第6話 Re:失踪
二の一区画内の関係者専用通路を、少女を小脇に抱えた男が走っていた。一般的な服装だが首に番号が掘られてある。元囚人の証だ。
「オイ、ホントに助けてくれんだろうなあ」
小声で喋りながらも男は言われた道筋を辿り、角を曲がった。今この通路は企業関係者ばかりだ、仮に見られても問題はない。
『保証するヨ。それより急いだ方がいい。思ったよりもリゼの行動が早い』
通話相手は音声加工を施しており、野太いケロケロとした声が響いた。
「んで、リゼってバケモン、雷の力を持ってンだって?」
『ああ。HARA先生からの情報だから間違いナイ』
「そのHARAってのも怪しいナ。いざって時に裏切るタイプだぜ」
『だったらナンダ。喋ってる暇があるなら急いでくれ』
「わかってるっツウの」
はあっと息を吐き、少女を抱え直す。
「このガキ、見た目の割に重てえナ」
軽く舌打ちをかます。ブーツの底が床を鳴らし、宙に浮いた片足が再度床を踏もうと動いた。刹那。
がっと後頭部を掴まれ引っ張られた直後、壁に背中から叩きつけられた。びりびりと全身が硬直し、震えた呻き声が口から飛び出す。
少女を抱えている右腕が勝手に動き、前に差し出した。黒く細い手が伸び、少女、TIYOKOの身体を受け止めた。
「お、マエ、リゼ、」
壁にひっついたまま痙攣する。男の眼がリゼを見た。
「……君は駒か。哀れだ」
男に右手を向けたまま無感情に返した。
「なん、デ、わかっ、た」
「君に教える必要性はない」
ぐっと力を強める。更に痙攣し、声にならない声を発した。
「私が必要とするのは、君を雇った元の人間の情報だよ。輪廻ノ箱の社員を散々探ったけれど、大した情報は何一つとしてなかった」
四肢が捻れ、骨が折れる。
「そんな時、君がこの子を攫った。ありがとう。感謝するよ」
リゼの力は雷だ。勿論微量な電気信号にも干渉が出来る。全身の筋肉を無理矢理動かし、更にそれを自己破壊に繋げるのは容易い事。今回は脳みその中身が必要な為、そこに力が行かないように調節した。
右手をぐっと握った瞬間、首から下の肉体はぐにゃぐにゃに捻れ折れ曲がり、得体の知れない肉塊に変わった。無理に動かされた筋肉は崩壊し、内臓や骨は押しつぶされていた。
血溜まりのなかに落ちる。壁には人型の窪みが出来ていた。
「……」
リゼはすぐに頭の中を探り、通話履歴を見つけた。先程男と会話していた番号に電話をかける。
『ナンだ。到着したのか?』
加工された声にリゼは読み上げ用の合成音声を利用し返した。
「君にプレゼントを用意したよ。ああ、こちらでは贈り物と言うんだったね」
沈黙が流れる。構わず続けた。
「TIYOKOを攫った理由は分からないけれど、君達が私に対し何か仕掛けてくるのであれば、私もそれ相応の対応をしよう」
ややあって相手側が口を開いた。
『それはソノ男のやった事だ。関係がない』
「そう。無理のある言い逃れだね」
両腕に抱えたTIYOKOが僅かに声を出した。眼を覚まそうとしている。
「とかく、私を狙うという事はそれ相応の罰というものが下る。その覚悟があるのならば幾らでも来ればいい。ないのならばこのまま引き下がるのがいい。私はどちらでも構わない。私の邪魔をしないのならば、君達が他の空想生物をどうこうしようと問題はない」
リゼの淡々とした言葉は更に無感情な合成音声によって相手に伝わっている。そのあまりに無機質な言葉と声に、唸るような返答があった。
『まるで、神サマみたいな言い方ダナ……』
それに彼は答えず、TIYOKOが目覚める前にその場を立ち去った。
西側の休憩場所にそのまま向かった。然し女の姿はなく、あったのはカツラと眼鏡だけだった。
「……」
TVガールに向けて合図を送る。返答はない。
「……もう少し話がしたかったよ」
眼鏡を放り投げ、TIYOKOが完全に目覚めるまで傍にいた。
TVガールは行方不明のヒューマンエラーとして軽く報道され、リゼが残したぐちゃぐちゃの死体は人知れず回収、表には出なかった。ただ元囚人を雇ってまで仕掛けてきた連中は肝を冷やした事だろう。
TIYOKOは念の為、研究施設で検査を受けた。唐突に意識を失って倒れたというのは彼女も自覚しており、空想生物と関わっている以上検査した方がいいと自己判断した。その為連れ去られた事は知らず、リゼも口を開かなかった。
「特に問題ナイって。なんだったのかしら……」
はあと肩を落とす。数時間経っているし、体内に残らない類の薬でも使ったのだろう。
流石に家でゆっくりとしたいとTIYOKOは弱音を吐き、リゼは肯いた。基本どんな事があっても強気を崩さず、苛立ちで元気を保っている。だが彼女もまだ十代の少女だ、リゼは一つ瞬きをしてから後に続いた。
「またヒューマンエラーの行方不明? 最近多いワネ」
先程まで情報を遮断していたため、昼の情報番組で軽く触れられて初めて知った。
「人型ばっかり……嫌ネ」
ぼそりと呟く。手に持ったチョコ味のクッキーを袋のなかに戻した。
「リゼ」
名前を呼びつつ視線をやる。
「アンタは、大丈夫ヨネ?」
その何を考えているか、全く分からない双眸を見上げながら言った。彼は一つおいてから答えた。
「私の力の強さは知っているだろう。平気だよ」
無表情に自信たっぷりな事を言う。TIYOKOはふっと笑ってクッキーを手に取った。
「ほんと、アンタって人間みたいネ」
軽く齧った。リゼは彼女の言葉に返さず、ベッドのある部屋に行った。
そこにはHARAから貰った記録装置が机の上に置かれてあり、じっと見つめたあと近づいて手を伸ばした。未だにこれが本物なのかなんなのか、彼女は試そうとしていない。
当たり前だ。これが偽物だったら、母親の話は全て嘘になってしまう。記憶がないTIYOKOにとって、唯一母親というものの輪郭を掴む事が出来た話だ。
リゼの指先が装置に触れる。彼女が先に進めないのならば自分で試すのが一番早い。然し。
装置は機械を纏った肉塊のようなものに一瞬で変化しながら、彼を包み込むようにして大きく伸びた。耳飾りが揺れる。
がばっとリゼの上体が肉塊に包み込まれ、一拍置いてから引き込まれた。勢いよく飛び出した軌道を逆再生で辿るようにして、一瞬のうちに元に戻った。
軽く硬い音をたてて元の四角い装置に収まり、静けさが部屋の中に広がった。勿論そこにリゼの姿はなかった。
一時間後、動く気になったTIYOKOが腰をあげた。袋のなかのクッキーは半分程減っている。
ぐっと伸びをし、息を吐く。トイレに向かい用を足した。
それからクッキーの残骸がへばりついた口内を洗うように、冷蔵庫から缶ジュースを取り出してぷしゅっと音をたてた。飲みながら居間に戻り、そのままベッドのある部屋の襖に手をかけた。
ごくっと喉が動いたあと、軽く見渡す。
「リゼ?」
確かにさっき、この部屋に入って行ったはずだ。襖になっているのはここだけでその音が聞こえた。
もう一口飲む。無駄に甘ったるい味が広がる。
「リゼー?」
名前を呼びながら扉を開けてなかを見る。だがいない。段々と胸が締め付けられていく。
「リゼ」
最後に彼がいつも血液を採取している部屋を開けた。
いない。
息があがる。TIYOKOはすぐに引き返し、缶ジュースを乱暴に台所に置くと襖の先に駆け込んだ。
机の引き出しを漁る。一つとっ掴むと鍵を外し引き金を押し込んだ。
空想生物が何も言わずに傍から消えた時、飼育員は所属している研究施設とその母体に連絡をする義務がある。その際に使われるのが緊急用連絡装置であり、使い切りだがどの通信よりも速く情報が届く。
すぐにKIRARAからの着信があった。
『窓も玄関も開いてナイ?』
比較的落ち着いているが、走った直後のような息遣いがある。TIYOKOは身支度を急いで整えながら答えた。
「一つも開けてないワ。鍵を開けて出ていった可能性もあるけれど、リゼがそんな事をする人だとは思えないし……」
足を踏み出す。彼女は机の上にある装置に一切視線をやっていない。当然だ、姿かたちはリゼを取り込む前と一つも変わっていない。
『とにかく、リゼが消えるのは結構な異常事態ダヨ。すぐに来て』
KIRARAと話した内容が通話を切った脳内に溢れ出す。もし本当にリゼが狙われていたとしたら……不安と心配、そして怒りに鍵を開け、外に飛び出した。
ヒューマンゼロの失踪は七年ぶりだ。精々あったとしてもエラーまでで、ゼロは数の少なさもあり一番丁寧に厳重に守られてきた。
TIYOKOの管理がずさんだったと批判する者もいる。特に母体側の老人達は彼女がまだ十代の小娘なのを強調し、何度も「辞めさせろ。役不足ダ」と主張した。
然し研究施設側は一概に彼女のせいとは思えなかった。リゼの知能指数は人間以上であり、精神崩壊を引き起こす程の実験にも平気で耐えた。
彼はヒューマンゼロのなかでもアマ達に近い存在だ。そんな空想生物が姿を消す理由が見つからない。それに勝手に消えればどうなるかもリゼは知っているはずだ。
気まぐれとは言えこんな小娘を選んだには何かしらの理由がある。その小娘を不利な状況に追い込むような事はしない。
母体はTIYOKOの責任を問うたが同時にリゼの失踪に一部企業が関わっている事を考えた。
『TVガールも行方不明とナッタ。やはり奴らはクロと見て違いない』
『TVガールはリゼと接触してイタ。リゼは密輸の事を知っている』
『輪廻ノ箱が関わっている行事にてTIYOKOが意識を失ッタ。人為的なものに違いない。リゼは何かを隠している』
『我々がもっと踏み込ればイイが』
『野党連中が企業の後ろ盾となってイル。これ以上の行動を起こせば、我々の立場が危うい』
『リゼは何としてでも奪い返さねばならナイ』
異形の頭をした老人達が各々好き勝手な事を言い、沈黙が流れた。ややあってうち一人が動かない口で言った。
『一先ず、家宅捜査をやらせヨウ』
あくまでも研究施設の母体。警察組織ではない。
輪廻ノ箱がクロだと判ったところで直接何か出来る訳もなく、所属している施設へ向けてTIYOKOの家宅捜査を実施するように命じた。
「……」
数人の職員が家のなかを探し、特殊な機械や装置で空想生物の痕跡を探した。彼女は自分の家に居ながらも疎外感を覚えた。
「ここで足跡が途切れてマス」
痕跡を探していた若い女が腰をあげた。それは襖の先、ベッドのある部屋で、浮き上がったリゼの足跡は丁度机の前で止まっていた。
しかも足先は記録装置に向いている。TIYOKOは絶句したように口を開けた。
職員の一人が割って入り、手袋をつけた状態で触れた。その瞬間、ばちんっと強い静電気が走った。
HARAの話は完全な大嘘。その事が確定したTIYOKOは唖然としたまま項垂れた。
超大型記録装置は帯電状態であり、リゼの能力実験の記録と全く同じ間隔で波打っていた。そして装置自体にも生体反応があり、空想生物である事が判った。然し幾つもの反応がある。恐らく色んなものが混ざっているのだろう。
一先ずリゼがこの中にいる事、研究施設が確保した事は大きい。母体の老人達は一息吐いた。
JAPANの憲法上、空想生物に強制的な実験は禁止されている。勿論、何かと何かを混ぜ合わせて他の何かを作る、なんて事は論外だし非論理的だととっくの昔に憲法に載せられている。
TIYOKOの証言しかないが母体側はHARAを探しはじめ、研究施設は引き続き装置の解析を進めた。
「……ダイジョウブ?」
缶ジュースを差し出す。
「全然、大丈夫じゃないワヨ」
受け取り、一つ息を吐いた。KIRARAは黒髪を耳にかけつつ隣に座った。
「想像以上ダッタ」
空想生物を使った合成実験は他国で何度も行われている。然しどれもこれも成功しておらず、上手く行ったとしても細胞が破裂したり、自己破壊を繰り返したりして短時間で死亡した。
だがそれらは表の話だけかも知れない。KIRARAは今回の件を受けてそう感じた。
「十年ぐらい前、従来の人工知能とは格も質も違うのが中華国で発表されたデショ? その時詳しい事は一切公表されず、しかも五年やそこらでその人工知能は姿を消した」
中華国は空想生物への過激な実験を繰り返している、という話は有名だ。二人は当時子供だったから考えた事もなかったが、大人達はあの人工知能は空想生物によるものだ、と噂していた。
今改めて思い返すと、確かにそんな気がしないでもない……二人は重たい空気のなかそれぞれ肩を落とした。
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