第6話 舞踏会の夜
五日後、は直ぐに来た。
王城の窓から視線をやると、遠くに華やかな景色が広がっているのが見える。色とりどり、美しい色彩が、目に楽しい。奏は窓の外を眺めながら、「今日って凄く大きなお祭りなんですね」と、支度を手伝ってくれている侍女に声をかけた。
侍女は、奏の言葉に軽く瞬く。藤色の髪を後ろで結い上げ、シンプルなメイドドレスに身を包んだ女性は、ステリア、と言う。
以前、奏が彼女の怪我を治し、お互いに恐縮してお互いに笑い合ったあの日から、話す機会が増えた。
「そうですね、花々の季節の祭は特に盛大なものが多いです。城下を彩っているのも、全て生花なんですよ」
ステリアは、奏より少しだけ年かさの女性だ。
快活で、更に言えば勤勉な人で、様々な事情にも明るい。
それもあって、こうやって支度を調える間など、奏の良き話し相手になってくれる。
「花を渡してダンスを踊るって、殿下から聞いたんですけれど……」
「貴族の人達はそうなんでしょうね。私達みたいな庶民の間だと、花は渡しますがダンスは踊りません。花を渡すのは、むしろ、婚姻などの約束を意味することが多いですね」
「へええ……」
貴族と、庶民の間で、花を渡す意味合いが違うらしい。そういった辺りもなんだか面白いな、なんて思いながら、奏は瞬く間に整えられていく自分の姿を鏡越しにじっと見つめる。
喋りながら、どうしてこんなにも綺麗に整えることが出来るのだろう、なんて思いつつ奏は結い上げられた髪に手を添えた。
「少し待ってくださいね。花を添えます」
「花を?」
「はい。この日は、多くの人々がどこかしらに花を飾るんです。聖女様の髪は薄い茶色なので、華やかな色の花が似合うかと。生花ですが、明日の昼までは状態を維持するように魔法がかけられているんですよ」
途中で花弁が零れ落ちたり、萎れたりする、というような懸念はしなくて良いようだ。
ステリアはいくつかの花を用意すると、それらを一輪ずつ、奏の頭に当てて試す。数回の試行錯誤を繰り返した後、一本の花に決めたようで、それを奏の髪に優しく取り付ける。
白い花だった。大ぶりの花弁が、結い上げられた髪を彩るように揺れているのが鏡越しに見える。
「出来ました。いかがでしょう」
「ありがとうございます、素敵ですね」
指を伸ばして触れそうになって、寸でのところで止める。触れたら、この繊細な花弁を、壊してしまいそうな気がした。
ドレスは既に着用している。フェリクスの兄、アレウスから送られてきた物だ。
アレウスは奏をパーティーに招待するにあたって、ドレスや小物の類いを先んじて用意してくれていたらしい。
サイズとかどこで知ったのだろう、と思うが、それを考えるとそもそも最初、聖女として保護されてから着るようになったドレスだって、奏の体にぴったりな誂えをしていた。
多分、どこかから、奏のサイズなどは漏れているのだろうな、と思う。それを悪いとは、思わない。そういうものなのだろうな、と納得している。
淡い桃色がかった美しい白銀のドレスは、スカートが鐘のようにふんわりと広がっている、いわゆるベルラインの形をしていた。胸元には宝石を煮溶かしたような青色の糸で、花の意匠が華美にならない程度に刺繍されている。
肩や鎖骨の辺りは、『聖女』という存在であるからか、あまり出さないようにされているようだ。
袖は多段のパフスリーブになっていて、二の腕と肘の辺りできゅっと絞られている形だ。手首を覆うのは、フェリクスから渡されたレースの手袋で、なんだか、見た目からして清楚さを感じさせる出で立ちになっている。
「うーん、凄いなあ……」
「お似合いですよ」
ステリアが笑った。奏はその笑い声を聞きながら、鏡に映った自分をじっと見つめる。
お似合い、かどうかはわからないが、今からパーティーへ赴く人間の姿としては、許されるような出で立ちをしているように思う。
問題無いはずだ、と、思いながら、奏は頷いた。
「ありがとうございます、ステリアさん」
「もう。聖女様、私のことはステリアとお呼び下さいと、何度も」
ステリアは、自身の主を言い含めるように眉根を寄せると、直ぐに破顔した。祭の日に、これ以上言うのも野暮だと思ったのだろう。仕方無いな、というような感情を一欠片乗せた表情で、奏を見つめてくる。
「楽しんできてくださいね」
「はい。楽しんできます」
「踊りも、フェリクス殿下に教わっていると伺いました」
「少しだけ、です。まだまだ全然形になっているとは言いづらくて」
簡単なステップだけは、なんとか一つ、二つ、覚えた。それが現実で通用するかどうかはともかくとして。
最初の頃は何度も転びそうになり、その度にフェリクスが支えてくれた。フェリクスが居なければ、今頃奏の体は傷だらけになっていただろう。
「……」
ステリアは一瞬、何かを考えるように視線を揺らした。僅かな間を置いて、「差し出がましいことですが」と言葉を震わせる。
緊張の走った声だった。奏がステリアを見ると、存外真剣な感情を宿した瞳と、視線が合う。
「……どうか聖女様、フェリクス殿下のお傍に居てくださいね」
「それは、もちろん。絶対に離れません!」
フェリクスが奏から離れようとするならともかく、奏からフェリクスの傍を離れるなんてことは、絶対に無いだろう。
頷いて返すと、ステリアはほっとしたような表情を浮かべた。
「聖女様の傍におられる殿下は、楽しげですから」
「……嘘を吐いた時に反応が返ってくるのが楽しいから、では無いでしょうか……」
「ふふ。いえ。――私は、長い間、ここに勤めていますが、フェリクス殿下はここのところ、とても楽しそうですよ。聖女様がいらっしゃったおかげですね」
褒められている、と思って良いものなのだろうか。判別がつかず、奏は苦笑を返しながら、そっと外へ視線を向けた。
ステリアと話したり、室内で本を読む内に時刻が過ぎた。時刻が近づくにつれて、そわそわとしそうになる心を必死に落ち着けていた頃、フェリクスが奏を迎えに来た。
綺麗だね、そろそろ行こうか。告げられた言葉が軽すぎて、なんだか天気を口にしているように響く。雨だね、傘持って行きなよ、くらいの質量だった。
「……なんだか、パーティーを怖がっているのが馬鹿みたいに思えて来ました」
「そう? というか、今更何を怖がる必要があるの。僕が傍に居るんだから、大丈夫だよ」
「絶対ですよ……! ……嘘吐いたら怒りますよ」
「嘘じゃないよ。こういうときは嘘を吐かないんだ。僕、時と場所と人はわきまえているから」
それを普段もわきまえて欲しい、と思いながら奏はフェリクスと共に廊下を歩いて行く。王城の一階には、吹き抜けのホールのような場所があり、そこでパーティーが開催されている。
続々と貴族達がホールに入っていくのを眺める。どうやら入場した際に名前と爵位を告げられるような形になっているらしい。不審者が潜り込まないような策なのだろうが、それにしたって目立つ。
室内からは華やかな音楽が響いてきて、美しく磨かれた床面を光が反射する。等間隔に備え付けられた窓は大きく、それを覆うカーテンもまた、重厚さを感じさせる色合いで垂れ下がっていた。
談笑の声音が音楽の合間を縫って耳朶を打ち、来賓者に食事や飲み物を配る使用人たちが滑るように床を歩いているのが見える。
立食、というよりは、隅の方にいくつかあるテーブルセットを使い、座って食事をするようだ。会場の中尾はダンスホールのようになっていて、そこで数人が先んじて踊り始めているのが見える。
そんな中に、私は、フェリクスと共に足を踏み入れた。扉の傍に立っていた男性が、朗々と声を上げる。
「ルーデンヴァール王家、フェリクス殿下! そして、聖女、奏様!」
広い室内に、けれど男性の声はひどく大きく響いた。場を緊張感が走り、一瞬、何もかもが水を打ったように静かになったようにすら感じる。
人々の視線が、まるで圧のように奏とフェリクスに向かう。ここまで大勢の人々の視線に晒されることなんて、あまり無い。一瞬だけ足が止まりかけて、奏は浅く呼吸をした。
(――大丈夫、大丈夫だから)
心の中で自分を奮起するように、何度も言葉を囁く。心臓が耳元で鳴っているような心地すら覚える空気の中で、フェリクスが囁いた。
「奏。――次に来場する人に突撃されてもかまわないっていうなら、キミと一緒にここに立っていてあげるよ」
奏はフェリクスを見る。美しい金色と緑の虹彩が、奏を見つめていた。悪戯っぽく細められたそれに、奏はふ、と足元が軽くなるような心地を覚える。
歩こう、と言わない。――強制するのではなく、奏たちの後に来る人々に突撃されるまで、一緒に居る、と言ってくれた。たぶん、フェリクスは本気でそうしてくれるのだろうな、と思う。
それがわかったから、奏は眦を落として笑った。
つられたように、フェリクスはふ、と息を零すようにして笑う。奏の手を恭しく取った。
「……それは嫌なので、歩きます」
「うん。行こうか。席は決まっているんだ。ちょうど、真っすぐ向こうだよ」
奏が歩くのに合わせて、フェリクスが足を動かす。沢山の人々の視線は、やはり緊張する。
――だが、例えば、奏がこの場所で転んだり、なにかしら失態を犯したとき、たぶん、誰よりもフェリクスが一番に反応し、楽し気に笑うだろう。
そして、さんざんに笑った後に、奏の失態をからかって、奏の気持ちを軽くしようとしてくれるはずだ。
(緊張、解けてきたな……)
つないだ手のひらから、するすると零れるように『緊張感』や『焦り』といったものが消えていく。
フェリクスと奏の席は、王家の人々が座るであろう席の傍に用意されていた。ボックス風の席で、机を丸型のソファーが囲っている。
二人以上座っても、まだ余るくらいにはソファーが大きい。そこに腰を下ろして、ようやく奏はほっと息を吐いた。
そうして、同じように腰を下ろし、傍に立っていた使用人に飲み物を頼むフェリクスを見つめる。
「奏は何か飲む? お酒や、そうでないなら果物で香りづけをした水や飲み物があるけれど」
「――あ、えっと、じゃあ、あの、水……み、水でも大丈夫ですか?」
「いいよ。じゃあ、よろしくね」
飲み物を待つうちに、食べ物が少しずつ机の上に置かれていく。色とりどり、かつ、種類も様々な料理の数々は、目を楽しませる。
「これって食べても……?」
「目の前にあるのに駄目、なんて言うわけないでしょ。良いよ。食べると良い。ここでの食事は信頼できるものの手が入っているから、毒や薬を盛られる心配も無いからね」
「……そういうものが盛られる心配を、一切していませんでした」
盛られたところで、たぶん、奏には効かない――はずである。他人の毒や呪いは浄化出来るのに、自分だけ出来ない、ということはないだろう。
フェリクスは静かに笑うと、良いことだよ、と囁いた。
ほどなくして、飲み物が届けられる。フェリクスも同じものを頼んだようで、奏に先んじて受け取り、一口だけ含む。そうして直ぐにテーブルにグラスを置いた。
奏も同じようにグラスを受け取る。水の入ったグラスの縁に、飾り切りされたフルーツが差し込まれていた。口をつけると、甘い香りが鼻を抜けていく。
「おいしい……」
「良かったね」
同じ物を頼んで、口に含んだというのに、フェリクスは食事に対して全く感慨のようなものを見せない。
食べ慣れたり、飲み慣れているからこそ、奏のように一食一食に大げさな反応を示すことはないのかも――と考えて、奏は心中で首を振る。
以前、一緒にアフタヌーンティーのようなことをしたときは、美味しそうに食べていた。だから、多分、今回の飲み物に関しては単純に好みではなかったのだろう。
……好みでは無いものを頼んだ意味は、奏には全くわからないが。
「それよりキミ、食べ過ぎてお腹を痛めたら駄目だよ」
そんなことはしない。――はず、である。
ただ、パーティーという状況であるということ、さらに言えば様々な視線に晒されていることもあり、もしかしたらいつもより多く食べてしまう可能性はある。緊張で満腹中枢がバグってしまう――というのは、無きにしもあらずだろう。
水に口をつけていると、不意にソファーに影がさした。見ると、男性が立っている。
背もたれに手を付き、銀色の礼服に身を包んだ男性は、見覚えのある顔立ちをしていた。濃い藍色の髪は短く切りそろえらえていて、清潔感を覚える。
目元の彫りが深く、鼻梁も高い。フェリクスは美人系の顔立ちだが、目の前の人はどこか男らしさを宿した顔立ちをしている。
赤色の瞳が、奏のことを見つめる。年は三十近くだろうか。快活そうでありながら、どこか厳粛とした雰囲気が滲む顔を、柔らかく崩しながら、「聖女様」と奏に声をかけてくる。
「あ、――アレウス殿下。この度はお誘いいただきまして、誠にありがとうございます」
慌てて立ち上がり、その場で礼を取る。アレウスは手のひらを軽く振ると、「堅苦しい挨拶は良い」と首を振った。
「楽しんでいただけているなら何よりだ。――フェリクスも」
「兄上、ご機嫌麗しく存じます。ルーデンヴァール王家のご威光が栄えあらんことを」
「フェリクスまで……祭の場とはいえ、そんな風に堅苦しい挨拶はせずとも良い」
アレウスは快活に笑うと、奏の傍に体を寄せた。
「それにしても、このような場で聖女様とお会いするのは初めてではないかな? 私がいつ誘っても、フェリクスからつれない言葉が返ってきてね」
アレウスは耳打ちするように「弟は、聖女様を籠から出したくないらしい」と囁く。
その声は、喧騒の中であってもフェリクスに届いたようだ。フェリクスは一度、二度、と瞬いて、柔らかく微笑んで見せる。どこまでも美しい、――寸分の狂いもない、笑顔だ。
「籠なんて。私は聖女様が幸せになるように、と取り計らっているだけです」
「どうだかなあ、まあ良い、楽しんで行ってくれ。――そうだ、フェリクス、次の挨拶に向かうから、お前も来い」
「私も、ですか?」
「ああ。フェリクス、お前は気付いていないかもしれないが、怖い顔をしている。お前が聖女様の傍に居ると、誰も聖女様に近づけないだろうが。一旦離れろ」
アレウスが呆れたように言葉を続ける。――確かに、来場からひしひしと視線は感じるものの、誰も近づいてくる様子が無い。
アレウスの言う通り、周囲をフェリクスが見てくれていたのだろうか、と思うが、そんな風に鋭い視線を向けるような場面を見た覚えはなかった。首をかしげているうちに、フェリクスが眉根を寄せて、悲しそうな顔をする。
「兄上。聖女様はパーティーに不慣れです。であれば、私が傍に居ることで、お心が安らぐこともあるでしょう。私を怖がって近づいてこれないというのであれば、その程度の興味しかお持ちではないのでは」
「お前は敏いが、時々言葉がきつくなるな。注意しろ。ほら、行くぞ」
フェリクスの肩を、アレウスが叩く。フェリクスは静かに吐息を零すと、奏の方を見た。
「離れないと言ったのに、ごめん。すぐに戻るから、何もせず、何かあったらすぐに助けを呼ぶこと。良いね」
「は、はい」
早口に告げられて、奏はあわてて何度も頷く。フェリクスは『信用ならないな』と言いたげな顔をして、奏を見つめてくる。だが、アレウスに肩を掴まれ、すぐさまに余所行きの笑顔を浮かべた。
ほとんど強引に連れられて行くフェリクスの背中を見送ってから、奏は腰を落とす。
そうしてから、目の前の食事を見つめた。色とりどりの食事は、今か今かと奏の口に入るのを待っているように見えた。
(……そういえば)
こんなに美味しそうな料理だというのに、フェリクスは、出された食事には一切、手をつけていないな――なんて、変なことがぼんやりと、くさびのように脳裏に残った。
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