第5話 Re:浄土

 リゼと出会い、二年目の春が彼女らを出迎えた。

「……」

 TIYOKOの手元には、HARAから“母親の形見”として貰った記録装置があった。だがあの話が偽物の作り話だとしたら、この機械はなんなのか……。

 見た目は調べた限りでは記録装置と同じで、側面に書かれている型番も情報網で検索すればすぐに引っかかった。

 本物の可能性は高い。それでもTIYOKOは記録装置の展開方法を試す気がなかなか起きなかった。

 一度KIRARAに見せてもいいが、その気も起きない。彼女はまだHARAの話を、母親の話を完全に疑っていなかった。

「TIYOKO、行きたい所がある」

 四角い箱のような装置を見つめていると、リゼに軽く肩を叩かれた。びくっと身体が反応する。見上げた。

「……調子でも悪いのかい」

 それに視線を外す。

「アタシの母親の話、信じきれなくてサ」

 装置を机に置く。

「私は今の君しか知らない」

 手を離し、頬杖をついた。

「ただ話し相手にはなれる」

 ふわっと空気が動き、頭の上に手が置かれた。TIYOKOは眼を丸くし、彼を見上げる。眼が合った。

「思った事は私に対して吐き出せばいい。なんでも聞いてあげよう」

 まるで神父のような口調に黄色い瞳を見つめる。不思議な輝きだ。

「リゼ」

 瞬きをして名前を呼んだ。その時一瞬彼が微笑んだような気がした。だが手が離れ、玄関の方に向かってから振り向いたリゼの表情は、相変わらず仮面のようになにもなかった。

「ヘエ、こんなイベントやってたんだ」

 街を歩きながらTIYOKOは受付の機械から貰った冊子をぱらぱらと捲った。

「リゼってこういうのスキなの?」

 少し前を行く彼を一瞥する。見える横顔に笑みはない、やはりあれはただの見間違いか……。

「少しね。この世界の文明は面白いものが多いから」

 風が吹き、長い前髪が揺れる。視線はJAPAN一の大きさを誇る行事用巨大会場、通称【浄土】に向いていた。二人の歩みが止まる。

「アタシ、実際に見るの初めてだワ。浄土ってこんなおっきいのね……」

 口を開きながら少し呆然とする。リゼは何も言わず会場に向かい、彼女も慌てて後を追った。

 浄土の内部は常に最新技術を使われており、政府が利用している人工知能【藍】が全ての機械や電子機器を管理、制御している。その為アニメやゲームなどのサブカルチャー、彫刻や絵画などの芸術、企業向け一般向け問わず機械類や車などの工学を中心に大きなイベントが開催され、音楽家による生演奏や芸術家によるパフォーマンスなんかも常にある。

 極楽浄土のように常に楽しく幸せな空間、その為浄土と呼ばれ公式の名称として海外にも伝わっている。

「空想生物から着想を得た機械の開発、ネ。アタシ達研究施設に一応所属してるのに、何も知らされてなかったわね」

「施設の職員や研究者ではないからね。だから君を誘った」

 浄土の二階にある二の一区画を最大限に活用したイベントで、主催はTIYOKO達がいる旧・TOKYO地下空想研究施設が行っていた。

「アタシが空想生物大好きダカラ?」

 軽く腕を組みながら振り返る。リゼは眼を伏せて肯定した。

「こういうものも好きかと思ってね。それに私一人で行けば君は拗ねるだろう」

 随分と彼女の事を理解してきた彼の言葉に溜息を吐く。

「ようはめんどくさいのがイヤって事でしょ」

 そうは言いつつもTIYOKOは内心浮き足立っていた。空想生物を元にした芸術品やアニメは大の好物であり、工学においてもそれは同じだ。

 どの生物のどの部分を取り入れたのか、それを考えたりそうした理由を見聞きするのは純粋に楽しい。

 そっぽを向くリゼに視線をやり、TIYOKOは眼を細めた。ここまで自分の事を理解して行動に移してくれるのはKIRARA以外に彼しかいない。彼女は飼育員のご法度である、担当空想生物に対する人間的な感情を抱いていた。

 ふっとリゼがこちらを見る前に視線を外した。

「……」

 TIYOKOの細い背中を少し見たあと、リゼは受け取った冊子の裏に視線を落とした。

「……株式会社 輪廻ノ箱」

 ぼそりと呟く。その会社はリゼが以前調べたものだ。会社の社員数名の脳みそを力を使って覗き見たものだ。

 ようは空想生物の密輸を行っている企業の一つ……“リゼを第一に狙っている企業だ。”

 TVガールはあの日最初に出会った時、「ヒューマンゼロ、エラーの仲間達が幾つかの企業と関わってから行方が分からなくなっている」と話した。それらが空想生物を密輸している企業である事、政府が黙認している事もその時に伝えられた。

 そしてリゼは彼女の話を受けたあと独自で調べた。TVガールが幾つかの企業の例として挙げた二社を中心に、夜な夜な家を抜け出して会社の若手社員から順にそれなりの役職まで脳みそを覗いた。

 勿論彼の力は特殊だ。痕跡は残らず気づかれる事もない。

 分かったのは彼女の言う通り密輸が行われており、主に調べた輪廻ノ箱は所謂元請けというのも判明した。言い換えるなら親会社だ。幾つもの下請け、子会社が広く分布しており、様々なルートで空想生物、特にヒューマンゼロとエラーを捕まえて海外に売っている。

 だがそれだけではなかった。

 リゼの雷の力に関する情報が何者かによって流されたのか、輪廻ノ箱は彼を、電力会社を買い取った米国の大手企業に向けて売り捌くつもりらしい。

「リゼー、早く行くワヨー!」

 TIYOKOの声に顔をあげる。

 とはいえまだ明確に危害を加えてくる様子はない。その時が来ても遅くはないだろうと、丁度降りてきた昇降機に乗った。

 二の一区画は喧しいぐらいの騒がしさで満ちており、研究施設や企業のロゴがあちこちに散らばっていた。

「うわあ、スッゴイ……」

 大きな機械や車はゆっくりと回転する台に乗せられ、無人飛行機の類は頭上を自由に旋回した。体験出来る物も多く、観賞用の機械や自動人形はガラスの向こうで動き続けていた。

「ア、あれアマの人形だわ」

 TIYOKOが指をさした先、会場の中央に設置された筒状のガラスのなかで、女性の姿をした自動人形が手を振っていた。

「キレイね……」

 空想生物、ヒューマンゼロの【アマ】をそのまま人形に移し替えたような見た目だ。だが敢えて球体関節を使っており、どこか不気味な魅力がある。

 その時、人形がTIYOKOとリゼに気がついた。ふっと視線がよこされる。だが人形はそのまま無視をし、他の来場客に対して笑顔を見せて手を振った。

「今アタシ達、ムシされた?」

 少し眉根を寄せて呟く。自動人形が特定の誰かを無視する訳がない。するとしたら、そう予め設定されている時だけだ。

 TIYOKOは不可解な出来事に首を傾げていたが、リゼはその意味が理解出来た。

 人形が立っている台の側面に小さく【輪廻ノ箱】と名前が刻まれている。これはわざとだ。リゼに向けた宣戦布告ととってもいい。

 輪廻ノ箱は表向き自動人形の開発や管理を行っている、大手の人形製造企業の一つだ。ここにある人形の殆どが輪廻ノ箱の物であり、名前もしっかり刻まれている。

 旧・TOKYOで一番大きいと言われている研究施設が輪廻ノ箱と手を組んでいるのは、それだけ企業側が上手く隠しているからなのかそれともグルなのか……リゼは視線を巡らせ、社員と施設の人間の動向を探った。

 TIYOKOがモヤモヤしながらも体験で遊んでいるあいだ、見つけた数人の脳みそを軽く覗いた。

 研究施設側は純粋にこの場を楽しんでいるか、永遠と愚痴をこぼしているかで特筆すべきところはない。研究者はともかく職員は生物が好きで入った者と、給料がいいからと入った者がいる。その為温度差はあるが、全体的に問題はない。

 反対に企業側は来場客を値踏みしていたり、こんなイベント……と全体的にやる気がない。施設側に比べてやけに若いのが多いせいだろう、人外の空想生物に対し差別的な思想も強い。

「ネエ、リゼってば!」

 ぐっと腕を引かれ、視線をやる。TIYOKOの拗ねた顔が思ったよりも近くにあった。

「どお? 似合うカシラ」

 水色を基とした宝石のように虹色に輝く瞳、瞳孔の形もよく見るとハート型になっており、眼元だけを見れば魅力的だ。然しTIYOKOはそこまで派手な髪色でも服装でもない。リゼは背筋を伸ばしつつかぶりを振った。

「ハア、レディには嘘でも似合ってるって言わなきゃ駄目よ」

 腕から手が離れる。椅子に座り直した背中から視線を外した。刹那。

 少し眼を丸くし、ばっと振り向いた。変わらぬ喧騒があるだけだ。辺りを見渡す。

 確かに一瞬、誰かの思考を読み取った……。そしてその思考のなかに【リゼ】とあった。気のせいではない。

 短く息を吐き、瞬きをした。

『:)』

 声をかけられ、顔をあげた。画面ににっこりと顔文字を表示させたTVガールが駆け寄ってくる。

 そのまま抱きついてくる。勿論頭が四角いのでリゼの頬がぎゅっと押された。

「アー、TVちゃんちょっと……」

 彼女の飼育員が困ったように手を伸ばす。TVガールは懐いた犬のようにリゼを抱きしめながら、画面には何も表示させなかった。

『ラィア』

「……リィ」

 小声でやり取りしたあとに離れた。画面には顔文字が変わらず表示されている。

「ゴメンねえ、この子、見境がなくっテ」

 優しそうな女がTVガールの腕を引いた。リゼは掌を見せて「構わない」と返し、二人が去っていくのを見届けた。

 彼女も輪廻ノ箱が関わっているのを知って来たらしい。

「リゼ、凄いあとついてるケド……」

 TIYOKOが体験に満足したようで、自分の頬を撫でながら少し心配そうに言った。

「頭の大きな空想生物に抱きつかれただけだよ」

 リゼの返答に「アタマの大きな……」と辺りを見渡す。そんな彼女を無視して歩き出した。

 二の一区画内をざっと巡ったが、先程一瞬だけ聞こえた声は見つからなかった。

「ア、アタシあれ食べたいワ」

 TIYOKOが指さす先を一瞥する。愛嬌のある空想生物をイメージしたアイスクリームで、彼女と並びながら変わらず探った。

 人の脳みそだけでなくこの場にある機械、人形類も全てだ。電気が流れているものならばなんでもいい。とにかく気づかれないように相手を調べておきたい。

 列が短くなり、二人の番が回ってくる。

「ンー」

 TIYOKOが悩みながらも一つ注文した。ややあって機械の無骨な手が差し出され、カップに入ったアイスクリームを受け取った。

 可愛らしい兎のぬいぐるみの姿をした空想生物が元になっており、アイシングクッキーが軽く添えられていた。リゼに見せながらTIYOKOは木製のスプーンで桃味のクリームをすくった。

 美味しそうに食べる彼女の姿を横眼で確認したあと、瞬きをしながら視線を変えた。その時奥からこちらに向かって走ってくる女の姿が見えた。

「あ、アノ、」

 リゼの前で立ち止まると両膝に手をつき、肩を上下に動かした。息を荒らげつつも顔をあげ、乱れた髪を耳にかける。

「TVちゃん、見かけませんでしたカ……?」

 その質問に軽く首を傾げる。

「はぐれた、という事かな」

 TVガールの飼育員は何度も肯いた。

「眼を離してしまった私が悪いンですが、気づいたら消えていて……」

 手を揉む姿を見つめ、リゼは答えた。

「彼女はあれから一度も見かけていないよ」

「そう、デスカ……」

 心配や不安が入り交じった顔に黒い手を出した。

「私の力で捜してみてもいいけれど」

 それにぱっと眼が明るくなった。胸の前で手を組み頭を下げる。

「スミマセン、お願いします!」

 リゼは女に対し、会場の西側にある休憩場所で座って待っているように言った。女がそちらに行くのを見届けてから振り向いた。

「TIYOKO、」

 然しそこに彼女の姿はなかった。あるのは床に落ちたアイスクリームだけで、綺麗にとぐろを巻いていたそれは潰れていた。

「……」

 小さく開けた唇のあいだを空気が巡る。中央にある【アマ】の人形の眼が遠くから彼を見つめた。

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