閑話

枕元の怪――舌打ち

『寝過ぎると頭痛がする』という人が居る。

 わたし、成宮なるみやあやもそのタイプで、六時間も寝ると後頭部と頸の辺りがずっしり重く感じて、「頭イタ……」と思いながら眼が醒める。

 そうなるともう寝ていられない。後頭部の重さはだんだんと頭全体に広がっていって、それが何時だろうとわたしは起き上がりそのまま朝を迎えるのだ。


 薬を飲んでも効かない種類のその頭痛は、ほぼ一日中続く。

 酷いときには眼も開けていられず、学校や仕事を休まざるを得ない日もあった。

 対策としては唯一、六時間以上寝ないこと。

 単純だけれどそれがいちばん効果的で、だからわたしは起床時間から遡って五時間半程前になってからベッドに入ることにしている。

 例えば、朝六時に起きるなら午前一時頃に寝るというような感じ。

 それをもう中学生の頃から続けている。


 この出来事は中学校一年生の秋頃に体験した話だ。

 具体的に何月だったかは覚えていないが、秋遠足のシーズンだったことだけは確かだ。


 その日のわたしはとにかく眠かった。

 中学生の頃は部活の朝練の無い日は午前七時に起きていて、だから普段から深夜二時近くまでだらだら起きているのに。

 ちなみにいつもは深夜ラジオを聴きながら、本を読んだり絵を描いたりしながら時間を潰している。

 そうしているといい感じに眠くなってきて、ベッドに横になる。

 けれど寝つきは良くないので、暫くはベッドの中で右を向いたり左を向いたり、枕の位置を直しながらいつの間にか眠りに就くのが常だった。


 そんなわたしが十二時前にはもう眠くて眠くて、このまま寝てしまったら頭が痛くなっちゃうのにと思いながらも、睡魔に抗えずにとこに就いてしまったのだ。

 けれどやっぱりなかなか眠れなくて、眼を瞑りながら悶々としていた。

 どれくらいそうしていたのか、やっとウトウトとしてきたところ――


 クスクスクス。

 あははは。


 小さな笑い声が聞こえて、わたしは眠りに落ちるのを妨げられた。

 小さく、そして楽し気なその笑い声は、なぜか子供の声だと確信できた。恐らくだけど小学校低学年よりも幼い、幼稚園とか保育園とかそれくらいの年頃の子供の声。しかもひとりではない。複数人の幼子の笑い声が聞こえている。


 クスクス。

 あはは。

 きゃはははは。


 すごく楽しそうだ。何がそんなに楽しいのだろう。

 するとふいに大人が号令をかけた。

 何を言っているのかは認識できなかったが、その号令に子供たちの笑い声は更に沸き立って、踊るように歌うように笑い合っている。

 なぜだかその大人は先生だと思った。先生の掛け声に子供たちは大はしゃぎ。

 そうか、遠足だもんね。バス遠足か。バス遠足は楽しいよね。

 そんなことを思いながらわたしはその声を聞くともなしに聞いていた。


 先生の号令。子供たちの楽しい笑い声。

 その声声声が、わたしの右耳の周りをぐるぐる回っている。

 右耳?そう認識して、わたしの意識は浮上してきた。

 どうやらわたしはいつの間にか寝ていたようだ。まだ眼は開かないけれど、夢現ゆめうつつの状態だったから変な声が聞こえていたのだろうか。

 いや、違うな。未だに笑い声が聞こえている。


 そう、確かに私は寝ていたのだろう。でも今は間違いなく起きている。

 左頬に枕の感触がしていて、左側を下にした体制で横になっているのがわかる。 

 試しにそっと左手の指をグーパーしてみるとちゃんと動いて、ほらね、起きてるでしょ。


 クスクス。クスクス。

 あははははははは。

 きゃはははははははは。


 じゃあこの笑い声は何なのだ。ずっと右耳の周りを、笑いながら回っている気配が続いている。

 わたしは体制は変えずに、けれどゆっくりと眼を開けてみた。

 暗い。

 わたしは寝るときには豆灯も消して真っ暗にして寝るタイプなので、今見えてる風景が暗いのは正しい。そして暗いながらも、そこがいつもの自分の部屋であることが肌感覚でわかる。

 それにあんなに眠かったのに、多少は寝たせいかもうすっかり眠気は醒めていた。

 意識ははっきりとしている。これは夢じゃない。


 先生が号令をかけると、子供たちはそれに従い、皆で手を繋ぎ合いわたしの頭の周りを笑いながらぐるりぐるりと回っている。

 わたしは横になったまま眼を開けているけれど、別に視えているわけじゃない。そんな気配がしているだけだ。楽し気な気配がぐるぐるぐるぐる回っているだけ。

 踊るように、歌うように、誘うように。


 怖くはなかった。夏休みに本気で怖い体験をしてしまった私の『怖い感覚』はちょっとバカになっていて、だから怖くはないものの、まずいなとは思っていた。

 だからわたしはひと言だけ声に出して言い放った。


「うるさい」


 その途端、ざあっと気配が霧散する。

 子供たちの笑い声が遠のいていく気配がする中、わたしの右の耳元で「――ッチ!」はっきりと舌打ちが聞こえ、そしてそれきり、完全に気配は消えたのだった。

 

 今のはなんだったんだろう。

 わたしは右耳に残った舌打ちの音を掻き出すように指で耳の穴を拭う。

 それからすっかり冴えてしまった意識を持て余したわたしは、キッチンに向かい水を飲むと、ついでにお手洗いに寄ってから部屋に戻った。


 ちっとも眠くないものの翌日も学校があるし、今更眠くなるまで何かをする気も起きない。

 諦めて寝よう。

 そう思いベッドに横になってから、また暫くは悶々とした時間を過ごしつつ眠りにつくのだった。


 それきり、あの楽し気な笑い声は一度も聞いていない。

 あの日の翌朝は頭痛で眼醒めたかどうかは覚えていないが、わたしは相変わらず睡眠時間を調整して眠っている。翌朝は頭痛で目覚めたりしませんようにと祈りながら。


 


  了

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【新編】翠嵐の頃 皐月あやめ @ayame

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