第7話 Re:憤慨

 薄暗く、不気味な空間。まるで化け物の胃の中にいるような臭いと湿り気がリゼの頬を撫でた。

 波打つ肉壁の一部が尖り、そのままリゼに伸びる。然しばちんっと火花が散った。焦げた臭いが鼻をつく。肉壁全体がどよめいた。

 彼の足元にある肉壁は黒く焦げており、死滅しているのが分かった。そしてじわじわと広がっているのも目視で確認出来る。

 ゆっくりとだが確実に雷の力で焼いている。それがどれだけの時間を有するものかは分からない。だが彼にとって時間はないに等しい。

「波の形が変わってるナ」

 心拍数のように一本の線が上に下に動いている。強化硝子の先に視線をやった。

「力が強まってるンだろう。それにこの形、対象を破壊した時と同じだ……」

 幾つかの資料が散らばっており、うち一つに今の波形と同じものが印刷されていた。リゼを対象にした実験記録だ。無機物、有機物問わず破壊した場合の力の質量や軌道なんかが書かれてある。

 特に有機物を強い力で破壊した場合にこの波形が大きく出た。現在進行形で記録されていく線の動きに、研究員の一人は眉根を寄せた。

「マジで欲しがってンのかね、こんな化け物」

「アン? HARA?」

「イイヤ、KIRARAさんだよ」

「アア……」

 二人共、硝子の先の物体を見た。幾つもの検出器(センサー)に囲まれ、管に繋がれたそれはどう見ても記録装置にしか見えない。とてもじゃないが、生物とは思えなかった。

「あの女、キット公安警察だよ」

「だとしたらなんで公安警察がリゼを欲しがるンだよ」

「知らねエけど、米国に対抗出来る力が欲しいんじゃないか?」

 波形が一際大きく動く。

「だとしたらマアいいけど、公安警察じゃなかったらどーすんだよ。俺ら、KIRARAさんに手貸してるし……」

「そこだよナア」

「単に怖いから公安警察にしときたいダケだろ、お前」

 互いに装置から視線を外した瞬間、落雷のような轟音が響いた。豆鉄砲を食らった鳩の顔をして飛び上がる。

「ナ……」

 装置からもくもくと黒い煙が出ており、幾つかの検出器と管と繋がっている機械が一瞬で故障していた。波形を測っていた機械もやられており、液晶が暗闇を映していた。

「リゼの力、ダヨナ」

 一歩後退る。

「なあ、やっぱり母体の言う通り、向こうに渡した方がいいンじゃねえの」

 最初、装置を解析した際に母体側の老人達は渡すように言った。だがリゼの情報が旧・TOKYO地下研究施設のみにある為、早さを優先して渡すのを拒否。老人達も最終的に背に腹はかえられぬと言ってそれ以上要求はしなかった。

 然し母体側にその旨を伝えたのはKIRARAだ。リゼの研究、実験を半分程担当している事もあり、彼女が前に出た。

「今更彼女を裏切れって言うのか……? モシ仮に公安警察だったとしても、裏切ったら処理されるぞ」

「で、デモ……」

 故障した機械達から修復要請が通知される。然し二人は落雷の音の衝撃もあって動けずにいた。そのうち施設の総括管理人工知能に送り先を変更、施設全体に合成音声が鳴り響いた。

 その後何人かの研究員や職員、技術者が到着、二人はしどもどろになりながらも起きた事を報告した。だが当人達は気づいていないが以前はなかった吃音や、チック症に似た体の動きが見受けられ、検査を受ける事になった。

 結果、かなり強力な電磁波を浴びていたのが判った。故障した中にも電磁波が原因のものがあり、落雷の音が鳴った瞬間に周囲に広がったのだろうと推測された。

 電磁波は今の人間にとってかなり有害な代物だ。所謂電磁パルスというもので、脳みそまで機械に犯されているせいで簡単に影響を受ける。

 彼らが一時的な吃音症やチック症に似た症状を発症しただけで済んだのは、何重にもある強化硝子のなかに対象がいた事と管理室が特殊な造りだったお陰だ。然し逆に言えばそれだけの防御を突破し、影響を与えたという事になる。

 また故障した機械達は修復が不可能な状態であり、最先端、最高峰である強化硝子を突破した事に施設の人間達は恐怖を覚えた。

 なによりリゼの記録では、破壊実験の際に彼は力の二割も出していなかった。故障寸前の記録を見ても違いはそこまでなく、電磁パルスを発生させた際の力の割合は大体四割程度と推測。半分も行っていない。

 ここの研究施設では機械も人間ももたない……最終的に施設の所長が直接判断し、安全を考慮して母体に装置を渡す事になった。

 完全隔離絶縁空間、通称【雷神】の中央で装置はゆっくりと回転していた。どんなに強い電流でも通す事はない、自然の力を持つ空想生物に対応した究極の隔離空間であり、その場所に人間は一人もいない。

 全てが人工知能、人形で補われるこの場所ならば、万が一空間を超える程の力が出たとしても人命は確保される。ただその場合、影響がどこまで広がるかは分からない。二次的に誰かが死ぬ可能性はゼロではない。

『HARAの戸籍情報がナイ。そもそも架空であり、そんな人物はいないとまで言われた』

『警察は動く気がナイ。我々で調べたが家族も親類縁者も全て偽造だった』

『論文や講師を勤めていた学校はどうなってイル』

『全て記録がナイ。もしくは別の者にすり変わっている』

『関わっていた人間らを調べたが、ミナ最高峰の記憶処理を受けていた。HARAという男の後ろには、輪廻ノ箱以外の企業がついているようだ』

 企業なのかそれとも国そのものなのか。母体の老人達は唸り声を出した。

『TIYOKOの処分はどうスル』

『一時的に権限を剥奪する。リゼを外に出す訳にもいかないカラ、TIYOKOとも関わりのあるKIRARAという研究者に仮飼育員になってもらおう』

『施設を代表して我々に直接話をしにきた娘カ。若いのに立派な人間だ。異論はない』

『研究者ならばリゼの差異にも気づけるだろう。リゼを装置から出した後に、KIRARAに仮飼育員の権限を与えヨウ』

 老人達は議論を進め、変わらず自分達でHARAという男の行方を追う事にした。だが。

 輪廻ノ箱本社付近にて中年男性が自爆。上半身は弾け飛び、周囲にいた輪廻ノ箱社員数名に体内にあった化学薬品が付着した。触れれば瞬時に溶ける、強い酸性の薬品だ。自爆テロとして警察や特殊部隊が駆り出される事態となった。

 そしてその中年男性の解剖記録を母体側が買い取り、脳みその破片からHARAの身元情報の一部が発見された。母体が予め保存していた情報と一致する部分が多く、最大は下四桁の生体番号が完全に一致していた。

 博士号を取得している人間は専用情報用地(ウェブサイト)にて氏名、年齢、生体番号が公開される。博士号を取得している設定だったHARAもついこの間までそこに記載されており、母体は間一髪のところでその情報を保存していた。

 もし少しでも怪しいと感じずに無視していたら、この自爆を起こした男がHARAと同一人物だとは気づかなかっただろう。現世に居ない亡霊を無駄に追うところだった。

 だが男が自爆した動機は分からない。記録の殆どは破損しており、乗っ取られた痕跡も特にない。

 ただ輪廻ノ箱の近くで自爆したのは何か意図があるはずだ。動きの鈍い警察と協力しながらもその方面への調査に舵を切った。

「……」

 肉壁の殆どは黒く焦げており、嫌な腐臭が充満していた。鼻の奥まで焼け付くような臭いだ。

 その肉壁の一部、彼の眼の前にはいつの間にか顔が出来ていた。かなり不格好で眼の位置が大きくズレている。然し顔だと認識出来た。

『モウ、ダス、カラ、ヤメテ』

 歪んだ唇のない口が動く。無機質な声だが悲痛な叫び声に聞こえた。

「嘘は言わない方がいいよ。君達は取り込む事しか出来ない」

 リゼはずっと変わらず力を放出し続けている。落雷に近い出力でじわじわと周囲を焦がしていく。

『ドウ、シテ、ワカル』

「君達にはもう電気信号が届かない。私からすれば死体と同じ状態だよ。だから破壊して自力で出る」

『デモ、イタイ、クルシイ、ヤメテ』

「君達を作ったのはどういう人間なのかな」

『ヤメテ、クダサイ、ガンバル、カラ、ヤクノ、ハ』

「輪廻ノ箱は大きく関わっているのだよね。私を捕まえたがっていて、よく分からない人間の男を使って君を渡した」

『ヤメテ、クダサイ』

「下手をすれば人間の娘にも危害を加えられていた。私はとてもじゃないが赦す事は出来ないよ」

『イヤ』

「それで、君達を作ったのはどういう人間かという私の疑問にまだ答えていないよ」

 瞬間、【雷神】全体が閃光で満たされた。直後、硝子が砕け散る程の爆音が響き渡り、幾つかの感知器が誤作動し警告、警報を鳴らし始めた。

 赤い光が施設内を照らすなか、浮いていた装置は半壊状態で落ちていた。中からは赤黒い粘り気のある体液が漏れ、幾つかの肉片が飛び散っていた。

『リゼが解放されました。担当職員は急行してください』

 割れた硝子を黒いヒールが踏みしめる。ぱきっと音が鳴った。

『ヒューマンゼロ、リゼ。すぐに力の解除をしてください。貴方を保護します』

 人工知能の声が四方八方から響いてくる。だがリゼは応じなかった。

『力の解除をしてください。貴方を保護します』

 びりびりと彼の周囲の空気が電気を帯びる。影響を受けたのか人工知能の声が乱れた。

『応じない場合は強制的に制圧します。貴方を保護します』

 【雷神】に予め備え付けられている自動制圧装置が起動しはじめ、幾つかの銃口が彼を取り囲んだ。

『力の解除を、して、ください』

 声が途切れ途切れに響く。【雷神】に向かう認証式の扉はなぜか開かず、リゼと人工知能の一体一になっていた。

「娘の安否はどうなっているのかな」

 ばちんっと空気中で弾ける。先程よりも力が強くなっており、まだ測定している機械の波形が大きく揺れ動いていた。

『TIYOKO飼育員は、一時的に権限を剥奪、自宅待機を命じられ、ています』

 じじじ……僅かな音にリゼは耳飾りを揺らして眼を伏せた。

「心配だね。壊されては困る」

 刹那、全ての自動制圧装置が爆発した。連続で爆発音が響き、後にはぱらぱらと破片が散った。

 人工知能の声は完全に壊れ、何を言っているのか分からない。リゼは歩を進め、母体から抜け出した。

 輪廻ノ箱が絡んでいる為報道はされなかったが、米国や中華国を巻き込んで大騒動に発展した。リゼを保護しようとする母体側、捕獲もしくは殺してでも捕まえようとしている企業側、そしてKIRARAを含むもう一つの勢力。

 歩く自然災害と言われだした彼を巡り、身を隠す気もなくそれぞれが本格的に動き出した。

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