母の想い

メイルストロム

おそろしいもの。

 ──最も恐ろしいモノはなにか?


 そう尋ねられたのなら、私は迷いなく母だと答えるだろう。

 ただ勘違いされては困る部分がある。私の母は決して暴力を振るうような人ではなかったし、精神的な虐待を行うこともなかった。あまり多くを語ると嘘らしくなってしまうので一言に留めるが──私の母を例えるのなら世間一般的にイメージされる『良妻賢母』というやつだ。

 嘘だと思うのなら当時の母を知る者に聞いて欲しい。多少の身内贔屓的なモノはあるかも知れないが、ソレを差し引いても母は実に良い人であった事に間違いはない。


 ……けれど、そんな母親が私は最も恐ろしいのである。

 そう思ったきっかけは、父の葬儀を終えた後に母が漏らした本音にあった。


 その本音が恐ろしいと感じた理由はたった一つ。母が愛した男へと抱き続けた思いにあった。

 ……否。愛していたと思っていた、という表現が正しいのだろう。母と夫婦になった男──つまるところ私の父にあたるのだが、これがまたろくでも無い男であった。

 とは言え、ろくでも無いというのは少し語弊がある。この評価があくまでも今の時代にそぐわないが故のモノであると、頭の片隅に置いて欲しいのだ。

 

 父は典型的な亭主関白主義であり、家の事などは殆ど出来なかった。その代わりなのか、仕事に関してはかなりの評価を受けていたらしい。

 ……子供の頃はよくわかっていなかったが、成人を迎え定職についた今なら実父の凄さがわかる。アレと同じ稼ぎを出せと言われても無理だ。と言うかアレほどの稼ぎを持つ者が今の日本にどれ程居るのだろうか? 間違いなく上位数%に入る筈である。

 その点だけを見れば実父は凄い男なのだが、人としてはイマイチ尊敬出来ない。現代社会であればモラハラだなんだと言われコテンパンにこき下ろされている事だろう。父が母に手を挙げた現場を見たことはないものの、母が暴力を受けていた事はわかる。

 だがそれも当時はよくある話の一つであり、母もソレを受け入れている節があった。あの本音を聞いた後ではそうも思えないが──今にして思えば、あの言葉はそういった事の積み重ねから生じたものなのだろう。


 さて、その言葉──もとい本音についてだが。

 より生々しく感じてもらう為には、もう少しばかり母を詳しく語る必要がある。

 良妻賢母と称した母は、当時のヒトにしては珍しく自らの健康維持にかなりの気を使っていた。食事は勿論のこと定期的な運動習慣も身につけており、それ故か同年代よりも若く見られることが多い。元々が美人だったということもあるだろうが、明らかに同年代とは異なる年の重ね方をしていたと思う。

 そんな母とは対照的に、父は健康に気遣うことも無く暴飲暴食を繰り返し、運動習慣を身に付けぬまま定年を迎え逝去してしまった。当たり前と言えば当たり前なのだが、父が現役の時はそういうモノが一般的であったというのだから笑えない話である。


 話を母へと戻すが──あれは記念日などをとても大切にするタイプの人であった。故にお互いの誕生日や結婚記念日は勿論の事、私が産まれてからは様々な記念行事に全力であたっていたという。私は自身の幼年期の記憶こそないが、それを補うかのように沢山の写真がアルバムに残されていた。

 その多くは母と私のものであり、父の姿は数える程しか残されていなかったのである。父は元より写真を撮られるのが好きではなかったと聞いていたので、そういう理由だろうとは思っていたのだが──小学校の入学式といったものにすら父の姿は無かった。

 曰く、仕事が忙しくそれどころでは無かったという。出張や中期の単身赴任が多く家を空けがちだったのは知っていたが、ここまで被ることがあるだろうか? それについて母は「あの人は忙しかったから仕方ないのよ」などと言葉を濁すばかりであった。


 だから当時を鑑みればそれもまたやむなし。皆がそうであったと母は口にしたが、同級生の家庭はそうでなかったような気がする。運動会なんかでは父母共に姿を見せていたし、お昼のお弁当も家族毎に取っていた筈だ。それに対してウチは母と二人きり。だから親子リレーでも母が走ってくれた。母がそれなりに……いいや、普通に足が速かったのも覚えている。なんならちょっとした有名人だったような記憶もあるのだ。


 とまぁそんな事も経験しつつ、私は成年を迎えるに至ったのだが……学生時代の行事において父が関わったことはそう多くない。殆どが母頼りであった。あるとすれば進学に際して学費の相談をしたことくらいだろうか? まぁそれも特に揉めることもなく済んだし、部活動なども割と自由にさせてくれていた。放任主義というやつだったのだろう。

 それか子どもの面倒は『母親がみるもの』という考え方だったのかもしれない。というかどことなくそんな気さえしてしまうのは、私自身が現代の考え方に傾倒している部分があるからなのだろう。

 若しくはネットの普及──特にソーシャル・ネットワーク・サービスが当たり前になったからか。あれのおかげで見たくもないものが見えるようになったというか、他人と比べ易い環境が揃ったというか……とにかく、そういったもののお陰で他人の家庭を知ったが故の部分も大きいのかも知れない。


 私はそんな感じだが、母がどうだったのかはよくわからない。きっと聞けば答えてはくれるのだろうが──あんな本音を耳にしてしまった後ではこう、なんというか……気が乗らないのだ。アレが本当に私を想ってしてくれていたという根拠のない自信が揺らいでいる今、何がきっかけでそれが崩れるかわかったものではないのだから。



「渚ちゃん、久しぶりだな」

「……ご無沙汰しております、定峰サダミネ叔父さん。あとちゃん付けは止めてください。私ももう成年しましたし、家庭もありますから」

「悪い悪い。昔の癖が抜けなくてなぁ」


 父の葬儀を終えしばらくした後、実家の遺品整理を行う最中に訪ねて来たのは父の弟である。腰を痛め入院中の母に代わり、手伝いに来てくれたのだ。

 彼は昔から私達の事を気にかけてくれていて、私が地元を離れるまでよくしてもらっていた。特に幼い頃は両親に代わり私の面倒を見てくれた事もそれなりにあったのだ。私の家庭は父が基本家にいない為、町内会などには母が出ることも多く大変だったらしい。


「おふくろさんは大丈夫そうかい?」

「恐らくは大丈夫かと。母はそんなにヤワな人じゃありませんから」

「そうかも知れんがなぁ……兄貴が亡くなってちょうど一年って時に怪我したから気になってよ」

「もう1年経ってるんですね。どうにも実感がわかなくて困ります」

「寂しい事言うなよ。それに伴侶が亡くなるってのは結構くるもんだぜ?」

「叔父さんが言うと、説得力が違いますね」


 私の言葉に若干の苛立ちを含んだ声で「お前なぁ」と返した後、ナニカ思う所があったのか、それなりの間を挟んでから「そんなに酷かったか?」と付け加えてきた。

 私の態度で察してください、と返せば羞恥と苛立ちの混じった表情を浮かべ深い溜め息をついた。それからしばらくは他愛もない雑談を交えつつ、遺品のちょっとしたエピソードなんかを聞いたりした。それらの大半は私の知らない父の顔であり、どこか別人の話を聞いているような気さえした。


「それで渚ちゃんはどうだい。上手くやれてる?」

「……まぁ、それなりにはやれていると思いますよ。今日は旦那が子どもの面倒をみてくれていますし」

「ごめんよ、そっちじゃなくてお母さんとの付き合いだ」

「……………母とは、よくわかりません」


 母の事を考える度、あの時の言葉が脳裏を過る。通夜にて母が漏らした本音は、未だ私の深い所に突き刺さったまま抜けていないから。


「渚ちゃん、少し休憩しよう」


 唐突な提案に一瞬戸惑ったが、彼の目を見て従うことにした。あの目をしている時は大抵、何か大事な話をしたがっている時の目だったから。




「冷えてないけどよかったかな」

「むしろそっちのほうが嬉しいかな。俺お腹弱いからさ」


 常温よりやや冷えた麦茶を手渡し、縁側に腰掛ける叔父さんの隣へ腰を下ろす。麦茶を一口飲んだあたりで、叔父さんが口を開いた。


「渚ちゃんさ、お母さんの事を避けてるでしょ」

「そうですね」

「……どうして? 昔はあんなに仲良かったじゃない」

「実はその…………自分でもよくわかんなくなってしまって」

「いつから、そんなふうに?」

「…………多分、父の葬儀を終えた翌日からです。珍しく、っていうか初めて母から飲みに付き合ってと言われたんですよ? それでその日から私、母のことが怖くなっちゃって」

「怖い? なんでまたそんな」


 母が漏らしたあの言葉はいつだって思い出せる。

 私が大人になってから初めて受けたトラウマ。成人を迎えて、伴侶を選び自分の家庭を築いたからこそ感じた悍ましい程の狂気。あんなモノを胸に秘めたまま死別するまで隣にいたなんて、ハッキリ言って正気じゃない。

 コレはあの日、私だけが触れた狂気。

 愛というものの行き着く果てにありしもの。

 誰もが抱きかねない昏く冷たい情という熱の余韻。


「……母が、口にしたんです」


 きっと両親の間には確かな愛情があった。

 そうでなければ私は産まれなかった筈である。

 だが母は、父の事を一体いつまで愛していたのだろう?


「父への愚痴を」


 酒に酔った母が私に愚痴をこぼした。

 それは他愛もない愚痴のはずだった。

 実際、それらの愚痴は本当によくある話であった。

 

「だからソレを聞いて思ったんですよ。そんなに嫌だったのなら、離婚すれば良かったのにって」


 そう伝えた時、母は笑った。

 初めて母が嗤った気がしたのだ。

 楽しさから遠く離れた感情を隠すことなく、母が嗤ったのです。


「そうしたら母は言ったんです。そんな勿体ない事出来るわけないって」

「勿体ない? また変なことを言うなぁ……」

「叔父さんがそう思うのもしかたないですよ。私だってそう思いますから」


 実際、父は優良物件だったのだろう。

 金はちゃんと家に入れてくれたし、浮気もしなかった。

 父は純粋に家庭の為に働き続けていたのだろう。


「でも父は、母の大切なものを大切にしてなかったんです」


 金銭と人の想い。どちらが大切なのかは、人による。

 父は金銭さえあれば幸せに出来ると信じて疑わなかった。

 けれど母は、人との思い出を大切にする人であったのだ。


「母はなんでもない日常すらアルバムに残していたんです。叔父さんも覚えていますよね?」

「勿論。事ある毎に写真を撮ってくれって言ってたよ」


 写真だけじゃない。

 思い出の品を母は何よりも大切に扱っていた。

 たとえ古くなっても手入れを欠かさずに。

 壊れたとしても可能な限り直して使っていた。

 けれど父は、そうじゃなかった。

 物を適当に扱うから頻繁に壊してしまう。

 そしてあっさりと買い替えてしまう。


「だからいつからか、母は父を憎んでいたんでしょうね」


 そんな素振りは微塵も感じなかった。

 けどそれは単に私が幼かったからかも知れない。

 もしくは、肌で感じていたけど直視できなかった。


「……憎いのなら、尚の事別れればいいのにな」

「私もそう思いますよ。けれど、母は隣にいることを選びました」


 叔父さんも、あの時の私と同じような顔をしている。

 なにゆえ母が父から離れなかったのか。

 金が目当てなのかと聞けば、そんなのはどうでも良いと一笑に付す。

 

「母の答えは、普通じゃありませんでした」

「嫌に勿体ぶるね、渚ちゃん」

「だってこれ、一度耳にしてしまえば消えない呪いのようなものですし」


 私の言葉に、叔父さんの顔が引きつった。

 それもまた仕方のない事かも知れない。

 どうしてかって、それはほら。

 私の顔を見ればわかることでしょう?

 彼の瞳に映り込んだ私の顔は、あの日の母と同じ顔なのだから。


「憎んでいたからこそ側に居た。そうでもしなければ、死に目まで呪い続ける事が出来ないからね。それに苦しむ様だって見れないのは、なんだか癪だもの────そう、母は言ったんです」


 ──愛しているからこそ、そばにいる。


 そう思う人は多い。というか、殆どの人がそう思っているはずです。

 嫌いになったのなら離れる事が一番だと、皆理解しているから。

 けれど母のように、側で苦しむ様を、没落していく様を見たいがために寄り添う者もいる。


 ……それを知ってしまったから、私は母が怖いのです。

 あの言葉を聞いてからと言うものの、もしかすると母は私を愛していなかったのではないか? という考えが過るようになってしまった。それ故に自然と距離をとってしまった。

 たとえ母に直接尋ねたとして、母が本心を語っているかどうかの確証が持てません。きっと、十中八九母は私のことを愛していると答えることでしょう。ですがソレは本当に愛情なのでしょうか?

 三十年以上連れ添った相手に対して、最期まで怨みを抱き続けたような人が、本当に私を愛してくれていたのだろうか。今も愛してくれているのだろうか?

 考えれば考える程に、迷い苦しむのです。


 見慣れた母の笑顔が全て作り笑いに見えてしまう。

 

 あの日に見せた嗤いこそ、本来の母ではないのかと。


 疑い、恐れるようになってしまった。





 

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