春の花嫁

 アインマールの大地に咲いた可憐な花々が、陽射しを受けながら風に揺れるある日。

 民は国一番の慶事に喜び沸いていた。

 王であるシュタールと、聖女アナスタシアの婚礼の日である。


 民は老いも若きも、男も女も、皆揃って喜び浮かれながらも準備を進めていた。

 シュタールに浮いた話のない事を心配していた古老たちは漸く安心できる、と頷き合い。

 その様子を見て、獣人ではない女性が王の傍に在る事を憂いていた事など忘れた顔だ、と若い者達は苦笑している。

 アインマールの獣人達は、始めから異邦の人間を受け入れたわけではなかった。

 最初は、敵国から来た異種族の女、と警戒して遠ざけていた。

 薄く微笑み続けているけれど、本心の見えない信頼できない相手だと。

 けれど、王に寄り添われながら、彼女は次第に作られた笑顔を捨て、本心で民に向き合ってくれるようになり。

 か細い身体で必死に、アインマールの為に、民の為に駆け続けてくれていた。

 今やアナスタシアを拒む者など何処にもいない。聖女は、アインマールにとって無くてはならない、かけがえのない存在であるのだ。

 彼らの王が、アナスタシアを花嫁に迎えると宣言した時、皆の歓喜の声が都のあちこちで響き渡った。

 お互いを想いあっているのが見てわかるのに、随分と焦らされたものだと笑いながら、男達はジョッキを打ち合わせた。

 女性達は準備を頑張らなきゃと大張り切り、子供達は大人達が心躍らせているのを見て楽しそうに駆けて回った。

 アインマールに春を取り戻してから初めての、それも救い主と言っても過言ではない二人の婚礼である。

 二人がそこまでは、と苦笑いしても、皆は出来る限りの心を尽くしたいと準備の手を止めなかった。

 王と聖女の婚礼は、春が来て、新たな歩みを始めたこの国にとって始まりの象徴。

 その心を思えばこそ、アナスタシア達もあまり強く止める事は出来なかった。

 人々の心が一つになり、糸をより合わせて紡ぎ、織りあげていくように。

 皆が待ち望んだその日が、漸くやってきた。



 雲一つない晴れ渡った蒼穹を見た人々は、天が祝福しているのだと頷き合った。

 皆は連れ立って、一つの方向に――城へと晴れやかな笑顔で足を向ける。

 多くの人々が集う城の広間に、獣人の精霊への信仰にのっとった祭壇が設けられていた。

 感極まった様子の人々が見つめる祭壇の前には、二つの人影がある。

 手ずから縫い上げた頭飾りをつけ、淡い色の布地を覆う程に様々な祝いが刺繍された婚礼衣装を纏った、眩いばかりに美しい花嫁と。

 功績を讃えた戦士としての礼装に身を包み、花嫁の手をとる怜悧な美貌の花婿の姿が。

 祭壇を前に、アナスタシアとシュタールの誓いの儀式は執り行われた。

 アインマールの司祭のもと。

 喜びに微笑む新しい精霊と、ロイエやフロイデを始めとした側近達と、集った大勢の人々の見守る前で。

 この地に春を呼んだ聖女と獣人王は、誓いを交わし、夫婦となった。



 式を終えた二人が連れ立って城から広場へ歩みを進めると、城に入りきれなかった人々が歓声をあげて出迎える。

 偉業を成し遂げ新しき時を導いてくれた王と、王を支えて奇跡を齎してくれた王妃を讃える声が二人の進む先に響き渡り続けている。

 アナスタシアの手を取り、気遣いながら進むシュタールだったが、婚礼の前にある事を気にしていたのだ。


『婚礼だというのに、金も銀も、宝石もないが……』

『私にとって、皆が心を込めて刺繍してくれたこの衣装に勝るものはありません!』


 本当に良かったのか、と言いたげなシュタールの言葉を、アナスタシアは首を緩く左右に振りながら遮った。

 シュタールは、アルビオンでは、婚礼に際して美しい絹地に眩い刺繍や襞飾り、宝石の装飾と贅を尽くすのだと聞いている。

 それなのに、このような素朴な衣装で良かったのだろうか、と気にしている様子だった。

 しかしアナスタシアは、どうしてもアインマールの婚礼衣装で婚儀をあげたかったのだ。

 周囲の女性達から、この国では婚礼衣装に使う布は嫁ぐ大分前から花嫁が様々な祝福を意味する文様を刺繍していき、嫁ぐ段になってから手ずから仕上げると聞いたのだ。

 その話を聞いて、前々から羨ましいと憧れていた。

 確かにアルビオンの婚礼衣装は美しく豪華であるが、アナスタシアの心は祖国のものよりも、この国の心づくしの装束に惹きつけられていた。

 結婚が定まったアナスタシアが、その願いを訴えると皆は大層喜んだものだった。

 だが、一から一人で始めては王が待ちくたびれてしまう、と集った女達は思案して。

 都の女性達が手伝い、それぞれ少しずつ刺繍を施していく事を提案したのだ。

 女性達は、刺繍を始めたばかりの少女に至るまで是非とも自分も、と裁縫道具を持参して集まった。

 離れた集落からも、自分も祝いを刺繍させて欲しい、と次々やってきた程だ。

 フロイデは当初、祝いたい気持ちはあるけれど……と拒んでいたものの。

 結局、兎の獣人の心からの祝福は、少しばかり歪な線を描いて婚礼衣装を覆う文様の一部となった。

 実は、アルビオンの王太子やフロースの皇帝が、結婚祝いと共に花嫁衣裳に使う絹地や金糸に銀糸、宝石をと申し出ていたのだが。

 全部を断って、お祝いというならばその分は、と土地の開墾や街の整備に必要な機材を願ったのはアナスタシアだった。

 二人の国主はしっかり者の王妃に笑みを浮かべつつ、祝いの意味で色をつけながら望んだ品を送ってくれた。

 婚礼には多くの人の姿があったが、花嫁の家族の姿は一人もなかった。

 アナスタシアは、一度だけ両親に手紙を送っていた。

 エリオットが罪を糾弾され廃嫡された余波を受けて、アナスタシアの実家である公爵家もとり潰しとなったらしい。

 王太子を惑わせ、国内を揺るがせたマデリンの罪に連座したのだという。

 伝え聞いたところによると、屋敷も財産も全て没収され、一族は王都にいることはできなくなったとの事だった。

 結果はわかっていたけれど、それを聞いたアナスタシアは、両親にアインマールに来るならば住まいを用意するという旨の手紙を送った。

 返事が来ることはなかった。

 どうやら両親達は母の姉、つまりはサイサリスの母を頼ってフロースに向かったという。

 サイサリスが二人をどう遇するかは分からない。

 だが、もうアナスタシアは知らずとて良い事なのだと思う。それが両親の選んだ道であり、アナスタシアが選んだ道なのだから。

 人々の歓声に微笑んで応えながら、若い国王夫婦は歩みを進める。

 集った群衆の中には、ちらほらと獣人以外の姿を見受けられる。

 彼らは、アルビオンからこの国を訪れていた者達だった。

 アルビオンにてかつてアナスタシアに救われた者達の中には、アナスタシアを慕い、アインマールとの交流を望む者が日に日に増えているという。

 彼の国の役に立てることはないだろうか、と様々な者達が声をあげているというのだ。

 勿論、全てが全てこの国に合うものであるか分からない為、すぐに受け入れるとは言い難く、現在検討を重ねている最中だ。

 けれど、アインマールに寄り添いたいと願う心を、二人は嬉しく思っていた。

 やがて、歓声の波と共に二人は広場に姿を現した。

 感極まって涙する者達、祝いの楽を奏する者達。声の限りに祝福を叫ぶ者達で、広場は地面が揺れているのではないかと錯覚するほどに沸き立っていた。

 アナスタシアの目にも、涙が薄くにじんでいる。

 人々が自分達を祝福してくれているのが、胸が一杯に満ちる程に伝わってくる。

 受け入れられた事、認められた事。この国の一部になれた事を改めて感じて、熱い想いが溢れだしそうになる。

 そんなアナスタシアを、シュタールは眩しそうに目を細めて見守っている。怜悧な美貌の王が妻に向ける眼差しには、零れんばかりの温かな慈しみと愛情が籠っている。

 集った人々が沸き立つ中、幾人かの子供達がアナスタシアへと駆け寄ってくる。

 どうしたのか、とアナスタシアがしゃがみこんで目を合わせると、子供達は手にしていたものをアナスタシアへと差し出した。


「アナスタシア様!」

「これ! お花の冠!」


 それは、花で編んだ花冠だった。

 子供達が語るには、子供達が遊び場にしていた場所の近くに花が咲き始めたかと思えば、瞬く間に一面の花畑となったのだという。

 はしゃぐ子供達が何かアナスタシアにお祝いをしたいと考えていた時、フロースから来た研究者の女性が、冠の編み方を教えたのだという。

 子供達は精一杯に作り上げた、少しだけ歪んだところがある明るい色の花冠をアナスタシアに差し出した。

 正装のアナスタシアとシュタールに、子供達は少しだけ緊張している様子である。

 やっぱり止めたほうがよかったんじゃ、と不安そうに呟く子供もいる。

 アナスタシアは言葉を紡げずにいた。

 あまりに、嬉しすぎて。喜びに涙がこぼれてしまいそうで。

 常冬の地では目にする事すら叶わなかったはずの、春の象徴とも言える冠。

 それを、これから季節巡るこの地に生きていく、未来の象徴とも言える子供達が編んだ。

 ありがとう、と喜びに震える声でいうのが精いっぱいだった。

 子供達から花冠を受け取ったシュタールは、丁寧な手付きで編み上げられた春の色をアナスタシアの頭上に載せた。

 優しい彩りの冠は、人々の心づくしの衣装を纏った王妃にとても美しく響き、調和する。


「ああ、綺麗だ」


 シュタールは万感の思いを込めて呟いたかと思えば、花嫁を逞しい両腕で抱き上げた。

 彼の突然の行いに戸惑うアナスタシアを見て嬉しそうに目を細めながら。

 シュタールは自分を見るはしばみ色の瞳を、柔らかな光宿す銀灰の瞳で見上げて言った。


「……春の花嫁だ」


 噛みしめるように言われた言葉を聞いて、アナスタシアは少しだけ目を瞬いて。

 やがて、輝くような笑みを浮かべると、細い両腕を夫の首に回し抱き寄せた。

 見守っていたフロイデの人々の目には涙が溢れ、ロイエもまた祝いに手を打ち。人々の喜びと祝福の声は一層高まり、王都に響き渡った――。



 『白の荒野』と呼ばれた獣人達の国において、後の世に『救国の王』と呼ばれる国王と『春告げの聖女』と呼ばれる王妃にまつわる物語は、ここのひとまずの区切りとなる。

 アインマールの国は、諸国と順番に国交を結び、正式に国家として認められていき。

 同時に、雪と氷に閉ざされていた大地は緑の色を取り戻し、豊かな実りと恵みを齎すようになり。アインマールの地はやがて豊穣の大地と称されるようになっていく。

 未知の獣人を恐れていた者達も実を知るに至り、様々な形での交流が活発に行われるようになり。

 アインマールは、穏やかに満ち足りた繁栄の時代の始まりをここに迎えた。

 それと同時に、人々は長く語り継ぎ続ける。

 かつて、この地は冬に閉ざされて居た事を。それ故の、厳しく悲しい歳月があった事を。

 繁栄を享受することに溺れ、大地への感謝を忘れぬ為に。

 喜びの時代を導いてくれた王と王妃に対する感謝を忘れぬ為に……。


 春の花嫁は、幸せに微笑む。

 何時の日か、の願いがもたらした緑と彩が溢れるこの大地が『白の荒野』と呼ばれる事は、もう無いのだと――。

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追放された聖女は、白銀の獣人王に愛され春を告げる 響 蒼華 @echo_blueflower

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