エピローグ

現在――八月

「ただいまぁ~!お姫様たち~!!」

 五日振りの我家。リビングで寝そべっている愛猫おふたりにそう声を掛けながらドカドカと近寄ると、「なんだコイツ?」「出かけてたん?」みたいな冷たいよっつの眼で迎えられたけれど、まったく気にならない。


 わたしはまず上のお姉ちゃん猫の頭を、動かせる左手で撫でてそのまましなやかな背中を滑らせると尻尾の付け根を撫で繰り回す。

 途端に尻尾がピンッと立って「なぁあ」と甘えた声を聞かせてくれた。


 それに満足したわたしは続いて妹猫ちゃんに跳びついて、むっちりとしたお腹をもふもふしながら鼻チューをした。すると猫の方から頬にすりすりしてくれて、お陰で顔中が毛塗けまみれになったけれど、それでわたしはやっと帰宅したことを実感できたのだった。


 今のわたしは右腕を白い三角巾で吊った状態だ。ギプスはしていないが、手術痕はまだ抜糸前でガーゼと包帯で保護されている。

 抜糸は二週間後。それまでは三日に一度、消毒してもらいに通院する。

 その間はずっと三角巾状態なのだが、わたしは子供の頃の経験から三角巾は頸に喰い込んで本当に辛いことを識っている。なので事前に相方さんに頼んでアームホルダーを買っておいてもらった。よく故障したスポーツ選手がしているような黒いヤツだ。

 早速取り換えると首が自由に動かせて、「ああ、楽ぅ~」と思わず声が漏れてしまった。

 そんなわたしの姿をお姫様たちが『謎生物』を見つけたような眼で見てくるが、それすらも嬉しい。我家って最高!


 それから約一ヶ月。

 抜糸も済んで右腕も固定しなくてもよくなったけれど、担当医から最低でも二ヶ月は安静にするように言われたわたしは、仕事を休み家で愛猫とゴロゴロして過ごしていた。

 暑い夏の盛りに外出しなくてもよいこの状況。誰に憚ることなく愛猫の写真を撮りまくりSNSに投稿しまくりのこの現状。天国か。


 そしてそろそろ、趣味のウエブ小説を再開しようと考えていた。

 スマホに文字を入力するのにはあまり負担を感じなかったものの、PCのキーボードを打つのには若干の不便を強いられていたのだ。

 それでも経過は順調だし、ゆっくりならキーボードも打てる。のんびりやっていこう。そう思って久しぶりにウエブ小説の投稿サイトにログインした。


 ワークスペースには書き掛けのタイトルがいくつか並んでいる。

 そのどれもが子供の頃、主に中学から高校の頃にかけて体験した、俗に言う怪奇現象と思われる不思議な出来事を扱った、所謂ホラー小説だった。

 始めたばかりの頃は「体験談をベースにしたら何も考えずにスラスラ書けるぜ」、なんて思っていたが、それが浅慮だったことを思い知るのに時間は掛からなかった。

 

 プロットも何も決めずに体験談を綴ったって、それはただの日記だ。いや、遠い思い出過ぎてインパクトのある出来事以外ろくに覚えてもいなくて日記にすらならず、閉めも決まっていないから着地点で迷子になってしまっている。

 そんな話、どうやって纏めていいか分からず放り出してしまっていた。

 つまりここに並んでいるタイトルたちはその骸だ。

 

 けれどせっかくのお休み期間、天から貰えた自由な時間だ。ひとつずつ、それこそゆっくりと完成させていこう。

 そう決意したわたしは、初めての作品タイトルにカーソルを当てる。


『入院病棟の怪』

 

 どこまで書いたのだったか、確認のために始めから読み直す。

 ああ、青木、そんな先生いたよね。

 結局、亡くなっちゃったんだっけ。

 青木は確か、胃癌だったと聞いた。


 高校二年生の時、突然中学校のクラス会が催された。発案者は誰だったのか。それは正式なクラス会ではなく、当時カースト上位の女子たちを中心に話が進み、連絡がつく子だけで開催されたクラス会だった。

 一応わたしにも連絡が来て出席で返事はしたものの、会の前日から風邪で熱を出し寝込んでしまい結局欠席してしまったのだ。


 後日、出席した岡本ちゃんから久々に連絡を貰い、会の様子などを教えてもらった。岡本ちゃんとは高校が別になったため、卒業以来の会話だった。

 その時だ。青木のことを聞かされたのは。

 悲しいとは思わなかった。それよりも多少の驚きと、それ以上に「やっぱりな」と妙に納得してしまったことを覚えている。


 中学校一年生の一学期だけの、わたしたちの担任教師。

 青ハゲと呼ばれていた彼のことを、どこまで書いたらいいだろう。

 それから岡本ちゃんのこと。

 廣安聖子のこと。

 あの夏の重要な登場人物たち。


 思いを巡らしながらうんうん唸るわたしの膝の上には妹猫ちゃんが丸くなり、窓際の猫ベッドにはお姉ちゃん猫が丸くなっている。

 窓の外はどこまでも真っ青な夏空が広がり、眩しい太陽の光がこの先の未来までも明るいものにしてくれる――そう錯覚するには十分すぎるほど、今のわたしは充実していた。



  了

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