ワード粘着

脳幹 まこと

嘘じゃない。粘り気のある。


 何かについて伝えたくて、文章を考えるとしよう。

 物書きのイメージだと、パンをこねるようにして。こう、引っ張ったり捩じったりする。そうやって独特な滑らかさみたいなものを作っていくんだけども。

 でも、時折、作者が疲労していたり、はたまた興奮していたり、不安を抱いていたり、あまりにも強烈な出来事があったりすると、近くにあった材料が強烈な粘り気を持って文章に滲みだそうとすることがある。

 まあ、そんなに恐ろしいことでもない。多かれ少なかれ誰しも体験はしている。恒例のお決まりの。例えばある歌のサビの部分だけが無限にループしたり、つながったりする。天丼というネタでもおなじみだ。

 ただ、プロの物書きとしては、そういう状態でもきちんと正常を取り戻さなくてはならない。自分の好みでデスソースをパンに塗ってはならない。気分がね。仮に高揚していても。だめ。だって恒例を望んでいるんだからね。みんな。

 そう。アマの物書きとしてはそういう状態になるとね。むしろ異常すらも自分の味だなんて、出過ぎたことを考えたりするけども、それはやっぱりね。ヤケドする。適当にね、考えなしにこねていると。クセになってくる。良い意味でではないよ、悪い意味でクセになる。手癖になる。ハメを外してしまう。そういう人はね。長期的には信頼を得ることが出来ない。だからプロにはなれない。やっぱり恒例が大事。

 ただ……そうだね。そういう状態に日常的に至っている人もいる。つまり言葉がべっとりと精神に付着して離れなくなってしまった人もいる。そう、まあ例えば、昔言われた悪口とかがずっと粘着して離れない。例えば、例えばだよ、他意はないよ。「シネ」ってワードがある。これは悪口の恒例、悪口の殿堂とも呼べるワードだけれども、この言葉に傷つけられた人はね、敏感に反応する。「シネマ」とか「だろうしね」とかね。これは文字だけじゃなく声もそう。まったく悪気はないが、そういうフレーズっぽいものを見聞きしただけで粘着して一日がブルーになる。そういうことさ。他意はないけれどね。

 厄介なんだ。人は表現するからね。本来はそういうものがあれば、捨ててしまえばいい。また新しい生地を用意してこね直すとか、いっそ自宅に帰って、明日からまた万全の体勢で臨めばいいんだけどね。たまにいるんだ。真面目な人に多い。ちゃんと終わらせないと、って正義感から、ずっと恒例的に職場に籠っちゃう人がね。ルーティーンになってしまう。恒例に。

 そのうち、熱が入り込んで、自分の力だけだと排熱できなくなる。余計な熱が加わるとろくなことにならない。パソコンだって過充電みたいな状態が起こると挙動がおかしくなるのと同じ。そんなことはね分かってる人もいれば、分かってない人もいるんだけど、でもね、何度もそういうことも繰り返すうちにそれが恒例になる人がいるんだ。これがね。クセになってくるんだ。どんどん恒例していく。加速度的にね。

 何回も何回もぶつかるんだね。そうやっていくうちに変形してしまう。歪んでいく。戻らなくなっていく。それが恒例になっていく。捩じれていくうちに、かなり不味い方向に曲がってしまったことに気付く。心がそこに向かっていく。意が分からなくなっていく。タイなのか、ジイなのかわからなくなる。反復をする。そのうち恒例になる。引き寄せられていく。繰り返していく。そうやって恒例になっていく。どうしようもなく悩む。それが恒例になる。言語を捻るが、同じものが出る。恒例になる。選択肢がなくなる。恒例になる。ずっと同じ風景が続く。恒例になる。どうにもならなくなる。コントロールを失う。恒例になる。正常か異常かが分からなくなる。恒例になる。恒例になる。恒例になる。恒例になる。恒例になる。恒例になる。恒例になる。

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