第9話 聖女を独占してはならない
花々の季節が終わり、緑の季節が訪れた。
緑の季節、六日は、聖女が城下を訪れる、ということがしきたりとしてあるらしく、朝から奏は城下に赴くための準備をしていた。
舞踏会に行くわけでもないので、ドレスは軽装で、歩きやすいものを選び、靴も同じようにそうした。髪は後ろでまとめて、軽く結い上げるようにしてある。
ステリアによって整えられた自身を、鏡越しに確認しながら、奏はそっと息を零す。
「本日のご公務もお気をつけくださいね」
「ありがとうございます。……その、これは雑談なんですが」
「はい。どうかされましたか?」
「聖女って、毎月することが決まっているんですね」
ここへ来て三ヶ月経つが、何月の何日はこれをする、というのが、この世界では非常に厳密に決められているような気がする。
特に聖女関係に関しては、どうやら毎月必ず城下へ向かう日があるようだ。
前に聖女が来たのは百数十年前、とフェリクスから聞いた覚えがあるし、恐らくこの仕来りはここ数年の間に出来上がったものではないのだろう。
単純に世間話のように投げかけた問いに、ステリアは瞬く。細く長い呼吸をして、「それは、聖女を、独占しようとする貴族がいたから、かもしれません」と囁いた。
「独占しようとする貴族、ですか?」
「はい。聖女様のお力は……私達にとって、希望です。聖女様さえ居れば、これから先、怪我、病気、呪い、全てに怯えずに過ごせるわけですから」
「……」
「それもあって、昔……それこそ、聖女を保護した貴族が、聖女を独占する、ということがあったようです」
ステリアはそこで言葉を切る。続きを口にするのを、迷うような間を置いて、「その時の聖女様は、……短命であったと、聞き及んでいます」と続ける。
その言葉の持つ意味を、奏はなんとなく察することが出来る。実際、誰かの怪我や病気を治癒するたびに、奏の体温はぐっと下がる。フェリクスが制止をかけてくれているので、奏の元へ『治して欲しい』というような人が来ることは無いが、そうでなければ、多分、毎日のように聖女の力を使うことになっていたのではないだろうか。
そうなったら、――なんとなく、行き着く先は想像がつく、というものである。フェリクスは「僕が保護して良かったね」と奏に何度も言うが、実際、本当にフェリクスが保護してくれていなかったら、奏は今頃どうなっていたか、わからない。
「聖女様が亡くなった後、長い間不作が続きました。その為、王家は早々に聖女様を独占した貴族を罰し、聖女様を誰も独占することが無いように、と、聖女様に関する取り決めを作りました。毎月城下へ出る必要があるのは、その為でしょう」
奏は頷く。確かに、聖女を独占し、その力を欲しいままに使っていたら、聖女の体調はどんどんと悪くなり、毎月の外出も難しくなる。聖女に対する待遇を露見させる機会としての施策なのだろう。
更に言えば、先ほどさらりと流されたが、聖女が亡くなった後の『不作』が、聖女の死に起因したものである、とルーデンヴァールの人々は考えて居るのではないだろうか。
次、もし――聖女を無体に扱えば、どうなるかわからない、という、不安をこの国の人々、特に王家は抱いているのだろう。
今度もまた不作が続くかもしれないし、もしかしたら更に酷いことが起きる可能性もある。
ただ、そうはいっても、フェリクスが言っていたように、貴族の人々は『自分達が国に貢献したから、聖女が降り立ったのだ』と考えている。そうであるから、自分達が聖女に触れるのも、力を使うのも当然のこと、と捉えている節があった。
大変だなあ、なんて考えて、あまりにも人ごとめいていて奏は首を振る。手の平を包むレースの手袋を眺め、奏はそっと息を吐いた。
なんにせよ、奏はすべきことをするだけ、である。
支度を調えて外に出ると、馬車が待っていた。これに乗って城下まで赴き、そこから街の中を視察する形になるのだろう。
今日もどうやら騎士が着いてきてくれるようだ。白を基調とした制服に身を包み、黒色の外套を肩にかけている。外套には記章のようなものが刺繍されており、それぞれの家柄や、騎士としての地位の高さを表しているようだ。
馬車に上がる際に手を差し伸べられ、その手を借りながら中に入る。室内には既に人が居た。奏に気付いて「やあ」と朗らかに声をかけてくる。
騎士服を身につけた、男性だ。――ただ、騎士の中に、こんなにも奏に対して気安く話しかけてくるような人は居ない。
薄い水色の髪に、金色と緑の美しい虹彩。奏は瞬いた。
「え、な……ど、どうしてここに?」
「酷いな。僕が着いていくのは不満?」
男性――フェリクスは、奏に向かって首を傾げる。不満、というか、不満ではないが、どうして、という気持ちがぐるぐると巡る。とにかく座れば、と隣を空けられて、奏はそろそろとフェリクスの隣に腰を下ろした。馬車の扉が閉まり、程なくして、ゆっくりと動き出す。
「フェリクス殿下、その、仕事は?」
「緑の季節は祭も無いし、他の季節に比べて仕事量も少ないんだよ。まあ、端的に言うと暇なんだ。なので、折角だから、僕もキミの仕事ぶりを見たいと思ってね」
フェリクスは弾むように言葉を口にして、顎に手を寄せた。唇の端を綻ばせるようにして笑う。
「いや、でも、フェリクス殿下が城下に現れたら大変な騒ぎになるんじゃ」
「兄上ならともかく、僕はそこまでだよ。王位継承権も放棄しているしね。それに、内政を多少なり任されていることもあって、視察に出向くこともあるから。そんなに騒ぎにはならない」
「本当に……?」
「本当だよ。嘘じゃない。信じてくれないの?」
「今までが今までなので」
「キミって僕に対する信頼、ほとんど地を這ってるよね。それを隠そうともしないし」
楽しげにフェリクスは言葉を続け、奏を見つめた。二人がけの椅子に腰を据えているから、距離が近い。
なんだか、そう、フェリクスは最近になって、急に距離が近くなった、気がする。
多分それは、奏が『自分を大事にしてほしい』とお願いをした日に端を発するだろう。
あの日から、フェリクスは今まで以上に、楽しげに奏にちょっかいをかけてくるようになった。奏、と名前を呼ばれない日はない。
その理由は想像がつかないが、多分、フェリクスの――いわば隠したい、弱い部分を奏が見てしまったから、照れ隠しでそうしているのかもしれない。誰にもいうなよ、と圧をかけるようなものにも近い。
気にせずとも良いのに、と奏は思う。
「でも、フェリクス殿下、その、騎士服着ていますけれど、……」
「まさか仰々しい服装で視察に行くわけにもいかないからね。外へ出るときはいつもこれだよ」
確かに、いかにも王族です、みたいな服装で外出するわけにはいかないのだろうな、と奏は頷く。奏自身、視察の際は華美な服装はしないようにしている。歩きづらいし、そういった服装は人々を畏怖させる。
畏敬の念を抱かせる必要があるならばまだしも、奏の視察は人々と会話をする場面が多く出てくる。相手を怖がらせてしまえば、率直な意見なんかも聞きづらくなるだろう。
「今日は一日、キミの護衛として着いていくから」
「フェリクス殿下が、護衛」
「そう。言っておくけれど、僕、剣の腕は結構巧いよ。兄上とも同等の戦いが出来るくらいには」
「へええ。想像が出来ません」
「ふ。あは。そう言うときは嘘でも頼りにしてます、とか言うものじゃないの?」
フェリクスが笑い、そのまま奏に手を伸ばしてきた。むぎゅ、と頬を掴まれて、直ぐに指先が離れていく。
「痛いんですが……」
「そう? まあ、苦情は後日、いつでも僕の部屋に言いにおいで」
「今じゃないんですか?」
「今言われたら、後日会う理由が無くなるだろう? キミは理由が無いと僕の所に来ないからね。こういう風に、少しでも来てくれる理由を作っておかないと」
「なんですかそれ……」
まるで奏に、部屋に来て欲しい、と言っているようにも聞こえる。奏は首を振って、そのまま手を伸ばした。フェリクスの頬に触れる。
フェリクスが一瞬、瞳を揺らした。眦を赤くさせて「なに」と掠れたような声を出す。――ので、奏は容赦なく、その頬をむぎゅ、と同じように摘まむ。
一秒にも満たない時間で、すぐに手を離す。フェリクスは呆けた顔で奏を見つめた。
「……キミって結構意地悪だよね。僕が折角理由を作ったのに、こんな風に仕返ししてまで、会いたくないってこと?」
面倒臭い恋人みたいなことを言う王子だな、と奏は思う。
拗ねたように眉根を寄せるフェリクスを見つめ、奏は小さく笑う。
「フェリクス殿下こそ、私に対する信頼、結構低いですよね」
「――そんなことはないけれど」
「そんなことありますよ。確かに、私は今まで、フェリクス殿下の所に行くの、文句を言うか、嘘を吐いたことを怒るか、どっちかしか無かったですけど」
今は――他にも理由が出来た。すり、とつねった部分を撫でると、フェリクスが喉を鳴らした。なに、とまた、静かな声が耳朶を打つ。
「私はフェリクス殿下がご自分を大事にするところを監視しなくちゃいけなくなったんですから。用がなくても、行きます」
「……、……そう」
「というか、来て欲しいなら呼んでくれたら直ぐに行きますよ」
「それはそうだろうね。……わかっているよ。ただ、呼べば来る、と言われても、あまり嬉しくはないよ」
「めんどっ、……」
「何を言おうとしたの。ちょっと。面倒くさいって言おうとしただろ。いいよ、キミがそう言うのなら、僕としても考えがある。毎日のようにキミを呼ぶよ。そうしたら良いんだろ?」
「ごめんなさい、怒らないでください」
拗ね方が可愛らしくて、奏は思わず笑ってしまう。
素を、見せてくれるようになったのだろうか。フェリクスはどちらかというと、今までずっと、奏に対して表層的な面しか見せてくれていなかったような気がする。優しいけれど、その優しさを隠すようにして嘘を吐く。そして、楽しげにして、奏の反応を見て、喜ぶ。
けれど、今はなんだか――少しだけ、そう、ほんの少し、心を開いても良い相手として、見られている気がする。
それがなんだかくすぐったくて、心地が良い。
「……じゃあ、今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。キミ、目新しいものに引かれて僕から離れたりするのは止めてよ」
「多分、大丈夫です。もう城下へ赴くのも四回目ですし」
「まだ四回目、だ」
訂正するように念を押され、奏は頷く。
一回目。――奏が引きこもろうとしていたのを、フェリクスによって強制的に連れ出された時のこと。
結局のところ、あの時言われた、「聖女は陽が上がってから落ちるまで外に居なければならない」というのは、完全なる嘘だった。けれど、あれがあったから、奏は外に出ることが出来た、のだと思う。
あの日がなければ、奏は、ずっと一人だったかもしれない。
あれから四回。日にちにして三ヶ月以上。ここにきてからの日々は、なんだか矢のように過ぎていっている。毎日が充実している、と言うと少し語弊があるだろうか。
奏は馬車の窓から、そっと外を窺う。
城下までは、もう少しもすれば、到着する。
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