第5話 花々の季節の祭

 フェリクスから渡された手袋は、効果を発揮した。

 あの手袋をつけている間、奏の『聖女の力』は発生しなくなったようで、体温が低くなったり、体調が悪くなる、ということが今の所無い。それに存外、気が軽くなったのは言うまでも無いだろう。


 人に触れる、というのは、ほとんど無意識で行ってしまうような行動でもある。その度に体調が悪くなる、という状況は奏にとって中々にキツイ状況だった。かといって、人に全く触れないようにする、というのも難しい。


 手袋を着けだしてから、そういった細々としたことに振り回されることが無くなった。奏の現状を見て、直ぐに手袋を用意してくれたフェリクスには、感謝の気持ちしかない。

 ちなみに、手袋は友人や親しい間柄で送り合うことがあるらしいプレゼントである、というのも、あの後、奏は知ることが出来た。フェリクスの言う通り、奏が持っていた本の百七十ページに記載された文言を読み、少しばかりほっとしたのを覚えている。それと同時に、この本のページ数を覚えるくらい、フェリクスはこの本を読んだことがあるのだろうか、となんだか少しだけ感慨深く思ってしまった。もしかしたら、この本はフェリクスのお気に入りのものだったのかもしれない。


 なんにせよ、折角贈られたものなのに、あらぬ誤解を招いてしまう品だったら迂闊に装着出来ない。だが、その杞憂は去ったので、奏は手袋を受け取ってから、それを寝る時以外は常に着用することにしている。

 奏からフェリクスに対する好感度のようなものが可視化されていたら、毎日のようにうなぎ登りしていっている様が見られただろう。

 ――だが。


「……え、あの、い、五日後に、パーティー、ですか」

「そう。花々の季節、十五日は、祭を催すことになっていてね。それに関連するパーティーがある。キミにも出席してもらいたいんだ」


 フェリクスに急遽呼び出され、赴いた執務室で告げられた言葉を、奏は心中で反芻し、愕然とする。

 待って欲しい。五日後にパーティー? それに出席? しかもどうやら、フェリクスが言うに、『花々の季節、十五日に祭を催す』ことは例年あるようで、つまりはパーティーも例年あったのではないだろうか。それなのに、近々になるまで、奏にその情報を伝えなかった。


「ど、どうしてこんな近い日に……い、五日後……!?」

「なんというか、僕としてはキミを出席させるつもりは本当に無かったんだけど」


 フェリクスは首を振る。「兄がね……」と机に肘を突き、手の甲を顎の辺りに当てながらそっと息を吐いた。ため息のように響く。

 兄――というのは、フェリクスの兄で、次期国王とされている、アレウス・ルーデンヴァールのことだろう。王城に一室を頂いて、暮らしているが、アレウスは執務の一貫として外務なども執り行っていることもあり、あまり頻回に顔を合わせることはない。


「……今の所、キミは城下に出かけたりして、人々と交流を持っている。城下に住む人々はキミに無体を働くこともないし、幼い頃から聖女の話を聞いているのだから、キミに触れようとも思わない」

「……そうですね」


 確かに、今までフェリクスに騙されたり、連れられたりして、王都の城下へ赴いたことがある。

 その為、城下に住む人々と関わりを持つことは多いのだが――確かに、彼らは絶対に奏に触れてこようとしない。目が一瞬合っただけで喜び、奏のことを祝福する。


 こんな、なんか、アイドルみたいな扱いをされていていいのだろうか、と思うのだが、奏から触れてください、というのもおかしいので、毎回もだもだと考えながら一日を過ごしている。普通に扱って欲しい。だがそれも傲慢な悩みな気がして、奏は何も言えずに居る。


「けれど貴族は――違うだろうな。特に、治らない病や呪いを抱えている貴族は、キミの浄化を求めてくる。そしてそれを、悪いことだとは思わない。当然の権利として、考える。聖女は国の栄えの証。つまりは、自分達がいるから、聖女がこの国に降り立ったのだと、そう思う」

「……」

「だから、あまりキミをそういった公の場に出すのはどうかと思っていたんだ。ただそれも、兄からの命令だと……中々、はねのけるのも難しい」


 ――奏は瞬く。フェリクスの言葉をゆっくりと心中で消化し、そうか、と頷いた。

 五日前に伝えて来たのは、多分、今日に至るまで、フェリクスは奏をパーティーに出さないように東奔西走してくれていたのだろう。

 だが、兄――つまりは第一王子からの厳命とされてしまったら、回避するのも難しい。

 直前まで、多分、どうにかしようとしてくれたのだろう。前日とかで無い分、まだ心づもりが出来るから良かった、と思うべきなのかもしれない。


「……ありがとうございます」

「何が?」

「どうにかしようとしてくれたんだなあ、と思って」


 フェリクスは瞬く。

 美しい虹彩が揺らいだ。フェリクスは呆けたような顔を一瞬だけ浮かべて、それから気を取り直したように微笑む。


「僕の為、でもあるからね」

「……それでも、ですよ」


 奏の安否が、そのままフェリクスの責に繋がるから――というのはもちろん多大にあるだろうが、それでも、奏のことを気にしてくれていることには違いない。

 首を振ると、フェリクスは視線を迷わせた。口にする言葉を空中から探すような間を置いて、「とにかく」と言葉を続ける。


「パーティーでは、僕はキミの傍を離れないようにするし、キミもそうしてくれる?」

「努力します」

「うん。美味しいものや気になるものがあるからって、走り出したら駄目だよ」

「しませんよ……」

「しそうだから言ってるんだよ」


 フェリクスが笑う。からかうような口調だった。だから、奏も同じように苦笑を零して返す。

 パーティーは不安だが、興味が無いと言えば嘘になる。中世ヨーロッパ風パーティー、一体どんな感じなのだろうか。お祭りの際に行われるわけなのだから、お祭りに即した内容なのだろうか。

 そう考えると、気持ちが弾んでいく。先ほどフェリクスに注意されたのを笑えない。


「花々の季節の十五日に催される祭、っていうのはどういうものなんですか?」

「――端的に言うと、花を使う祭なんだ」


 端的過ぎる。もっと詳しく、と視線を向けると、フェリクスは奏の視線をじっと受け止めた後、ゆっくりと口を開いた。


「昔、この世界には、魔物と、神と、人と、妖精が居たんだ」

「……今は?」

「人が大多数だね。妖精は彼らの国を朝と夜の狭間に作り、神達は人に全てを任せた後長い眠りについた。魔物は……時々、出現すると言われているけれど、今はそこまでかな。どこかに出現したら、王国軍が直ぐに討伐に向かうから、被害事態は少ない」


 確かに、この世界に来てからというもの、魔物という存在に出会ったことはない。それどころか、そういう話を聞くこともなかった。

 魔法や呪いといったものがあるのだから、魔物とかも居そうなのにな、と思っていたのだが、数が少なくなっているのであれば、見聞きしないのも当然のことかもしれない。


「とにかく、昔この世界には色んな種族が居て、それぞれが領地を奪い合いながら生きて来たんだよ」


 それと花に一体何の因果関係があるのだろうか。心中で首を傾げつつ、フェリクスの言葉を待つ。

 フェリクスは奏と視線を合わせると、息を零すようにして笑った。こういう話好きなの、とでも言いたげなおかしさを称えた瞳で、言葉を続ける。


「ただ、その奪い合いが大変で……このまま続くと全ての種族が滅んでしまう、と人間は危惧をした。それもあって、人間と妖精とで同盟を組むことになった」


 フェリクスはおとぎ話を口にするように、穏やかな口調だ。恐らく、この世界において、よく知られた物語なのだろう。口調には澱みが無い。


「――同盟が結ばれたのが、花々の季節の十五日。信頼の証として花を贈り合ったから、この日は親しいもの同士で花を贈り合うことが多い」

「へええ……! なんだか素敵な由来のお祭りですね」


 親しい相手と花を贈り合う、というのは素敵な催しのように思える。頷くと、フェリクスは細く息を吐いた。そうだね、と囁くように言葉を口にして、唇を引き結ぶ。先ほどまでの昔話を語る口調とは打って変わって、冷たく響く。


 唐突な温度の変化に、奏は瞬く。どうしたのだろうか。先ほどまでおとぎ話を優しい声で囁いていた雰囲気が、一瞬にして拭われてしまったようだ。奏はじっとフェリクスを見つめた。

 ――もしかしたら、フェリクスにとって、花々の季節の十五日に行われる祭りは、あまり良い思い出が無いのかもしれないな、なんて、ぼんやりと思う。


 ただ、その悪い思い出、というのが、奏には想像が出来ない。

 こんなに美しい人である。花を貰わずに悲しくなった、というのは確実に無いだろうし、そうなるともうお手上げだ。

 ただ、それを問いかけて良いことなのかどうなのかわからなくて、奏は口を噤む。場の雰囲気を変えるように、「そうだ!」と声を上げると、フェリクスの肩がびくりと震えた。存外大きな声が出てしまったのかもしれない。


「なに。どうしたの」

「ダンスとかって無いですよね? 私ダンスは、自慢じゃないんですが、全然踊れないんです」

「本当に自慢じゃないね。――ダンスは、あるけれど、まあ大丈夫じゃない?」

「あるんですか……!?」

「花々の季節の十五日に催されるパーティーは、貴族同士の交流の場も兼ねているから」

「えええ……!」

「花を差し出して踊りませんか、と言うんだ。相手が受け取ったら、それで了承を得られたとする」


 なんだそれは。絶対に花を受け取るわけにはいかない。いや、花を贈られることなんて無いだろうけれど……!


(絶対に受け取らないようにしないと、そして角の立たない断り方を学ばないと……!)


 心の中でそわそわと考えながら、奏は恐怖にぐっと目を瞑った。しかし、貴族式の『角の立たない断り方』なんて、奏にはわからない。早急に誰かに教わる必要がある。

 ど、どうしよう。やることが一気に増えてしまった。


「……大丈夫だよ、キミはそう言われたら先約がある、と言えば良い」

「せ、先約?」

「フェリクス殿下との先約が、とね」


 フェリクスが笑う。――多分、奏の百面相を見て、声を掛けてくれたのだろう。優しい声音は、穏やかに耳朶を打つ。

 いつもは、奏をからかって、嘘を吐いたりして、反応を見て楽しむ、だなんていう意地悪な面があるのに、奏が困っているのを見ると、そっと手を差し伸べてくれる。


「で、でも、……良いんですか?」

「良いよ。まあもし、本当に会場で踊ることになっても――キミが僕の足を踏み続けるだけだし。それくらいは保護をした分、覚悟はしている」

「覚悟の方向性が」


 ふ、と奏は笑う。先ほどまで恐怖で強ばっていたからだが、僅かに弛緩していくようだ。

 気を遣われたのだろうな、ということが分かる。フェリクスは、奏の心をなんとなく先回りして、行動しているように思う。

 多分、それは奏相手にだけ、ではなく、全ての人に対して、そうなのだろう。


「当日、あまり足を踏まないように、訓練をお願いすることは出来ますか?」

「やる気だね。良いよ。一区切りついたら、時間を作るから、その時で良い? 僕が教えるよ」

「えっ。あ、あの、フェリクス殿下はお忙しいでしょうし、他の方で、全然」

「どうして?」


 フェリクスが首を傾げる。どうして、と言われても。フェリクスの机の上に置かれている書類の数を見て、の言葉である。

 恐らく祭に関係して、内政的に処理を必要とする事象が増えたのだろう。普段から忙しそうだが、今日は処理すべき案件が多そうだ。その上で、奏にダンスを教える、となると、フェリクスへの負担が膨大になる。


「なに。もしかして僕にダンスを教わるのは嫌?」

「そういうわけではなくて……、ご迷惑かと思って」

「迷惑だったら迷惑って言っているよ。そういう性格だから」


 確かに、そうかもしれないが。

 今までの関わりを顧みるに、迷惑であれば、フェリクスはすぐにその旨を告げてきていたかもしれない。もしくは、他に教師を手配するから、と言ってくれたはずだ。そうでない、ということは、奏に教えるのは迷惑ではない、ということなのだろう。


「一生机に向かってるのも、中々に体が固まるし、眠くもなる。キミに足を踏まれて眠気覚ましにしよう」

「……踏まないかもしれないじゃないですか!」

「さっき自分で踏まないように訓練してほしいって言ったのに?」


 からからと笑いながら、フェリクスは書類を右から左へ動かしていく。左は、恐らく処理済みのものなのだろう。手早く作業をする姿を眺めていると、フェリクスが「うん」と小さく頷いた。持っていたガラスペンを置き、「区切りがついたから」と立ち上がる。


「基本の姿勢とステップを教えるよ。おいで」


 ここで、するつもりなのだろうか。思わず瞬きながら、奏はフェリクスの傍に近づいていく。

 近くに寄ると、フェリクスは「うん、姿勢からして駄目だね」とあっけらかんと口にする。大変な悪口である。奏からしたらダンスを踊るのだって初めてなのだし、姿勢だってわかるはずもないというのに。

 もしかしたら喧嘩を売られているのかもしれない。


「喧嘩を売っていますか?」

「ふ。あは。売ってないよ。ごめん。触れて良い?」

「……どうぞ」


 奏が応えを返すと、フェリクスは頷いた。そうして、奏の背と腹部に触れる。


「ここに芯が入っている想像をするんだ。頭からぐっと吊られているような……」

「こ、こう、ですか?」

「うん。そう。そんな感じ。両足は肩幅の広さに開いて……、腕にも触れるよ」


 いいながら、フェリクスが奏の腕に触れた。ぐっと持ち上げられて、軽く曲げるようにされる。フェリクスが奏の手を取り、そっと体に触れてきた。


「これがダンス開始の姿勢。覚えられる?」

「頑張ります、けど、あの、う、腕が、既に、ぷるぷるして……」

「頑張って。疲れたなら僕の腕に体重乗せて良いから、とにかく角度と高さは落とさないで。それらを落としたら不格好に見えるからね」


 基本姿勢が、既に辛い。これで更にステップを踊るのである。絶対に途中で基本姿勢を崩してしまう自信が奏にはあった。


「ステップを教えるから足を見て。良い?」

「まっ、は、はやい。はやい!」

「とりあえず一通り教えて、その後何度も練習をした方が体に記憶されるだろうからね。本来なら数日かけて姿勢を練習するんだけど、そんなに日も無い。わからなかったら都度聞いてくれて良いから」


 す、スパルタ……! 奏は心中で悲鳴を上げる。ちょっとだけ泣きそうだ。

 だが、都度聞いて良い、とは言われているから、分からなければその都度何度も聞くことにしよう。呆れられても、そしてまた? というような顔をされても、奏は覚えなければならないのだ。


「……頑張って覚えます」

「うん。やる気だね。大丈夫、僕が教えるんだ。キミなら出来るよ」

「フェリクス殿下のその自信はいつもどこから湧いてきているんですか?」

「裏打ちされた努力と、今までの生活から、かな」


 奏が少しからかうように言葉を続けると、フェリクスも同じように楽しげに答える。確かに、ダンス初心者の奏からしても、フェリクスの姿勢は美しいものに思われた。

 裏打ちされた努力、と、自分で冗談めかして言っているが、実際その通りなのだろう。だからこそ、奏も頷いて返す。


「フェリクス殿下が言うと全然嫌みに聞こえませんね」

「そうでしょう。人徳だよ」

「じ、人徳……?」


 人に嘘を吐いて嬉しそうにする人間に、人徳が、――むしろ道徳といったものがあるのか?

 思わず奏はフェリクスをじっと見つめる。その視線に気付いているだろうに、フェリクスは奏から視線を逸らしたまま、ふ、と息を零すようにして笑った。


「……自分で言って自分で受けてませんか?」

「そんなことはないけど。奏の反応が――それより、ほら、奏、ちゃんと足下を見ている? 今はステップを覚える時間だよ。僕の顔ばかり見ないで」


 楽しげに言葉を続け、フェリクスは足を動かす。その足を見たまま真似してみるが、中々上手く行かない。だが、フェリクスは急かすことも、怒ることもなく、奏がわかりやすいように足を大げさに動かして見せる。


 そういった所を見ていると、色々と思うところはあるが、多分――優しい人なのだな、と思う。人徳があるかどうかは別として。

 優しいから、だから、奏のお願いにもすぐ応えてくれた。

 ただそれを指摘したら、きっとすぐにからかわれて終わるのが理解出来たから、奏は言葉を喉の奥に秘めた。

 大事な気持ちを、そっと手の平で優しく抱きしめるように。

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