夾竹桃

すらかき飄乎

夾竹桃

溝臭どぶくさ御濠端おほりばた

草熅くさいきれの土手。


黴雨つゆも明けぬのに、陽射ひざしいよ〳〵威武ゐぶを誇り、土埃つちぼこりも揚らぬ程に四圍しゐあつする。


欅竝木けやきなみき日蔭ひかげつたつて蹌踉さうらうたるを進める。


乾いた土の上には、幾つもの蟬の屍骸。

同胞はらからとぶらふ筈の慟哭どうこくは、却つて陽性にけたゝましい。


黴雨つゆも、だ明けぬと云ふに――


旦那どうです? 一つ乘せませう


辻待つじまち俥屋くるまやが頭を下げた。

其男そのをとこむかうで辨當べんたうを使つてゐた仲閒なかまの一人が、咀嚼そしやくを止め胡亂うろん目附めつき此方こちら一瞥いちべつする。


慌てゝ手を振つて斷つたら、口に物を入れたまゝ窺つてゐた俥夫しやふが、唇の端を上に歪めてふんと鼻を鳴らした。

それ合圖しほ傍輩はうばいから蟬騷せんさうしの哄笑こうせうが起る。


凋落てうらくとはく。


嗤聲しせいを尻に停車場ステイシヨンに至る。


待合所には、余一人切よひとりきり

長椅子に腰を下ろした途端、どつと汗が吹出た。

天井の扇風機はうん〳〵うなつて、温氣うんきをゆる〳〵搔回かきまはばかり。

麥稈むぎわらの帽を脫ぎ、單衣ひとへえりくつろげて、頻りにあふぎを使ふが、拭つても拭つても天窓あたまから額や頸に汗がしたゞる。


入口にをとこが立つた。


見遣れば、四角に區切くぎられた枠の內側に、パナマを被つた脊廣せびろ形象シルエツトくらい。

對照的たいせうてきに眩しい背景には、夾竹桃けふちくたうが毒を含んで咲猛さきたけつてゐる。


近附いて來る所を見ると、どうやら半知りの顏である。

りゆうとした恰好なり何如いかにも立派だが、麻とは云へ三揃みつぞろひは隨分暑からう。

挨拶をしたものかどうか、躊躇ちうちよしてゐると、是見これみよがしに知らぬ顏を作つて余の前を行過ぎた。

おや〳〵どういふ了簡れうけんだらうか。扇風機の眞下に陣取り、胴衣チヨツキ衣嚢かくしから埃及烟草エジプトたばこを取出して金口をくはへた。

烟草を呑みながら、ちら〳〵と余を窺つてゐるが、此方が顏を向けるとさつと目を逸らし、口髭のさきを捻つてゐる。


莫迦にしてゐる


憤然と立上りつか〳〵詰寄つめよつた途端、紳士らしからぬ大聲おほごゑ呵呵から〳〵わらひ始めた。


君、今日はじつに葬式日和ですね


異な事を云ふものである?

……!


をとこを見据ゑて、はつとした。


靑白い顏がしとゞに濡れてふやけてゐる。

撥上はねあげた髭の尖にも露の玉が結んで、今にも零れ落ちさうに光る。

汗なんぞではない。

あまつさへ、カラ襟飾えりかざりのみならず、白い上着も、胴衣チヨツキも、洋袴ズボンもじつくりと濡れ、ぽた〳〵雫が埀れてゐる。


鼻腔びかうを襲ふ强烈な匂!

溝臭どぶくささと、さうして――


思はず掌で鼻と口とを覆ひ後退あとしざる。


哭女なきをんなをね、さうだ、三人ばかり雇つて貰へませんか?

なあに、日本人でなくつても、支那人でも、朝鮮人でもいんです

一つ、けたゝましく遣りませう

黃白おあしをたんとはづんでね


蟬はいよ〳〵激しく啼立て、表の夾竹桃が一層いつそう絳玄あかぐろ脹上ふくれあがつたやうである。




                         <了>










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夾竹桃 すらかき飄乎 @Surakaki_Hyoko

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