がそこにいるように感じる。せめて次の世界ではお金には困らないで、と残りのお金を彼女のポケットに入れた私は何度も手を合わせた。


 十数年ぶりに見たのであろう、あの外界の景色とほとんど変わらない光に包まれるこの街で、しばらく彼女を見つめる。知っているはずのこの世界で、私は知らない恋をしていたのだろうか。彼女を充分に見届けた私は幾分咳をしてから歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶をどこかへ置いてきて かけふら @kakefura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ