にんぎょと内緒話

 休日の昼下がり、キッチンでトマトを切っていた百瀬は、ふと、その手を止めた。なんだか懐かしい香りがした気がしたのだ。


「ちょっと、お父さん、何ボーっとしてるの?」


 隣でボウルの中の引き肉と格闘していた娘の茉凛まりんから注意が飛ぶ。


「ああ、ごめんごめん。ちょっとお母さんの事思い出してた」

「へえ? どんな?」

「昔、一緒に餃子作ってたなあ、って」

「えー? それってやっぱイタリアン?」

「そう、イタリアン。チーズ多め」


 茉凛はひゃー、と歓声を上げてひき肉にバジルソースを投入した。もうすぐ20歳か。早いものだ。


「なあ茉凛」

「ん?」

「ちょっとさ、お前の体質に事で話あるんだけど」

「え、なに急に」

「お前も20歳になるしな。そろそろ話しておかないとと思って」


 茉凛はひき肉を捏ねながらちらっと百瀬を見ると、悪戯っぽく微笑む。


「やっとか。でもお父さん、たぶんそれ私知ってる」

「知ってる?」

「うん。聞いてる聞いてる。実はとっくに」

「嘘だろ? 誰からって……、ああ、そうか」


 百瀬がため息を吐くと、茉凛は快活に笑った。


「あははは。そうそう、お母さんからメッセ入ってたよ。今、福井のあたりだって」

「福井!? 嘘だろ。日本海側まで行ってんのか?」

「ふふ。今回はねー、気合入ってるみたいよ。私の20歳っていうか? 20周年の記念イヤーだからっていうか? 長く一緒にいたいからめっちゃ鍛えてくるって。日本1周が目標らしいよ。誕生日には間に合わすって」

「お前、そこまで聞いてたのか」

「うん。学芸員で出張の多いお母さんにね」

「やれやれだ」


 百瀬はもう一度溜め息を吐いた。にんぎょが人間でいるためには、膨大な体力が必要だそうだ。長く人間の姿で生活するには、ものすごくトレーニングして鍛えないと持たないらしい。


 そしてにんぎょも、加齢とともに体力が落ちてくるため、どうしてもだんだん海での生活が多くなってしまうそうだ。にんぎょ当人が言うには。


「私の20歳のお祝いは適当でいいから。2人でイチャイチャしてていいからね。愛されてますなあ。ヌフフフ」

「ヌフフフじゃないが。ほら、餡を包むぞ」

「はーい」


 まったく、誰に似たんだか。それでもまあ、2人とも楽しそうで何よりだ。もちろん、百瀬自身も。


 茉凛の誕生日まで、あと1週間。生のバジルと新鮮なトマト、それにそうそう、マスタードも買っておかないと。あとはそうだな、――花束を。



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人魚と内緒話 吉岡梅 @uomasa

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