第3話 聖女の御業

 保護されてすぐ、奏は『聖女』として歓待された。

 こうやって奏の地位が即座に盤石なものとなり、更に言えば賓客として私室まで与えられるに至ったのは、フェリクスが口を利いてくれたから、ということに他ならないだろう。

 フェリクスは、奏が転移してきた世界――ノヴァリスにおける大国、ルーデンヴァールの第二王子だった。


 フェリクスは奏が現れた時のことを脚色して語り、自身が動けずに居たところを聖女の御業で助けていただいた、というようなことを告げたらしい。

 それもあって、奏は早い内から自由に行動することを許された。ノヴァリス、ならびにルーデンヴァールにおいて、聖女という存在はとても――本当に大変な質量を持って、人々の間で囁かれている伝説のようなものだったのだ。


 曰く、聖女はこの世界の毒や呪い、病の全てを浄化する、だとか、聖女が落ちてきた国は聖女を歓待することにより、その後ますます繁栄する、だとか。

 奏からしたら全くもって身に覚えがないのだが、実際、フェリクスと出会った時、フェリクスは毒を盛られていたらしい。


 それを浄化した、というのが何よりも聖女で在る証左だと、フェリクスから告げられた。

 更に言えば、この世界のことを奏が一切知らない、という状況も、語られる昔話に一致しているらしい。聖女はどこからか現れて、国を繁栄させ、そして人々を癒やす。そうして、いずれ、元の世界へ帰っていく。そういう存在なのだという。


 そういった話を聞いたとき、こちらの世界で何をしようと、元の世界に帰れないんだな、ということだけを奏はなんとなく理解した。

 もし、こちらの世界に、奏を元の世界に戻すような術や魔法があれば、「いずれ元の世界へ帰る」というようなことは言われないだろう。


 突然現れて、突然去って行く。聖女はそういうものなのだ。――ということは、突然現れた奏も、いずれ突然去ることになるのだろう。

 理解はしたが、ただ、中々納得は出来ない。ここで過ごしている間、奏の世界でも時間は過ぎるのかどうかとか、職を無くすことになるかもとか、そもそも両親は? 友人は? と、色々な疑問が頭の中をぐるぐると巡り、奏はこの世界に来て一週間ほどは何もせずに過ごしていた。


 そうしていても元の世界に帰ることは出来ないし、何の問題解決にもならないことは承知の上だ。けれどどうしても折り合いがつかず、もやもやした気持ちを膨らませていた所に、フェリクスが「奏!」とほとんど強引に扉を開いてやってきたのである。


 ベッドの上でもそもそしている奏を見つけると、フェリクスは驚いた顔をして、それからすぐつかつかと奏の傍に近づいてきた。


「出かけよう」


 フェリクスはそう言った。奏が呆けている間に、フェリクスが連れてきたらしい使用人達が続々と部屋の中に入ってきた。

 使用人達は奏の手を取るやいなや、空中にカーテンを出現させフェリクスと奏の間を仕切ると、直ぐに衣服を脱がした。


 一瞬、事態の唐突な動きが全く理解出来ず、奏は「へえ!?」と変な声を上げてしまった。そうしている内に、あれよあれよと衣服を整えられ、髪をまとめられ、顔に粉をはかれ――数十分もしないうちに、奏は出かけるための服装に着替えさせられた。


「何、一体、なに……?」

「何? はこちらのセリフだよ、奏」


 しゃ、とカーテンが消える。恐らく魔法なのだろう。フェリクスは腰に手を置き、奏を見つめる。少しばかり余裕を見せるように胸を張り――そうして、奏に向かって、柔らかく微笑んだ。


「暁の月、二十五日、陽が顔を見せてから、高く昇るまで――聖女は外に出ていないといけない」

「え?」

「知らない? 聖女に関する決め事だよ、そういうのが色々決まってるんだよ、この国は。さあ、行こう!」

「ちょ、ちょっとまって――」

「待たないよ。奏――いや、聖女、もう陽は山間から顔を出している! 決め事を守らなければ、キミにどんなことが起きるか、僕にもわからないのだから」


 フェリクスが手を取る。使用人達が腰を折り、フェリクスの行動の邪魔をしないようにと、部屋の隅につつがなく移動をした。

 強引に握られた手だった。先日、そう、ベッドの上で茫洋としながら、奏に手を伸ばしてきたときとは段違いなほど、力強くて、――けれど、優しさが滲んでいる。


 そうして、奏はフェリクスに連れられて、朝っぱらから、ルーデンヴァールの王都へ足を向けることになったのである。

 忘れもしない。あの日から、奏はずっと、フェリクスに嘘を吐かれている。


 そう、今日も。――今日も!


 一ヶ月余りの思い出を脳裏に流すには、充分な時間を置いて、奏は首を振る。

 そうして、自身の隣で楽しげにケーキや軽食を口に運ぶ第二王子を見つめた。


 実際のところ、奏の後ろ盾にフェリクスがなっているからか、今のところ奏を政治的に利用しようというような動きは無い。今までの聖女には、後ろ盾なく、政治的に利用をされて苦しむ人も居たようだ――とは、フェリクスの言である。その言葉の裏に、『だから僕に保護されたキミはとても幸運なんだよ』というような文章が透けて見えるのは、奏の考えすぎなのかも知れないが。


 フェリクスをじっと見つめていると、すぐに奏の視線に気付いて、フェリクスが美しい虹彩を向ける。長い睫毛に、美しい水色の髪。常に丁寧に櫛梳かれているであろう髪は、室内の光を浴びて柔らかく光る。


「何。奏、食べたいならあるよ。食べると良い。美味しいよ」

「……お腹が……」

「お腹が、って言いながら、すごく羨ましそうに僕のことを見てくるじゃないか。それに、ここに来るまでに足を踏みならしていたようだし、少しはお腹も空いたんじゃない?」

「踏みならしてないんですけど!」

「そう? 怒っているんだ、という感情が聞こえてくるようだったよ。絶対に僕に何か言ってやる! っていう気概を感じたね」


 そんな足音を立てた覚えは、無、いや、あるかもしれない。あるかもしれないが、そこまで言われるほどではないはずだ。

 自身の足音を頭の中で反芻していると、フェリクスが下段の小さなサンドイッチを手に取り、そのまま奏の口元に寄せてきた。食べろ、ということなのだろう。むぎゅ、と唇につけられてしまい、反論するために口を開いた瞬間を狙い澄まして、口内に押し込まれる。


 柔らかいパンで具材を挟んだサンドイッチは、甘い味がした。どうやら惣菜ではなく、中にジャムのようなものが挟まっていたらしい。この世界の食べ物は独特で、奏が見たことの無い食べ物も存在する。今食べているものは、少し酸味がある、りんごの味に似ていた。


「美味しい」

「美味しい? なら良かった。ちゃんとご飯は食べるんだよ。キミの食事を当番している使用人が心配していた。聖女様は食が細いのでしょうか、って」

「……」


 奏は瞬く。食が細い――わけではないのだが、なんというか、聖女を歓待する気持ちがあふれ出ているせいか、毎日毎日奏の元へ運ばれる料理の品数が、大変に多いのだ。

 頑張って出来る限り口に運んでいたのだが、ここ最近は連日の暴食で食べ過ぎるとお腹が「無理!」と叫び出すようになっていた。なので少し控えていたのだが、結果的に、心配させていたようである。


「……いえ、食が細いわけではなくて……、その、今までが少し多くて。もう少し減らして頂くことって可能ですか?」

「そう? わかった、そう言っておくよ。まあ、皆、久しぶりの聖女に凄く喜んでいるんだろう。生きている間に聖女を見られるだなんて、滅多に無いことだから」


 フェリクスは言いながら中段に手を伸ばす。いつの間にか下段はすっきりと食べ尽くされていた。――もちろん、奏の分はきちんと残してある。後で皿か何かに乗せてもらって、持ち帰れるように、だろう。


「聖女……」

「そう。キミは聖女だ。わかっている?」

「それは、もちろん、何度も言われたので。でも、実感が湧かなくて……」


 聖女の御業。――人々を癒やし、毒も呪いも、病さえ浄化する、という、とんでもない力。そういったものを、奏が持っているとは思えない。

 だって、元の世界において、奏はどちらかというとお腹をよく痛めていたし、風邪だって人並みに引いていた。健康診断の結果も、まあまあ普通……というような感想が出てくるものだったように思う。

 だからこそ、毒も呪いも、病さえ浄化する力を自身が秘めているとは思えない。


 フェリクスが眉根を寄せる。大変な美形が、少しばかり眉をひそめると、それだけでとんでもない圧が感じられる。


「キミは僕のことを救ってくれた。それが証左だ。――そうだ、先に言っておくけれど、これから先、キミに力を請うような人が出てくる可能性がある」

「私に?」

「そう。その時は、必ず僕に相談して。一人でどうにかしようとしては、駄目だよ」


 フェリクスは紅茶の入ったカップを口元に運ぶ。唇を湿らすようにして口をつけてから、「出来る限り僕が阻止しようとは思っているんだけど」と囁いた。


「まあ、どうにかして抜け道を見つけようとする輩は沢山居るから。――良い? キミは、僕が、後ろ盾になっているんだからね」


 フェリクスは言い含めるように言葉を口にする。子どもに伝えるように、一言一言、区切るように響く声は、耳朶をそっと濡らす。


「キミの行動如何によっては、僕がそのままキミの後ろ盾になり続けることも難しいだろうから。わかった?」

「わかりました。その、何かあったら、フェリクス殿下に相談すれば良いんですよね」

「――うん、そう。わかっているなら良いんだ。悪いけれど、大事なことだから、何度だって言うからね。耳を塞いでも無駄だよ」

「耳は塞ぎませんけれど。わかってます」


 少しばかり居丈高な言葉だが、反面、フェリクスの口から漏れるのは優しい声音だ。

 多分、心配をしてくれているのだろうな、と思う。――考えると、今日の『嘘』も、もしかしたら、フェリクスは奏の体調を心配して、一杯食べるように、と手配してくれたのかもしれない。

 ――わからない。ただ、そう言う可能性もあって、もちろん、そんなこと一切考えていない可能性だって、高いのだろう。


「良かった。キミは僕の大事な遊び道具なんだから。キミが僕から離れていったら、こうやってぷんぷん怒るキミを見ることも出来なくなるだろうし」


 前言撤回、恐らく奏のことなんて一切考えていない。確実に自分の楽しみだけを考えている。

 遊び道具って。それを正面から相手に言う人、存在するぅ!? する……。目の前に。


「殿下って何歳なんですか?」

「うん? 何歳だと思う?」

「五歳」

「へえ! キミから見たら僕ってとっても若く見えるんだね。ちなみに僕もキミのことはそれくらいに見えるよ」


 にこにこと、恐らくは意識的に、邪気の無い笑みを浮かべながら、フェリクスは嬉しそうに言葉を弾ませる。

 売り言葉に買い言葉である。社会に出て三年、そう、奏は大人だ。大人である。大人なのだが、大人であっても我慢出来る事と出来ない事がある。今回は後者である。


「――とにかく! もう、嘘は吐かないでください!」

「ふふ。あは。善処するよ。善処ね。――帰るの?」

「帰ります! 部屋に!」

「そう。もう少し居たら良いのに」


 フェリクスは囁くと、直ぐに首を振った。「食べ物を持って帰れるように用意させるから、少し待って」というなり、使用人を呼び、奏の分として残されていた食事を皿に置き換える。


「料理については、今日にでも伝えておくから。今日の分は少し難しいだろうけれど、明日の朝からは量が減るんじゃないかな」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして。また明日、奏」


 フェリクスが笑う。蠱惑的な微笑みだった。一瞬、奏の心が僅かに揺らぐ。顔面強男と相対すると、顔面の良さだけで何もかも許してしまいそうになる。なんだかもう、過去、どれだけの数、この顔面で得してきたのだろう、なんて思いながら、奏はそっと息を零した。


「また明日、殿下」


 それでも、嫌いきれないあたり、奏もまあまあフェリクスに気を許してしまっている、のだろう。

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