第6話 終焉の匂い

 午後二時を過ぎたデイルームは、見舞客と患者さんがそれなりに居てざわざわとしている。

 この喧騒が今はありがたい。院内散歩の気分でもないし——

「いたいた、成宮さーん」

 呼ばれて顔を上げると看護師が近づいて来て、病室の方を指差して笑顔で告げた。

「お見舞い、お友達来てるよ」

 ——えっ?あたしに友達の見舞?!

 そんなバカな。

 あたしは我が耳を疑いながらも慌てて立ち上がり、指し示された廊下を覗く。すると310号室の前にふたりの少女が立っていた。


 ひとりは明るいショートボブのスラリとした美少女。

 もうひとりは小柄でぽっちゃり、襟足にちっちゃなポニーテールの——

「聖子に、お、岡本おかもとさん?」

 突然のクラスメイトの訪問、しかもそれが聖子と、彼女とは正反対な真面目少女の岡本望    のぞみで、あたしは心底驚いた。

 なぜか顔がカッと火照る。心臓までドキドキしてきた。そのおかげで、あたしの恐怖心は一瞬にして吹き飛んだのだった。


「あやちゃーん、元気じゃーん!入院したって岡本おかもっちゃんから聞いて、なまらビビったしょやー」

 重苦しかった病室内に、聖子の朗らかな声が響き渡る。聖子が笑うたびに空気が澄んでいくようで、美少女には空気清浄機能でも搭載されているのかと本気で思ってしまいそうだ。

 そんな聖子とふたりベッドに並んで座り、岡本さんには椅子をすすめた。けれど岡本さんは扉付近に立ったまま、せわしなく視線を彷徨わせている。病室が珍しいのだろうか。


 意外な組み合わせに思えたふたりだったが、小学五年生からの同級生だったらしい。そんなふたりにあたしは訊ねた。

「でも驚いたよ。なしてここが分かったの?」

 入院については担任や部活内には報告していたけれど、クラス全体に伝えたわけではなかった。

 すると、定まらない視線で岡本さんが言った。

「わたしがね、青ハゲから聞いたんだけど……」

「青ハゲ?いつ?」

「うん、あの……」

 岡本さんは一瞬言葉を飲み込み、それから意を決したかのようにあたしと聖子を順番に見ると、恐る恐ると言う感じで室内に一歩踏み出した。そしてこちらにゆっくりと顔を近づけてきた。自然とあたしたちも岡本さんに顔を近づける。するとヒソヒソ話の姿勢になった。


「ねえ、ここってなんかあった?昔、死んだ人がいたりとか……」

 岡本さんが囁いた瞬間、横隔膜がギクリと締まる。忘れかけた恐怖心が戻りかけたその時。

「バカだなぁ岡本っちゃん。病院なんだからそんなの当たり前じゃーん?病気で助からなかった人とか、フツーにいるってぇ」

 あっけらかんとした聖子の言葉に、あたしはなんだか目から鱗が剥がれ落ちた気がした。

 そうだ、ここは病院だ。しかも総合病院。病棟は整形外科病棟以外にもいくつもある。良くも悪くも死と隣り合わせの場所だった。

 がいつ起こっても不思議じゃない場所なんだ。


 岡本さんは、そうだよねなんて相槌を打っているけれど、居心地が悪そうにもじもじしている。もしかしたら岡本さんて、霊感とかがあったりして……?

「あ、あのさ。よかったら、なんだけど……」

 あたしは珍しく勇気を出して、ふたりにある提案をしてみたのだった。


「でさ、セェコってば終業式も速攻帰ったしょや。溜まったプリントとか置きっぱで。したら青ハゲがわたしに届けてくれって言ってきてさ。家も知ってるし、まぁいっかなって」

 場所を変えた途端、岡本さんが流暢に話し始めた。真面目だけれど明るくて友達も多い印象そのままの感じだ。

『リズム』に誘ってよかったかも。

「その時さ、青ハゲに成宮さん入院すること知ってるかって聞かれてさ」

「もぅ、あやちゃん教えてくれないんだも」

「いや、聖子ほぼ学校来てないし」

 岡本さんが吹き出して、三人で笑い合った。

 あたしたちの目の前には、しゅわしゅわと弾けたクリームソーダが並んでいる。

 最初は子供だけで入店したら怒られるかと思ったけど、そんなことはなかった。ちゃんとお客様として、こうして楽しい時間を過ごせている。

「あたしも青ハゲに言われたよ。終業式の日」

 ふたりの視線がこちらに集中する。メロン味の炭酸で喉を潤し、あたしは言った。

「廣安とこのまま仲良くしてやってくれって。聖子、もっと学校おいでよ」

 聖子が長いスプーンでアイスを掬いながら、そうだねぇ、と呟いた。

「とりあえず、始業式は行く」

「遅刻早退、禁止ね」

 すかさず岡本さんが突っ込んで、聖子が「ムリー起きれないー」と泣きを入れて、あたしはお腹の底から笑った。


 ねえ、なんだかコレって、普通の友達みたいじゃない?

 普段の所属グループは違うけど、そんなの無視して、あたしはもっとこのふたりと仲良くなりたい。

 本当の友達になれたらいいのにな――


 それからはおかしなことは何も起こらず、あたしは無事に退院できたのだった。


 始業式は生憎の雨だった。

 聖子の登校が気になったけれど、遅刻ギリギリで教室に現れた姿を見て、あたしと岡本さんは密かに目配せをして「よし」と頷きあった。

 始業のチャイムが鳴る。

 教室の扉が開き、入って来たのは果たして白衣の理科教師ではなかった。

「おはようございます」

 凛とした声音に教室中が静まり返る。

 ポロシャツにジャージ姿の女教師、副担任の早川はやかわが教壇に立っている。

「青木先生ですが、ご家庭の事情でしばらくの間学校をお休みすることになりました。戻られるまでの間、私がこのクラスの担任を務めます」


 ――え。

 一瞬、頭にもやがかかったみたいに何も考えられなくなった。

 早川の声が遠ざかる。

 青木。線香の匂いがしていた。

 線香の匂いには、いつだって死の影が付き纏う。

 あたしは識っていた。

 識っていたじゃないか——


 青木休職の噂は一瞬で校内を駆け巡った。

 奥さんが不治の病だとか、いや青木本人がもう助からないだとか色々な憶測が囁かれたが、生徒に真実は知らされないまま日々は慌ただしく過ぎていく。

 そうしていつの間にか誰も青木の話題は口にしなくなっていった。

 結局、あたしが卒業するまで青木が学校に戻ることはなかったし、聖子と岡本さんのふたりとになることは、この先一度もなかったのだった。



  了

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