第7話 誰にも譲らない
「聖女様は本当に何もかもを癒すことが出来るのですか?」
「素晴らしいことですわね……! 病も呪いも何もかもを退けることが出来るなんて!」
「いやあ、本当、あの、私は、何もしてなくて、全然……! 本当に……!」
フェリクスが去ってから、すぐ、三人の貴族子女たちが奏のもとを訪ねた。奏よりまだ年若く見える少女たちは、どうやら奏に興味津々な様子で、挨拶もそこそこに、矢継ぎ早に会話を繰り出してくる。
現代でいえば、たぶん、高校生くらいだろうか。そういった少女たちが身を美しく飾り、惜しげもなく玉のような肌を晒している。それぞれが大輪の花や、小ぶりな花で胸元や髪を彩っていて、彼女たちが傍に居るだけで場が明るくなったかのようにも感じる。
「歴代の聖女様は、動かなくなった手足をも癒すことが出来たのだとか」
「聖女様がいらっしゃったということは、ルーデンヴァール王国は安泰ですわね」
「それにしても聖女様、手袋、お似合いですわ! この手首の宝石はイシュタ地方でしか採掘されないという、イシュタサイトではないでしょうか? 一体どなたから……!?」
ただ、捌ききれない量の話題を提供されると、奏はもう笑うしかなくなる。必死になって頷きながら、とりあえず、一番無難な話題を必死の思いで選ぶ。
「手袋は、フェリクス殿下からいただいたものなんです」
「手袋を? 素敵ですわね! 宝石もついていて……」
「はい。私の聖女の力が、暴走しないように、と」
「暴走? それってどういうことかしら?」
「私が誰かに触れると、意図をしていても、していなくても、相手のことを浄化してしまうんです。ですので、意図していない時に発揮しないように、聖女の力を抑えるために、用意していただいたんです」
これくらいのことは言っていいだろう、と、慎重に返す言葉を選びながら、奏は笑う。
子女たちは「大変ね……!」と声を上げた。
「聖女様には聖女様の苦労があるのですね……」
「私たちったら、それも知らずに凄い凄いとばかり……」
「いえ、あの、良いんです。大丈夫です。皆さんとお話出来て嬉しいですから。――そうだ、皆さんは、ダンス、誰かと踊られるんですか?」
少ししょんぼりとした空気になってしまったのを、奏はあわてて払拭するように手を振る。勢いはすごいが、悪い子たちではないのだろう、と思う。
聖女とはこの国において伝説上の存在なのだ。そんな存在が、自分が生きているときに現れたら、そして話せる距離に居たら――話したい、と思う気持ちだって、奏にもとてもよくわかる。
「ダンスは私、兄に誘われて踊ってきました。ほかの男性は……! 今は見定めているのです!」
「み、見定め……」
一人の子女が楽し気に声を上げる。ピンク色の花で胸元をあしらった少女は、胸を張ると言葉を続けた。
「花々の季節の十日で、ラストダンスを踊った相手とは、末永く幸せに過ごせるという言い伝えがあるのです。ご存じでしたか?」
「いえ、初めて知りました」
「でしたら、聖女様、ラストダンスを踊る相手は見極めないといけませんよ!」
もう一人の子女がぐっと拳を固めて奏に詰め寄ってきた。青色の花で髪を飾った少女は、切れ長の目元を赤くして、微笑む。
「聖女様とダンスを踊ろうと、多くの貴族たちが狙っているに違いありません……! 私たちがこの場を離れたら、きっとすぐにでも、誰かに声をかけられるでしょうから」
「……それは、大変ですね……。でも、その、実は殿下――フェリクス殿下と先約があって。なので、ダンスは」
「フェリクス殿下と、ですか?!」
思わず、といった様子で声を上げたのは黄色の小花を髪に散らした少女である。どんぐり眼、と形容するのがふさわしいほどに大きな目を見開いて、それから「フェリクス殿下と……!?」とさらに驚いたように言葉を重ねる。
「何かおかしかったでしょうか」
「いえ、そんなことは。その、ダンスをする、ということは、殿下と花を交換されたのですか?」
していない、と答えたら嘘が露見する可能性もある。はい、と頷くと、少女は口元に手を当てて、それから「素敵なことですわね……!」と感慨深そうに囁いた。
「私、幼い頃、フェリクス殿下が――踊っているところを、見たことがあるのです」
「そうなんですか?」
「はい。『あのこと』が起こる前に……」
あのこと。
紡がれた言葉の理解が出来ず、奏は瞬く。少女は涙を眦に浮かべながら、「ですから、またあの時のように……殿下が踊るところが見られるのが嬉しくて」と声を震わせた。
残りの二人も、感極まったように体を寄せて、うんうんと頷いている。ひとしきり感動したような様子を見せた後、少女たちは立ち上がった。
「どうか素敵な一日をお過ごしくださいね。聖女様。――フェリクス殿下にも、そうお伝えください」
そういって、三人は礼を取って去っていく。それを眺めながら、奏は『あのこと』と、紡がれた言葉を反芻する。あのこと、とはなんだろうか。全くわからない。少し考えて、奏はすぐに思考を中断する。
――フェリクスに関して、奏は知らないことが多くある、気がする。
そもそもまだ知り合って二か月しか経っていないのだから、深く知り合うには短すぎる。だから、知らないことが多い、というのは、どうしようもないことなのだろう、とも思う。
(そもそも……、フェリクス殿下はなんていうか、飄々としすぎている気がする)
嘘を吐くし、それで騙して喜ぶし。そんな相手のどこから、真意を探ればいいのだろうか。
確かに、優しいな、と思う時は――ある。フェリクスは沢山、奏に対して心を砕いてくれているのも、わかる。だからこそ、そういった印象がちぐはぐに映る時がある。
そして、フェリクス自身、奏が混乱しているのをなんとなく察しているような気もするのだ。その上で、混乱するままに任せている。
それがどうしてかは、奏にはわからない。
「――聖女様」
不意に声をかけられた。見ると、男性が立っている。身につけたタキシードは艶のある生地が使われていて、色は濃紺で、裾の部分に金糸で刺繍が施されていた。一つのボタンで前を留める形になっていて、中にベストと白いシャツを重ねて着用しているのがわかる。指を家紋のようなものが描かれた銀の指輪で飾っており、奏が視線を向けると人の良さそうな表情を浮かべた。
男性は襟口のカフスボタンを爪先で撫でるようにして、奏の傍で膝を突く。
「お会いするのを楽しみにしておりました」
「ええと……?」
「初めまして、俺はロバート・デュモル。デュモル伯爵家の嫡子です。色々とお話したいことは沢山あるのですが――そう、良ければ、花を受け取って頂きたくて」
言いながら、男性――ロバートは胸元を飾っていた花を取り出す。明確なダンスの誘いだろう。
先ほど、少女達に言われたような事態が、まさかすぐ自分に襲い来るとは思いも寄らなかった。奏は瞬く。それから差し出された花を見つめた。
受け取るわけにはいかないだろう。ダンスの練習をした、とは言え、五日ほどである。それも、十全な準備が出来たとは言いづらい。
誰かと踊れば確実にボロが出るし、そうなったら、相手にも迷惑がかかる。
「ごめんなさい、先約があるんです」
「先約ですか? どなたと?」
「フェリクス殿下と」
ロバートは瞬いた。そうして、花を差し出したまま、静かに笑みを浮かべて見せる。
「……ですが、ダンスは一人としか踊ってはならない、というわけでもありません。良ければどうか、そのお手に触れる権利を」
「ごめんなさい、本当に……、その、下手で。踏んでしまうかもしれません。そうしたら怪我をさせてしまいます」
「貴女の華麗な御御足に踏まれるのなら、俺の靴も役目を果たしたと言えます。それに、聖女様は――聖女様、ではありませんか」
「え?」
「聖女様のお力を持ってすれば、そのような怪我、直ぐに治すことが出来るのでは?」
一瞬、奏は呆ける。相手が何を言っているのか、理解が出来なかったのだ。
ロバートは奏の手を取った。そうして、レースの手袋の縁に指をかける。脱がそうとしているのだと、一瞬で悟る。
「これは魔法を封じる手袋ですね。どうしてこのようなものをつけていらっしゃるのですか? ――聖女様、俺は貴女の手に、触れたくて仕方無いというのに」
「こ、これは、その」
「触れてください。聖女様。そして、どうか、そのお力を、俺にも――」
慌てて手袋を掴むが、ロバートの力の方が強い。繊細なレースのそれが、今にも破けそうな勢いで、ずりさげられそうになる。僅かに露わになった手首をロバートの指が舐めるように撫でて、奏の背筋が粟立った。恐怖と、混乱と、それ以上の――何かで。
これは。――これは、ダンスの、誘いではない。
奏と踊ることを目的に、話しかけてきたのではないのだ。
――奏に触れて、治してもらうことを、目的とした、誘いに違いなかった。
もしかしたら、ロバートは、どこかを怪我しているのかもしれない。呪いにかかっているのかもしれないし、病に蝕まれている可能性だってある。
そうであるなら、奏は目の前の相手に触れるべき、なのだろう。
聖女としてやってきたのだから、聖女としての責務を求められている。そうでなければ、フェリクスを後ろ盾に、王宮でぬくぬくと過ごせるはずがないのだ。
(でも、だからって、こんなやり方……)
これではまるで、体の良い道具のようだ。
恐怖に奏の喉が震える。ロバートの力は強い。縋るように奏の手を握る。手袋を掴む力が強く、引っ張り合いのような形になり、生地が破けそうになる。
瞬間、奏は手から力を抜き、その隙をついたようにロバートが手袋を取り外した。
まるで憎しみの根源であるとでも言うように、手袋を強く握りしめながら、ロバートは目を細めて奏を見る。行動と表情がちぐはぐで、その様子に奏はぞっとしない。
「ああ、良かった。俺に、その力を示してください。聖女様は手で触れて治すと聞き及んでいます。どうか、俺にも触れてください。俺はこの国に対して忠誠を誓ってきました。国が栄えるように責務を果たしてきました。ですから、そう、少し。少しだけで良いのです、少しだけ、そう、俺のことを、どうか」
ロバートの手が奏に触れようとする。体が強ばって、奏はその手から逃れることが出来ない。
ここで、もし、聖女の力を発動したら。どうなるだろう。多分、奏の聖女としての力は揺るぎないものになる。だが、多分、それと同時に、奏に無遠慮に触れてこようとする貴族も増えるのではないだろうか。
今日されたように、手袋を剥がれ、無理矢理にでも。
喉が震える。助けを呼ぼうとして、けれど、声が詰まって、形にならない。
助けを呼ぶ? どうして? という気持ちがあった、というのもあるだろう。奏は今までにフェリクスや、侍女たちの怪我を治してきた。それなのに、目の前の相手は治さないというのか。
差し出す手を選ぶこと。それは傲慢なのではないか、と、思ってしまったのだ。
「ダンスに誘っている? 悪いけれど、先約があるんだ」
不意に、奏の後ろから伸びてきた手が、ロバートの手を掴む。奏の目前に迫っていたその手が、血管の浮いた手によってその場で制止させられた。
ロバートが、目を見開いて、息を飲む。奏を一心に見つめていた視線が、奏の後ろに向かう。
「フェリクス殿下」
「それに、許しを得ていても、人前で女性の衣服を剥ぎ取る、というのは少しばかり紳士的でないように思うよ。得ていないなら、尚更」
いつの間にか戻ってきていたのだろう。フェリクスは男性の手を掴んだまま、奏の傍で目を細める。
ロバートが剥ぎ取った手袋がテーブルの上に落ちる。それをフェリクスは拾いあげて、微笑んだ。
「ご丁寧に認識阻害の魔法まで使って。僕も近づくまで二人で居ることに気付かなかったよ。魔法を使うのに利用したのはそのカフスボタンかな?」
「――」
「ロバート・デュモル。キミのことはよく知っているよ。金に飽かせて、色々な――それこそ、良くない場所に出入りをしているのだとか。そのせいで呪いを受けたという話もね」
フェリクスは滔々と言葉を続ける。ぐ、とロバートの手を握る指に力を込めたのか、ロバートが小さく悲鳴のような声を上げた。ロバートの目に、一瞬、恐れのようなものが浮かぶ。だが、それは瞬きの間に消し去り、憎悪のようなものに変わった。
「――聖女の力は、分け与えられるべきでしょう……!」
「そうかもしれない。けれど、それは自業自得な行動によって引き起こされた事象を浄化するために使うべきものでは無いだろうね」
フェリクスは笑みを浮かべたまま、ロバートの手を払う。
「座っていて。そこで」
とん、とフェリクスはロバートの肩を手の平で押した。瞬間、ロバートの体がまるで縫い付けられたように椅子にくっついてしまう。多分、ロバート自身がそうしようとして、そうなっているのではないだろう。
それを証拠に、ロバートが「魔法を使ったのか……!?」と歯を食いしばるのが見えた。
「当然。そちらが先に使ったのだから。お返し、みたいなものだね。キミはパーティーの始まりから、終わりまで、そうしていると良い」
交渉の余地はない、と言うようにすっぱりと言葉を言い切り、フェリクスは軽く手袋をはたいた。それから、奏に手袋を手渡してくる。
奏がそれを受け取ると同時に、フェリクスは奏の頬をするりと撫でて――そのままむぎゅ、と軽くつねってきた。
「何かあったら呼ぶ、と決めていたのをキミは忘れたの?」
指先は直ぐに離れた。それ以上、奏を詰問するつもりもないのだろう。
フェリクスは奏の首元に手を回すと、耳元で「立てる? 踊ろうか。約束通りにね」と囁いた。
「……フェリクス、殿下……」
奏の喉が震える。泣き出しそうな声に気付いたのか、フェリクスは目を見開いた。そうして、奏に「大丈夫だよ」と優しく声を掛けてくる。
――ずるい人だ、と思う。あまりにも、その声が穏やかで、優しくて、だから先ほどまで抱いていた恐怖が、そのまま解けるように消えていくような気がした。
「……! おかしいだろ、聖女の力を独り占めするなんて……!」
「それが許されるんだよ。何せ第二王子だからね。文句があるなら僕より偉くなったらどう?」
奏が手袋をはめると同時に、フェリクスが奏の手を取る。そのまま、ロバートに見せつけるように奏の体を抱き寄せた。
「奏は僕と踊るのだから。順番は守らないと。といっても、僕は奏を最初から最後まで、手放すつもりはないけれどね」
フェリクスは囁いて、奏の体を抱き寄せたまま、会場の中央へエスコートする。華やかな音楽が耳朶を打ち、フェリクスが奏に体を寄せながら、ゆっくりとステップを踏んだ。
周囲でわっと声が上がる。フェリクス様が、と言うような、感嘆を含んだ吐息が、様々な場所で零れるのが聞こえた。フェリクスが踊るからか、演奏されている音楽が、華やかなそれに変化していく。
「……ありがとうございます」
覚え立てのステップを踏みながら、奏はようやくそれだけを口にする。
助けに来てくれたこと、――手袋を拾って、そして奏がそれを身につけるまで、手に触れるのを待ってくれたこと。フェリクスの心遣いに、奏の目元が潤む。それを見てか、フェリクスが大げさに眉根を寄せてみせた。
「ちょっと。泣かないでよ。ここで泣いたら僕が泣かせているみたいだ」
「……」
「ほら。知っている? 花々の季節の十五日、ダンスを踊る際は、笑顔で居ないといけない、っていうしきたりがあるんだよ」
多分、嘘だろうな、と思う。からかうように、弾んだ調子で紡がれるいつもの言葉が、なんだか今日は胸にじんと染みる。
先ほどのことがあったから、更に、だろう。
「ほら、そんなに暗い顔をしないで。何を言われたの。教えて」
「な、何も、……ただ、私は、助けるべき、だったんじゃないか、と思って」
「どうして? 彼はキミを道具のように扱おうとしていた。『水森奏』としてのキミじゃなく、なんでも治療出来る便利な道具としてね――なら、そんな相手に礼を尽くす必要はない」
フェリクスは言葉を言い切る。そうして、少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
「僕と踊っているのに、他の男のことを考えるなんて、余裕があるね」
「え、あ、――っ」
ぐい、と腰を持ち上げられる。奏を抱き上げたまま、フェリクスはその場で軽く回転した。視界がびゅん、と飛ぶように動く。
「な、なに、なんですか、何……!?」
「ふ。あは。凄い顔」
フェリクスが楽しげに笑う。ぐるり、と二回転ほどした後、奏はゆっくりと地面に下ろされる。だが、回転したせいか、視界がぐわんぐわんと揺れて、上手く姿勢を保つことが出来ない。
思わずたたらを踏んでしまい、その拍子にむぎゅ、と何かを踏みつけてしまう。見て確認するまでもないだろう。確実に、フェリクスの足を踏みつけている。
奏の喉の奥から悲鳴のようなものが零れる。
「ふっ、踏んで、踏んでしまって……!」
「いいよ。大丈夫。慣れているから」
「い、いや、でも……!」
「泣く程じゃないからね」
からかうような軽快な声音だった。それは奏が今、泣きそうになっているからこその、言葉だったのだろう。その言葉に、奏は瞬く。なんだかその言葉が、染みるように心を濡らしていく。
(……違うんだな)
踏んでも、治療してくれれば良い、とは、フェリクスは言わない。
まるで、奏のことを、便利な治療道具のようには、扱わないのだ。
「それに、僕もダンスを習い始めの頃は結構人の足を踏んだよ」
「フェリクス殿下が?」
全く想像がつかない。フェリクスは何でもそつなくこなしそうだ。
考えた感情が、そのまま顔に表れていたのだろう。フェリクスは息を零すように笑う。ダンスを踊っているのもあって、いつもより距離が近い。だからか、フェリクスの表情をつぶさに観察することが出来た。
眦を僅かに赤くして、フェリクスは楽しげに言葉を弾ませる。
「そう。そういうものだろう? 誰もが最初はつまずくものだ。僕も、キミもね。そこで『これは面白くない』と止めてしまうのはもったいない」
「……」
「キミが楽しむことが一番だよ。僕の足は気にしないで。痣になったとして、夜に僕が泣きながらキミのことを思うだけだから」
「それ全然安心出来ないんですが」
確実に根に持たれる感じではないだろうか。
少しだけ眉根を寄せて、奏はそれからすぐ、表情を崩した。先ほどまで、重くなっていた心が、フェリクスと話す度に軽くなっていくような心地がする。そして多分、それは錯覚ではないのだろう。
フェリクスは奏の気持ちを軽くするために、わざと軽口めいた言葉を発したり、――奏を慰めようとしてくれているのだ。その気持ちが、なんとなくわかる。
奏が動く度に、スカートが柔らかく広がり、光を反射する。まるで奏自身が、七色の光を身に纏っているかのようだ。
床に落ちるプリズムがとても綺麗で、奏は少しばかり視線を落とし、間を置いてから上げた。
至近距離にフェリクスの顔がある。金色と緑の混ざった美しい虹彩を見つめながら、奏は心中で吐息を零した。
フェリクスのことは、わからない。――飄々とした態度も、奏に嘘を吐く理由も、『あのとき』と称される、フェリクスに何かがあったであろう、過去も。
まだ短期間しか関わっていないのだ。当然だろう。だから。
知りたい、と思った。
フェリクスのことを、――優しさを裏に隠して、奏に接してくる理由も。
瞳の奥から熱が引いていく。何故か零れそうになった涙を落とさないように、ゆっくりと瞬きをしながら、奏はフェリクスを見つめた。
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