第8話 Re:暴走

 こつこつと足音が鳴る。そうして黒い手を一つの扉に伸ばした。がちゃり、と鍵が開いた。

「……TIYOKO」

 膝を抱えていた彼女が顔を上げる。眼を丸くし、口を開いた。

「リゼ……」

 TIYOKOは反射的に動いていた。立ち上がり、彼に飛びつく。ふわりと髪が揺れた。

「良かっタ、リゼ」

 こもった声は震えており、マントを掴む力は強かった。リゼはその頭頂部を無表情に見下す。

 確か人間の親が子供にこうしていた……元の時代で何度も見かけた光景を思い出しつつ、頭に手を置いて軽く撫でてやった。さらさらと髪がまとわりついた。

 TIYOKOは自宅待機を命じられてから情報が入っておらず、勿論KIRARAの事も知らない。リゼは一瞬言うかどうかを迷い、口を噤んだ。

「母体にいた方が安全ヨ」

 仰向けになったリゼの上でTIYOKOは呟いた。心臓の鼓動が聞こえてくる。

「そうかも知れないね。けれど私はそこまで寛容でもなく、我慢強くもない。それに輪廻ノ箱は君を精神的に傷つけ、尚且つ危害も加えてきた」

 細い背中を触る。掌にまで人間の鼓動が伝わってくる。

「危害、ッテ?」

 TIYOKOが顔をあげる。リゼは天井を見つめたまま、あの時の事を伝えた。

「ソンナ……」

 震えた声に瞬きをする。感情はない。

「これ以上君に危険が及ぶのは私としても看過できない事だよ。だから母体に戻る気はない」

 そう、男と女の人間はよく身体を触りあっていたし、よく分からない事も言っていた。リゼはTIYOKOを抱えたまま座り直し、眼を見て言った。

「君の傍にいたい」

 手に伝わる彼女の温もりと体重。そして鼓動と電気信号。

 確かにこの娘の中にはある。強い共鳴の気配……この娘を連れて帰れば新たな神と人類の架け橋となる。

 その時、首の後ろに腕が回されたと同時に唇に感覚が走った。耳飾りが揺れ、反射する。柔らかい感触と吐息がかかる。

 離れたあと、TIYOKOは至近距離で微笑んだ。

「スキ」

 彼女の手が頬を撫でる。リゼはその双眸を見つめた。

 電気信号が巡る。リゼのなかの力も巡る。


 架け橋の種が芽吹いた―――――――


 刹那、ばちんっと高電圧銃(スタンガン)に似た音が鳴り響き、TIYOKOの身体が仰け反った。

 機械と化している身体の一部からは煙があがり、軽く擬似皮膚も裂けていた。その隙間からは無骨な配線が見える。

 白眼を剥いたままの頭を元に戻し、口と瞼を閉じさせた。それからすっと抱えあげ、扉の自動施錠用機械を破壊して出て行った。

 周囲からの奇異の視線を感じながらもリゼは自タクを無理矢理捕まえた。乗車していた男が怒り、怒鳴りながら出てきた。

 然し近づいた瞬間、強い電流が男のなかを駆け巡った。痙攣し、煙を吐きながら崩れ落ちる。悲鳴があがり、何人かは警察に通報した。

 構わず自タクに乗り込む。

『暴力行為を検知。走行状態を解除します』

 車体についている撮影機か何かが目撃したのだろう、タイヤ自体に鍵がかかり、リゼを閉じ込めるように全ての扉が閉まった。

『数十分で警察が到着します』

 人工知能の淡々とした声に脚を組む。窓の外を見ると崩れ落ちた男を撮影したり、顔を歪めて呆然と見ていたり、様々な反応があった。

「私は急いでいる」

 口だけを動かす。

『警告します。扉を破壊した場合、直ちに制圧装置を発動します』

 お互いに淡々としていて感情がない。

「私には効かない」

 瞬きをし、正面に向き直った。

『警告します。扉ヲ��������������������

「私は急いでいる。あまり手間を取らせないでほしい」

 タイヤがゆっくりと動き出す。

『やめてく����������

 幾つかの液晶画面が乱れる。

「地下研究施設だよ。あそこの機械を使って私は元の時代に帰る」

 進行先の信号が青に変わる。

『警告します。これいじ���������������

 車両は一切速度を緩めずに進む。その時、人工知能の判断で座席にある制圧装置が発動、リゼの首に無骨な機械が巻き付けられた。

『自爆まで五秒前、四、三、』

 車の制御は取り返せない。ならばせめてと一部の機械を更に上から奪い返し、大爆発を起こせるように細工した。

 周囲を巻き込む危険性はあるし、自タクという企業名を掲げての自爆行為は後々問題になる。その事は人工知能であれば予測出来る。

 だがこのままこの生物を野放しにしてはいけない、そんな結論にカウントダウンと共に内部の熱が膨れ上がった。

『一』

 大爆発。とはならなかった。

 相変わらず車は走り続けている。

 リゼは脚を組み直し、人工知能を見下した。その黄色い瞳は人間らしさは勿論、生物らしささえなかった。

 首にあった機械が外れる。彼は軽く、極々普通の調子で首を触り、それから外を見た。

 刹那、自タクの横腹に大型トラックが衝突した。

 何十メートルもそのまま押され、最終的に古い倉庫群のうちの一つに衝突、大きなタイヤ痕が後に続いた。

 幸い人通りの少ない箇所だった為巻き込まれた人間はいない。鳴り響く警報に続き、大型トラックから二人の女が降りてきた。

 顔の半分を改造しており、首には元囚人の番号が書かれてある。押しつぶされた自タクの車両にヘラヘラと近づいた。

 瞬間、衝撃波が二人を吹き飛ばし、道路に身体を打ち付けた。うち一人がすぐに起き上がり、怒鳴りながら駆け出そうとした。

 ききいっとブレーキ音が鳴り響いたのは一瞬の事だった。業務用の超大型自動運送車に跳ね飛ばされ、車体についている二列の無限軌道式タイヤ(キャタピラー)に押しつぶされた。

 嫌な音が鳴ったのも短い間だけだ。運送車は減速したものの停車はせず、そのまま長い身体を動かして先に進んだ。

 ごわんごわんと独特な駆動音や機械の重なり合う音が響くなか、自タクの一部がぽんっと弾け飛んで地面に転がった。そこからリゼの黒い手が歪んだ車体の枠を掴む。

 ふわりと出たあと、TIYOKOの身体を中から引っ張りあげた。再度抱え直し、地面に降り立つ。

「……」

 風が吹き、前髪が揺れる。額に切り傷が出来ており、黒い血が片眼を塞いでいた。

 視線を大型トラックにやった。

 リゼが研究施設に向かっている事は既に知られており、女らが襲撃に使ったトラックの制御が彼の力で奪われている事と、明らかに馬力以上の速度を出している事が場所の特定に繋がった。

「ハイ。分かりました」

 上から指示を貰った彼女は黒髪を耳にかけた。

「ハア……わざわざ戻ってくるとか、バカじゃないの」

 その表情は年齢に似合わず大人びており、少し不気味にも見える。KIRARAは白衣を羽織直し、研究施設の研究員として役に戻った。

 昇降機内部。表示された数字が増えていく。

「……」

 腕に抱えたTIYOKOの脚が揺れに合わせて動き、その重さがよく伝わってくる。何度も見た顔から視線を外し、小気味よい音と共に到着した昇降機から降りた。

 こつこつと足音が反響し、リゼの到着を知った研究施設側はすぐに扉を開いて出迎えた。彼が入ったあと、扉は厳重に施錠された。軽く振り返る。

 逃がすつもりはない、そう言いたげな様子に瞬きをし、奥に進んだ。

 研究員や職員らは慌てて各研究室や避難室に逃げ込んでいき、その後を着実に歩いていった。足音が遠ざかってからやっと恐る恐る顔を覗かせ、ちらほらと廊下に出てくる。

「なあ、抱えてたノって」

「ウン。飼育員のあの子だよ」

「自宅待機じゃナカッタ?」

「意識がナイみたいだったけど……」

 彼らのこそこそとした話し声を僅かに聞きながら、リゼはとある扉の前で足を止めた。顔をあげる。

 【転移装置・研究室】と汚れた看板が扉の上にあった。散らばっている空想生物を研究施設に呼ぶ為の装置があり、別次元や時代と繋ぐ事も出来る。その事をTIYOKOからなぜか自信満々に語られた。

 勿論、リゼのいた元の時代と繋いで戻る事も可能だ。確か彼女は「もし自分も行けるノなら、リゼと一緒に行ってみたいわ」と笑いながら言っていた。

 あくまでも好奇心。あくまでも夢物語。

 ただ、と視線を下にやった。自分の腕の中で眠るTIYOKOの顔を見る。上から見るとまつ毛が長く、綺麗な顔立ちをしているのが分かる。

 気づいた頃には長い時間を共にしていたが、はっきりと顔を見た事は一度もなかった。

「ナンの用?」

 後ろから声がかかり、ふっと振り向いた。そこにはKIRARAがおり、怪訝な表情を浮かべていた。

「装置を使いたい。元の時代に帰る必要があるからね」

 彼の言葉に黒髪を耳にかける。

「アー、そういう事……で、なんでそれにTIYOKOがいるの?」

 耳にかけた指でさした。

「彼女も連れて行く」

「ハア……? 無理だよ。人間は通れない」

 溜息を吐き、KIRARAは足を出した。近づきながら面倒くさそうに言う。

「正直なところ、おかしな事になるぐらいなら帰ってくれた方がイイ。ただTIYOKOは置いていって。私のガールフレンドだし」

 眼を合わせる。一つ沈黙が流れる。

 刹那、KIRARAの黒髪が舞い、白衣のポケットに隠していた左手を振り上げた。

 然し振りかぶった状態で固まる。びりびりと全身が軽く痙攣しており、ぎりっと歯を食いしばるとこめかみに血管が浮いた。

「君は、私の敵かい」

 上から注がれる無機質で冷たい視線。耳にかけた髪が垂れる。左手には強力な麻酔を打ち込む機械が握られており、安全装置を親指で解除している状態で固まっていた。

「ッ、ある意味敵カモね」

 震えた声。ぐぐぐっと左腕が勝手に後ろに行く。

「そう。それを私に使って、どうするつもりだった」

 ちらりと左手のそれを一瞥して問いかける。監視用の撮影機には既に偽の映像が映されており、今の光景は誰にも見られていない。勿論人工知能にもだ。

「上に連絡、シテ……麻酔が効いた貴方を、連れていってもらう、つもりだった」

「上、君は駒だね」

「そうだよ、駒でしかナイ」

「上というのは何かな」

「……国」

 俯いた口から涎が垂れて落ちる。全身の筋肉や機械が完全に言う事を聞かず、尚且つ常に痺れているような嫌な感覚に顔を歪めた。

「国、この国の事かな」

「ソウ。でも一つじゃ、ない。米国自体も、だよ。変な連中に奪われる前に、JAPANから米国の、もっと大きな研究施設に、いや、収容施設に連れていって、貴方を本格的に保護……あー」

 ちっと舌打ちが鳴る。

「収容、する、ツモリ、で」

 舌が思うように動かず、途切れ途切れになる。

「クソ」

 吐き捨てるように言った直後、かちっと僅かにKIRARAの頭から音が鳴った。ぱあんっと弾ける音が続き、頭の右側面が大きく破裂した。

 その反動でふわりと横に倒れる。えぐれた側面からは脳みそとそれを囲む機械が見え、じわりと血や白い液体が床に広がり出した。

 KIRARAは米国直属の代行者(エージェント)であり、偽名だ。元々JAPANと米国の間で決めていた事で、各研究施設に数名代行者を潜り込ませ、色々と裏で仕事をこなしていた。

 それが今回役に立ち、JAPAN側から提案があって米国の空想生物を収容する施設にリゼを連れていく計画が即席で作られた。もしそれが上手く行けばリゼの保有権を譲渡する、その条件下の元KIRARAが主に動いていた。

 非合法な連中の手に渡る事を防ぎつつ自国の評価を上げ、リゼという強力な雷の力を持つヒューマンゼロを完全に譲渡する事で電気代を下げてもらう。やっている事が少し違うだけで企業側と大差はない。

 その粗筋を、リゼはKIRARAの削れた頭に残ったやり取りや記録から読み取った。

「……」

 ばちんっ。一際大きく空気が鳴る。

 と同時にその場からリゼの姿が消えた。

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