第3話 Re:母親
大学での一件から一週間後、TIYOKOのもとに連絡があった。送り主は空想生物学の博士、リゼが以前対応した人で、TIYOKOにあの謎の機械を渡した人だ。名前は確か、
「HARAさん……カ」
彼が関わっている学校の一つに、授業をしに行った大学がある。恐らくその繋がりで連絡をしてきたのだろう。
「リゼー」
腰をあげ、名前を呼ぶ。玄関に近い小部屋を彼の自室としてあてがっており、TIYOKOはもう一度呼びつつ顔を出した。
「ン、採血中?」
正座したリゼは医療用の自動機械に右腕を任せていた。刺した針から管を通り、真っ黒な血が溜まっていく。
「相変わらず黒い血なのネ」
空想生物は一ヶ月に一回、採血とその他体液の採取を行い、軽く脳波や心電図も測る。それらの情報や物体は自動的に研究施設へ送られ、変化がないかどうか調べたあと保存、記録される。
簡易的な自動機械が全て行うため、リゼやTIYOKOが何かをする必要はない。
「個人的に話がしたい、と」
採血が終わり、リゼは手を開いたり閉じたりしながら彼女を見上げた。
「ウン。大学での講義の記録を見て思ったそうよ」
腰に手をやる。
「そう」
視線を外したリゼに眉毛をあげた。
「なんか、納得してなさそうネ」
彼と出会ってから今月の三十日で一年が経過する。幾ら人間味の薄い無表情な空想生物でも、毎日一緒にいればなんとなく癖が解ってくる。TIYOKOの言葉に間違いはないのか、リゼは超小型無人飛行機を準備する機械を見つめた。
「単に人間を信用していないだけだよ。君が会って話してみたいのならばそれでいい。私はどちらでも構わない」
無人飛行機はふわりと浮くと、僅かな振動音を奏でながらTIYOKOの前を通り過ぎた。開けてある窓から外に飛び出す。
「なら、明日の昼頃ネ。一応訊くけど用事とかないわよね?」
「ない」
その答えに彼女は肯き、「服装どうしヨ」と言いながら去っていった。待機状態に入った機械を見つつ、リゼは博士、HARAに対する妙な違和感を反芻した。
自タクのなかには二つの液晶画面が取り付けられており、後部座席に座ると眼の前にくる位置にある。主にサブカルチャーの広告や交通関係の広告、また周囲の飲食店、個人商店の軽い紹介などが常に流れている。
ぼーっと眺めるには丁度いい程度だ。然し一つ広告を挟んでから情報番組に切り替わった。地上波で流されている一番有名な番組だ。
人工知能による読み上げは淡々としており、【速報】という文字がでかでかと表示された。
『OSAKAにある西関電力会社が米国の企業に買収されました』
現在進行形で生成される映像が同時に流れる。
「終わりの始まりネ。こっちもそのうち値上げするでしょうね」
TIYOKOは諦めたように外を眺めながら言った。
「社会の事は私には分からないが、他国に売ってしまう程、この電力会社は危うい状態だったのかい?」
「危ういも何も、もう殆ど電気をつくれない状態だったそうヨ。元々西の方は原子力発電所に依存していた。けれど三年前に海外に合わせて辞めたのよ。唯一原子力発電所を使っていた先進国はうちだけで、西関の発電所はかなり大きかった。それからは従来の発電方法で頑張ってたけど、原子力の方を進化させてきたせいで今のやり方はかなり古いの。ざっと百年ぐらい前の発電方法よ。勿論当時の技術者なんて生きてないし、東関も西程ではないけど原子力で殆ど補ってた。今更研究して効率よく電気を作ろうとしても十年はかかるわ」
TIYOKOは溜息を吐いた。
「原子力云々の技術も研究も、JAPANが一位だった。なのに国民性なのかなんなのか知らないけど、海外に合わせちゃったのヨ。そのまま原子力発電所を稼働させていても大丈夫なように、百年以上前の震災から以降研究し続けて完成させた」
それをこの国は潰し、案の定西日本の大半を占める大手電力会社が買い取られた。
「……他国はこの国の電力会社を買い取るのが目的で、そう仕向けたようにも聞こえるね」
リゼの言葉に、溜息混じりに「そうネ」と同意した。
「国のインフラの一つを手に入れたようなものだワ。どんなに値を上げたって必ず使わなきゃいけないもの、そりゃいいシノギになるわよね」
勿論、国民は一連の流れに怒号をあげた。ただそれでも海外のように暴動や事件を起こさない。その大人しい国民性が歯車を狂わせた。
「けれど他国も原子力は使っていないのだろう。電力はどこから来ているんだい?」
「亞細亞は空想生物の政治的利用とか、その他諸々を法律で禁止しているわ。あくまでも生物として研究するだけ、だから元の場所に帰れる個体もいるし、気に入った飼育員のもとで死ぬか飼育員が死んだのを見届けてから死ぬ個体もいる。けれど米国は別。禁止されていないノヨ」
画面はまた切り替わり、いつもの特徴のない広告が流れ始める。
「なるほど。私のような人外を使っているわけだね」
「ソ。多分だけど空想生物を使って作った電力をこっちの電力会社に渡して維持するつもりなんだと思う。向こうで作ったもんだから、こっちの法律は適応されないのよ。それに基礎資源(エネルギー)の海外とのやり取りに関してはどこもユルユルだから、貿易がどうこうもないわ」
詰まる事なく説明する彼女を一瞥し、リゼは組んだ脚の膝に手を置いた。
「君は賢い子だね。嫌いじゃない」
唐突な評価に驚きながら振り返る。眼を丸くして固まったあと、恥ずかしさで泳がせながら「褒めてもナニも出ないわよ!」と声を荒げた。
大学内の一室で出されたカップを見下ろす。
「アタシ、こういう洒落た飲み物好きじゃないのよネ」
なかには欧米諸国から取り寄せていそうな紅茶が湯気を立てており、容器もそれらしい見た目でTIYOKOを見上げていた。
「君は甘ったるい炭酸飲料が好きだったね」
リゼは優雅にカップを持ち上げて紅茶を啜る。別に飲み食いをする必要はないが、わざわざ出されたものを無視する必要もない。ずずっという僅かな音にTIYOKOは嬉しそうに顔をあげた。
「よく知ってるわね! 色んなもん飲んでるノニ」
「私の世話を担当している人間の事は知っておきたいからね。それとも珍しいのかな」
カップを置く。黒く細い指が白い器から離れた。
「まあ、そうね……珍しい方かな。大体は人間に興味がないか、あったとしてもそんな細かく観察はしないワ。人間に興味のある空想生物は大体が獣だから、大雑把にしか記憶出来ないのよ。茶色い硬い食い物が好きとかね」
「なるほど。私は元々人間をよく観察し、見ていたからかもしれないね」
「……リゼってさ、たまに神サマみたいな言い方するわよネ」
すっと彼女の声のトーンが落ち着く。リゼはもう一度カップを手にとった。
「そうかい?」
「うん。ま、いいケド。それより遅いわねー」
はあと背もたれに身を預ける。リゼは視線もやらずに紅茶を口に含んだ。
HARAは予定より二十分程遅れて現れた。口先では丁寧に謝っていたが、その仕草からは特に反省の色は読み取れなかった。恐らく常習犯だ。
よくいる博士、名誉教授といった感じの風貌で、蓄えた立派な髭とちりちりの頭は殆どが真っ白だった。今どきの年寄りは大半が義体を施し、最終的には心臓と脳みそ以外を機械にしてしまう。然しHARAは脳みその機械化すら行っていないように見えた。
「この前の出来事は災難だったネ。あの後大丈夫だったかな」
机の上で軽く手を組みながら、TIYOKOとリゼを交互に見た。雰囲気も何もかも肩書き通りだ。こんなにイメージにピッタリだと逆に違和感を覚える。
「まあ、研究施設であの類のは見慣れてるから平気ヨ。それより先生、前にうちに来たわよね」
早速話をふっかける彼女に視線をやり、肯いた。
「本当は君と直接話をして渡したかったンだけどね。リゼ君は私の事を覚えているかな」
胸の辺りに手をやって彼を上目遣いに見た。
「勿論」
無感情に答える。HARAは少し笑って身体を机から離した。
「やはりヒューマンゼロは記憶力がいいンだな」
感心するように言ったあと、TIYOKOにあの機械の事を尋ねた。
「使えているかな、アレは」
然し彼女はかぶりを振った。
「全く! 誰かと勘違いしていないかしら……あんなもの、触った事がないワヨ」
怪訝な表情を浮かべる少女に驚いたあと、顎髭を触って考えた。
「確かに君にとあったンだがなあ」
TIYOKOは首を傾げ、カップを挟むように両腕を置いた。
「なんなの? アレ」
HARAはややあって顔をさげ、仕方ないとばかりに答えた。
「実験用の記録装置ダヨ。大型のやつでね、空想生物を一体丸ごと記録する事が出来る」
それに眉根を寄せる。
「あんなに大きくないわよ。こんぐらい薄くて小さい基盤ヨ、記録装置は」
人差し指と親指でつまむようにして隙間を作り、いーっと口を横にした。HARAはそれを否定せず肯定しながらも訂正した。
「今はそれだけ技術が進んだからネ。君に渡したものは五十年前のものだ」
TIYOKOは唖然としたあと、軽くどもりながら身を乗り出した。
「な、なんでそんな古いのヲ……?」
至極真っ当な反応だ。HARAは説明を続けた。
TIYOKOにリゼを介して渡された機械は五十年前、二千五十年の頃に製造された超大型記録装置であり、容量はそのままに小型、軽量化されたものだ。当時はかなり話題になり、意外とコストがかからないという事で値段も十万前後だった。
大して珍しくもないし、今でも骨董品扱いとはいえ何個かは市場の海に漂っている。ただTIYOKOが受け取った記録装置にはその記録が一つもない。
「君、確か脳の機械化の影響で幼少期の記憶がないんだヨね?」
HARAからの確認するような質問に肯く。よくそんな事をと思うが、元々いた孤児院や所属している研究施設に訊けば案外すぐに分かる。
「だから君からすれば、なんのこっちゃな話だとは思うンだけどね、簡単に言うと君の母親は空想生物学の科学者だったんだよ」
その科学者だった母親は、TIYOKOが三歳の頃に事故で死んだ。彼女自身も母親がなぜ居なくなったのかは孤児院の修道女から聞かされている。今更、驚くような話でもない。ただ科学者だったのは初耳だ。
「デ……?」
空気が抜けるように先を促す。HARAは懐から一枚の折りたたまれた手紙を取り出した。机の上を滑るようにしてTIYOKOの前に出す。
「二歳の頃から君は空想生物に興味があったらしいネ。だから君のお母さんはいつか君が研究者か飼育員になれるようにと、五歳の誕生日プレゼントの為にあの機械を買って置いておいたんだ」
そっと手紙を掴み、広げる。そこには研究者らしい少し汚い大人の字が書かれてあった。
「超大型記録装置が今の形になったのは十年前。まだ君が小さい頃は、あの形が主流だったンだよ」
「そこに書いてある通り、君のお母さんは記録装置の使い方を自分で見つけてくれると信じてたみたいだネ。私もてっきりもう知っていると思っていたよ。空想生物学において、超大型記録装置は避けて通れないからね」
手紙には母親らしい言葉が綴られており、最後に大きめに誕生日おめでとうと書かれてあった。恐らく人工知能に読ませて聞かせる為に書いておいたのだろうとHARAは言った。
「……アタシが興味あるのは生物そのものだけヨ。そんな機械なんて、研究施設の連中がやってくれる」
TIYOKOは手紙を元の通りに小さく折って顔をあげた。まだ上手く情報を処理しきれていないような表情だ。
「そうか。まあ物が分かれば、あとは君自身で調べられるだろう? 調べるのも飼育員の仕事の一つだからネ」
HARAの言葉に小さく「まあ、そうネ」と返しカップを見た。指の先で軽く手紙を撫でる。
彼女からすれば全く記憶にない事。だが逆に言えば、どんな人物だろうと彼女の生みの親になる事が出来る。
「でもどうして、アタシのその、ママの手紙や機械がHARAさんのとこにあったノ?」
「君の母親は僕の弟子だったからね。元々プライベートでも関わりがあって、もし何かあった時は娘を頼むといつも言っていたンだよ。まあ孤児院に行く方が幸せだから、僕は今まで君には関わってこなかったんだけどね」
にこにこと穏やかに話を進める。俯いた彼女を見ながらも、HARAはリゼの様子を観察した。
「……」
リゼは自身が観察されている事に気づいている。だが敢えて無視をし、眼を伏せたまま時折紅茶を飲んだ。
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