第2話 Re:説法

「リゼとは上手くいってるノ?」

 立体映像で作られたクジラが部屋のなかを泳ぐ。KIRARAは煙を吐きながら訊いた。

「ンー、まあ普通。なに考えてんのか分からないけれど、大人しいわよ」

 キャミソールの紐が肩を滑り落ちる。KIRARAの背中にはカラフルなタトゥーがあり、TIYOKOはそれを撫でた。

「フウン」

 もう一度煙を吐いてから振り向いた。黒髪が流れる。

「どうしてリゼが不合格ばかりの貴方を選んだノか、興味が尽きない」

 少し筋張った手でTIYOKOの頬に触れた。

「アタシもなんでか分からなくて、前に訊いた事があるのヨ」

 その手を軽く掴みながら眼を伏せた。ピンク色の煙がクジラにかかる。

「まあ、気分って短く言われて終わったンだけどね」

 僅かに肩を揺らして言った。KIRARAは手を離し、視線を外に向けた。壁一面に貼られた硝子の先には、色んな電飾看板が喧しいぐらいに自己主張を繰り返していた。

「今度、施設で貴方の事を直接調べたい。イイ?」

「え、まあ、いいケド……」

 さらさらとしたシーツを撫でつつKIRARAの耳についた飾りを見た。

「リゼも貴方自身も、ナゾが多い」

 ふうっと溜息混じりにピンク色の煙を吐いた。

 翌日、TIYOKOはがばりと飛び起きた。ぼさぼさになったボブのまま眼を丸くし、慌ててベッドから降りた。

「マズイマズイ!」

 飼育員と対象生物が別々で行動していい時間は決まっており、TIYOKOは寝過ごしたせいでその秒針が迫っていた。

「リゼ、なにしテんのよ!」

 脳内で自宅にある固定電話にかける。TIYOKOが設定した有名アニメソングが流れない限り、リゼは受話器を取らない。

「まさか寝てるとかないわヨね……」

 おっとっととデニム生地のパンツを履き、キャミソールの紐を戻してタンクトップを着た。ぼさぼさのボブを押さえつけるが何度も跳ね返る。

「アー! もう!」

 硝子に写る自分の反抗的な髪に頬を膨らませ、腕につけているゴムできっちりと結んだ。結ばれた尻尾を揺らしつつブーツのチャックを引き上げ、すぐに部屋を出た。

「KIRARAも起こしてくれてもいいジャんか」

 ぷんぷんと文句を言いつつ自タクを捕まえ、法定速度ぎりぎりのスピードで帰宅した。

「リゼー!」

 扉を開けると彼はちょこんと座って液晶画面を見ていた。無表情にTIYOKOを見て、「おかえり」と返した。

 それにはあと息を履きつつブーツを脱ぐ。

「アニソン、鳴らなかっタ?」

 画面には暇な主婦が見るようなローカル番組が流れており、よく分からない食べ物の紹介をしていた。

「鳴らなかったよ」

 リゼの返答に腰に手をやりつつ視線を壁にやった。立体写真は待機画面になっており、不在着信の通知が表示されていなかった。

「もう壊れたって言うノ?」

 また不良品をつかまされたのだろうか……ウーンと唸りながら軽く操作し、横にある受話器を取って耳に当てた。動作検査を行う。

「ンー、特になにもないようだけど……」

 動作検査異常なし、という合成音声を聞きながら受話器を戻した。また待機画面に戻る。鼻から息を吐きつつ腰に手をやった。

「TIYOKO、昨日の夜、人が来たけれど」

 不意にリゼが言い出し、「エ?!」とかなりの声量で振り向いた。軽く彼の頭が傾く、うるさいと感じたのか避けているように見えた。

「人? 何時ヨ!」

 液晶画面を隠すように座る。机に両腕を置いて身を乗り出した。

「確か、二十一時を過ぎた頃だったかな。空想生物学の博士と名乗る男と、それの助手らしき少年が訪ねて来たよ」

「そんな時間ニ? 偽物とかじゃないわよね?」

「偽物ではないよ。きちんと君に教わった通り証とIDを見せてもらったよ。少年の方も関係者の証を見せてくれた」

 淡々としているが信用できる答えに少し力を抜く。

「ソレで?」

「TIYOKOに用があったみたいで、居ないと答えたら一先ずこれを渡してくれないかと言われたよ」

 リゼは机のなかから何かを取り出すとTIYOKOの前にすっと出した。黒い手に掴まれたそれを受け取る。

「電子書籍の端末かナンか……?」

 薄くコンパクトな機械を訝しげに見つめる。

「さあ、渡せば分かるとその博士は言っていたから、私は特に訊かなかったよ」

 軽く振ってみる。勿論意味はない。

「ぜんっぜん分かんないわヨ……その博士の名前は?」

「HARA、と」

 リゼが一応書き残しておいたIDと見た目の特徴を確認し、TIYOKOは軽く検索をしてみた。幾つかの記事が弾き出される。

「ンー、大学の教授もやってるようね。そんな人がアタシに……?」

 首を傾げる。小難しい事は分からなかったが、とにかくその業界では凄い人だというのは分かった。

「まあいいワ。それより何もなかった?」

 ことんと機械を置いて問いかけた。リゼは特に何もないと答えた。

 TIYOKOが家電を動かしに席を立ったあと、リゼは置かれたそれに視線をやった。番組内の笑い声がよく聞こえる。

 そっと持ち上げた。その時びりっと軽い電気が走る。

「……」

 リゼは立ち上がると固定電話の方を振り返り、すっと手を伸ばした。然しTIYOKOが声と共に戻ってくる。

「とりあえず今日は、東にある大学の授業に出なきゃいけないから、そのつもりでネ」

 また静かに座っているリゼにそう言い、遅めの朝食を用意した。

 空想生物学の授業では定期的に本物を使った講義が行われる。TIYOKOにとっては初めての仕事であり、大学に進学しなかった彼女からすれば未知の世界だ。

 施設から予め渡されている白衣を身に纏い、大学構内の廊下を歩く。あちこちから視線を感じる。

「TIYOKO、歩き方が」

 かなりぎこちない歩き方にリゼが腰を折る。それにポニーテールを揺らしながら「ダ、大丈夫よ……」と答えた。とても大丈夫そうには見えない。

 とはいえ、実際に授業が始まると彼女は自然と振る舞う事が出来た。小さい頃から空想生物に興味があり、レジェンドと言われる有名な博士を尊敬している。何度も同い年の友達を相手に、博士を真似をして授業をしていた。

「空想生物は三つの次元からランダムにやってくると言われていマス。一番多いのが時代、次に平行世界、そして珍しいのが別の惑星です」

 時代を超えて空想生物がやってくる、という事はその逆もある。数は少ないが現代でも空想生物は確認されており、その殆どは別の時代か平行世界に移動してしまっている。だから基本的にどの時代でもどの平行世界でも、空想生物というのは珍しく、唐突に消える事もある。

 然し別の惑星、ようは宇宙からの場合は例外であり、一方的だ。こちらから空想生物が移動する事はない。既に月と火星は移住可能となっており、地球上の空想生物を転送する実験も行われたがどれも失敗している。

「次に、彼らは大まかに区分されており、そこにいるリゼの場合はヒューマンゼロ、所謂人型と呼ばれる種類デス」

 ちらりと横眼で彼を見て説明を続ける。生徒達の視線が人形のように立ったまま動かないリゼに向いた。

「ヒューマンゼロは完璧な人の形をしていマス。かなり珍しく、一番研究が進んでいない種類だと言われています」

 人の形に似ているが耳が尖っていたり、尻尾があったり、下半身が別物になっている場合はヒューマンエラーと呼ばれており、獣のような姿はアニマルゼロ、アニマルエラー、機械のような姿はマシンゼロ、マシンエラー、それ以外はノーゼロ、ノーエラーと呼ばれる。

「彼らヒューマンゼロには特別な力があると言われています。ですがそれがなんなのか、未だに分かっていまセン」

 そもそも空想生物自体の研究が進んでいない。そのなかでも希少で難しいのがヒューマンゼロであり、精々、他の種類にはない何かがある特別な存在である、という事ぐらいしか分かっていない。

「ヒューマンゼロは見た目もそうですが、DNAに関しても我々人類と類似していマス。また不思議な事に、ここ百年で確認されているヒューマンゼロの個体は全て過去から来ています。リゼも例外ではありません」

 正確な年代は分かっていないが、中世のヨーロッパ辺りから来たと判明している。

「確認されているヒューマンゼロで最古の個体は、このJAPANという国が出来る前、言わば神話時代とされる時代から来た【アマ】という女型の個体デス。今から五十年前程前の事ですから、最初は機械の故障が疑われました。ですが【アマ】の発言内容と、神話時代の資料の内容が完全に一致している事が分かり、彼女はJAPAN国内で最古の空想生物として登録されています」

「そして他国でも似たような個体が確認され、JAPANでも【アマ】に続いて【オロチ】や【ナギ】などの神話時代のヒューマンゼロが相次ぎました。これらは偶然ではナイ。世界的に見ればヒューマンゼロの半分は神話時代から来た事になっている。我々は彼らを空想生物として扱い研究していますが、その実違うのではないかという声も強いです」

 一つおいてTIYOKOは続けた。

「空想生物とヒューマンゼロを完全に分けようという意見もあり、その場合ヒューマンゼロは、【ゴッド】と改める必要があると言われていマス。ゴッドとは神を意味しており、神とは神話時代に居たとされる人物の事を指す言葉です」

「然し本当に神話時代から来ているのかどうか確証はまだありません。故にヒューマンゼロは他と同じように扱われています。ただ専門家のなかには、彼らを【ゴッド】と呼んで崇拝する人もいマス」

 TIYOKOには両親がいない。所謂孤児というやつで、孤児院の出だ。

 空想生物の飼育員には孤児が多く立候補しており、彼女もそのうちの一人。ある程度の年齢になってからは研究施設で直接教育を受けている。

 然し施設の人間には当たり外れが多く、TIYOKOの強気でどこか生意気な態度にいちいち苛立つ大人も多い。そのせいもあって彼女は一部の研究者以外を毛嫌いしている。

 勿論、何事もなく両親も健在で大学を謳歌している彼らは、彼女のような人間にとっては施設の職員と変わらない。

「ここからは、実際にリゼの力を見てもらいマス」

 席の右上端、授業が始まってからずっとくっちゃべっている女子大生の集団がいる。TIYOKOが何度確認しても変わっていない。

 リゼはまず人差し指を立て、可視化出来る程の強さで力を使った。ばちばちと指の先で小さな稲妻が踊っている、その光景に生徒達が声を漏らした。

 次に無人飛行機(ドローン)をTIYOKOが裏から持ってきた。有名な企業が一般向けに販売している物であり、大抵の家庭にはある。

「みんな知っているとは思うケド、今ここのところが赤く点灯していますよね。これは電力不足の合図でもあり、飛行不可能の合図でもあります」

 丸く可愛らしい見た目の無人飛行機を手にし、黒い単眼の下にある発光照明(LEDライト)を指した。赤く光っているのが分かる。

「勿論、充電をしないと飛べまセン」

 教卓の上に無人飛行機を置く。充電用の土台は当然のように用意されていない。

「ですが、リゼの力を使えば飛ばす事ができマス。リゼ」

 視線をやる。彼は演出として右手を伸ばし、無人飛行機に向けた。本当は何もしなくとも力は扱える。

 一つおいて四つの回転羽根(プロペラ)が回り始め、一瞬にして教卓から離れた。僅かな音を奏でてぐるりと円を描く。勿論発光照明は赤いままだ。

「リゼは恐らくですが、電気を操る事が出来るヒューマンゼロです。まだ細かい範囲や規模、力の強さなんかは研究段階デスが、その力はかなりのものだと言われています」

 彼が許さない限り基本的に身体は帯電状態で触ると感電死する程であり、時々TIYOKOの髪が静電気で大爆発を起こす事もある。とにかく電気の塊のような空想生物であり、その力を器用に扱い制御するだけの能力も持ち合わせている。

 TIYOKOが説明するあいだにも、リゼは無人飛行機を操り生徒達はそれを眼で追った。なかにはわざわざ撮影機で撮影する者もいる。

 だがその時、彼女が気にしていた女子大生の集団のうちの一人が唐突に発狂、直後に頭から煙があがった。一気にざわめきが広がり、注目が無人飛行機から女子大生に向いた。

 口を開けて白眼を剥いて、椅子にもたれかかるような形で力が抜けていた。悲鳴もあがり、騒然とする。奥から在籍している教授なんかが出てきて、更に騒然とする。

「……リゼ、何もしていないわヨね」

 TIYOKOは眉根を寄せ、一歩退いた。彼は何を考えているのか分からないし、時々見ていないはずなのに見ているかのように言い当てる時がある。

 黒い後ろ姿に視線をやる。横顔が微かに見えた。

「なっていない」

 独り言に近い言葉に「ハア……?」と声を漏らす。だがすぐに大学の人間に腕を引かれ、教壇から立ち去った。

 女子大生の脳みそは完全に焼かれ、脳死状態になってしまった。元々やっていた薬物の影響を疑われたが、脳みそを丸焦げにする程の力はない。かと言って突発的な病気は考えられなかった。

 故意に誰かが攻撃をした、そう断定出来るぐらいには証拠が揃っていた。然しその“誰か”が誰なのかは全くもって分からない。

 足跡が周囲にないのに、焚き火をした跡だけが残っている。そんな奇妙で不気味な証拠しかなく、犯人を辿ろうにも辿るものがない。

 とはいえ、空想生物がその場にいた。後々リゼとTIYOKOは大学附属の研究施設で検査を受けた。

「結果は問題ナシ……なんだったのかしらネ」

 自タクの車内で身の潔白を証明する紙を見つめる。

「さあ。バチが当たったんだと思うよ」

 リゼは流れる景色を眺めながら静かに答えた。視線をやる、陶器のように綺麗な横顔が見えた。

「バチ? アタシの話を聞いてなかったからってコト?」

「そう」

 すっと顔を向ける。その黄色い瞳にTIYOKOは一瞬、本能的に身じろいだ。なにかもっと、上位の存在に監視されているような目線だ。

「変な神サマネ」

 取り繕うように言葉を返しながら顔を背ける。ややあって視線だけをリゼにやった。既に窓の外を見ている。

「……」

 手元の紙に移す。両者の名前と担当した研究者の名前が書いてあり、他に色々と堅苦しい事が書いてある。その最後に少し大きく、【問題ナシ】とあった。

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