第1話 今どこらへん?

 時系列を少し遡って、事の顛末を説明しよう。

 某日、祖母、若宮わかみや時子ときこが老衰により亡くなった。

 両親も既におらず、家族は自分と妹を残すのみとなってしまった。

 その数日後、本邸にて遺品の整理などを行っていたところ、遺言状に自分、若宮あおいへの相続が明言されており、加えて相続対象人以外の立ち入りが禁じられていた、といういかにもな蔵にて、若宮家秘録と表紙に書かれた紙の文書を見つけたのだった。

 その文書は蔵内に唯一ある書生机の上に、唯一置かれていた物だった。

 絶対に読めよ、という圧さえ感じて手に取ると、中には若宮家代々の家系図や、家伝、所有している財産、そして祠やそれにまつわる儀式について記されていた。

 その儀式は代替わりのタイミングで行う物らしく、先祖代々の慣例に従って、書かれていたことをおおむね書かれていた通りに実行した。

 ただ、それだけのことである。簡潔だね。


 ◇◆◇


【□/□□□□□/□□□・□□□□□□】



 文書には石にキスしたら気を失うなんて書いていなかった。

 ふざけるなよ、そんな危ないなら明記しておくべきだろう。

 目を覚ましたのはおそらく、七時間くらい経った後の事。眩しさの中、覚めるほどの青天井は夜の気配をすっかり融かしきっていて、残滓のような白煙が清々しい風に煽られていた。つまり、すっかり昼である。

 目がシパシパする。最初目を開いたとき眩しくって目がつぶれたと思った。

 謎に癪に触ってもう一回寝てやろうかとも思った。

 まあ、そんなこと肉体的にも対外的にもできないのだが。こんな事を考えている間にも、時間は過ぎ去っているのだ。ほら、あそこにあった雲が、もうあんなになっちまって……。あんなに小さかった子がねえ……ほろり。

 何が言いたいかって言うと、そこまで暇な身分では無くなったのだから、家に帰らなければならない。

 それにあと、妹に遅くなった言い訳も考えておかなければならない。

 ——とか。

 そんな、気絶から草原で目覚めた人間として至って平凡な考えを巡らせながら、うつ伏せへと体勢を変え両手をついて起き上がろうとした。していた。が。

 しかし。

 出来なかった。

 より具体的に描写すると、両の手を、地面に平行につくことには成功した。

 が、その先、身体を支えられる分の力を両腕に込め、いざ持ち上げる段階になったところで、右腕が暴走した。右腕が、感覚以上の膂力で体を持ち上げようとして、左腕との均衡が崩れ、また身体、いや脳が、その変化についていくことができずに、無様左へ二回転半することと相成った。

 幸い、地面はこれ以上なく柔らかく、石なども無かったため無事で済んだ。

 この醜態を無事と呼ぶのなら、だが。

 は?

 なに今の?人生何年目?

 両腕を眼前に持ち上げて、まじまじと観察する。

 しかし、何の変哲もない普通の腕だ。いつの間にか腕がエメラルドグリーンの石になっているなんてことはない。なんの、問題もなかった。

 腕には。

「なんだ、この服?」

 今更ながら、遅まきながら、ようやく気が付いた。

 いつの間に着替えたか、服が変わっていることに。

 先程まで着ていたはずの、通気性の良い青いパーカーが、黒いローブを現代風にアレンジしたような、ちょっとカッコ良さげの、でも、買うのにも着るのにも勇気がいりそうな、男心をくすぐるよう厨二チックな服装へと変貌を遂げていた。

 ちょっと首をもたげてみれば、ズボンも靴も、同じようなデザインの服装へと変わっているのが見える——全身真っ黒て、喪服じゃねえんだから。

 だが、真に驚くべきは服装のセンスではなく、先ほどの、誰に聞かせるでもなく発した声に、

『かっこいいだろ、ボクがデザインしたんだぜ?』

 返事が、返って来た事だ。


 ◇◆◇


 耳元で、澄んだ吐息が囁いた。

 その時の驚き様は、わざわざ描写するまでもないだろう。

 声が出なかった、とも言えるが。

 取り敢えず、驚きのあまり跳ね起きた(起き上がれた!)ことだけは伝えておこう。

 辺りを見回したところで、誰の姿も確認できなかった。何の変哲もない、とまではいかなくとも、明確な異変は周りに広がってはいなかった……筈だ。……本当に?

『あれ、その驚き様……もしかしなくても、言葉が伝わっている感じ?いやあ、上手くいってよかったよかった。取り敢えず、肩の荷が下りたってやつだね』

 何やら安心しているご様子。

 混乱の真っただ中にいるこっちとは対照的だ。

『おや、こっちも声で聞こえるようになった。順調だね。突然だったけれど、何とかうまく対処できたようでよかったよ。君の方も、異常がないようでよかった』

 ……異常に話しかけられているんだがそれは?

『異常だなんて酷いなあ。まあ、この状況ならそう思っても仕方ないけど……』

 そうしおらしい声を出されると心が痛くなるが、こっちだって精一杯なのだ。

 とりあえずはまず、落ち着かせてほしい。

 まだ、先ほど身体に何が起きたのかも受け止めきれていないのだ。

 畳み掛けてくるんじゃない。

『そうか、じゃ、いったん黙るね』

 そう言うと、宣言通りに正体不明の鈴アンノウンは頭の中で響く事をやめた。

 存外、従順だ……取り敢えず、黙ってもらった以上は、可及的速やかに落ち着くよう努めなければなければならないだろう。

 俺は弱いのだ、善意のようなものに。自分にしてくれたことに対して、何であれ、報いなければいけない気になってしまう。

 ……まずは、思考をまとめるところから始めようか。

 ずっと立ったままだと格好がつかないだるいが、再び先程のように腕が、或いはほかの部位が暴走しないとも限らない。仁王立ちで落ち着いて、動作は最低限にした方がいいだろう。あるいは……そうだな、今は疑問解決のために取ってもらっている時間だ。今こそが検証に最適であるという考え方もできる。

 優先順位で問題を分けるか。

 他にある問題としては、いつの間にか寝ていた?こと、服が違う事、変な声が聞こえたこと……ぐらいかな?そして、それを気になる順に言えば、変な声→寝ていた?→腕の暴走→服……かな。

 自分の体のことは気になるが、それ以上に、致命的に干渉してきた異変に好奇心が傾いた。

 とはいえ、気になると言ったところで、情報が少なすぎるよな。大体五行分ぐらいしか言葉を発していないし……。女の人っぽい声、と、どうやら頭に直接声が響いている、くらいの情報しかないぞ。まあ、それだけでもないけど、自分で考えるだけでは限度がある話だな。

 直接訊くか……質問、いいかな?

『もちろん、かまわないとも。それでなんだい?何が訊きたいんだい?ボクに答えられる範囲なら、履いているパンツの色でもなんでも、好きなだけ答えてあげようじゃないか』

 そいつはありがたい。

 いやもちろん、パンツのことを知りたかったという話ではなくて。

 気にならないと言ったらウソになるが、好きなだけパンツ知りたい情報について教えてくれるというのは、貧情報な現状において、これ以上なく助かる話だ。決してパンツという発言に興奮しているわけではない。

 無論、何が何でも信じる、という話でもない。逆に言えばこれは、自分にとって都合の良すぎる状況でもあるのだから。訳の分からないことが起きて、そこにたまたま何かを知っていそうな存在が友好的に接触を図ってきたというのは、詐欺の権化みたいな話だ。

 要するに話半分、参考程度に話を聞いて、信頼できるかどうかは後から判断すればいいだろう。

『信頼のおける対応を心掛けているんだけどね』

 ………。

 最初の質問は、何においてもこれだろう。

 すなわち、

「お前は、心を読んでいるのか?」

 声を出して問いかけた。

 心を読んだと思しき存在に。

『いやあ、やっぱり最初はそれだよね。むしろそれ以外に無いって感じだね。パンツよりも何よりも。……ちなみにパンツは紺のメッシュ生地のボクサーパンツだよ』

 そんなに教えたかったのか、パンツ。

 しかも、男物かよ。

 ……あれ?もしかして履いてるパンツおんなじじゃね?

『知りたかったけれど自分からは言い出せないという、複雑な男心を読んであげたまでさ。感謝しろ?』

 やめろ、人の心を読める風のやつが言うと本当にそう思っていたみたいになるじゃないか。

 そんな下心ではなく、本当は聞き出したいけれど、降って湧いた強制力のある質問権じゃなくて出来る事なら自分の力で聞き出してみたい、という男心の方を汲んでくれ。

 ……何を言っているんだ俺は!

『ああ、それはすまないことをしたね。今度機会があれば、そっちで対応させてもらうよ』

 申し訳なさそうにしなくていいから、聞かなかったことにしてくれ。そんな真面目に検討しなくていいからマジで。相互が認識している上だとそれは妄想プレイだから。現実リアルじゃないから。

 ……なんの話だっけ?

『質問についての返答だね。ただ、はい、でもありいいえ、でもあると、この質問に関しては、半端な回答しか返せないんだ。ごめんね、パンツについてしか情報を渡せなくて』

 ああそう……で、一体どういう意味なんだ、それ。全部じゃなくても、今言っている言葉は聞こえている訳だろう?

『ボクは今みたいに声にならない声を聞くことができているけど、これは心を、思考を読むのとは少し違うんだ。いわばこれはテレパシー能力。君が無意識下でボクに発信している言葉を読み取っているだけで、思考の全てを読み取っている訳ではないんだよ』

 ん。

 なんかわかった気がするな。

 つまり、今この文章はお前に向けて思考しているから聞き取れていて、それ以外の、ただ考えているだけだったらその内容を把握することはできない、みたいな感じか?

 この文章思考、ぶっちゃけ声に出してないだけだからな。指向性があるのかもしれない。

『うん、大体その理解で正しいよ。だから、君が例え本当にパンツについて訊こうとして憚ったという思考をしていても、ボクには感知することができないから、安心して嘘をついてほしい』

 だからやめろっての。

『それと付け加えて、君の強い感情の発露も読み取る事ができるよ。ほら、さっき『あれ、その驚き様……』とか言ってただろう?あれはそういうことさ』

 ぶっちゃけ、その発言については全く記憶にないが……驚いたってことは話しかけられた瞬間だろうか?あの時の驚きは、ちょっとやそっとでは出ない幅の感情の起伏だから、そうそう機会のあることでもないのか?

『そうだね、おそらくは。ボク自身この状態になってそう時間は経っていないから、あまり断言するようなことはできないけれど、取り敢えずは心を聞くのと感じる事しかできないよ。これから先、出来る事が増えるかもしれないけどね。それにあとは――君の記憶を全て保持していることは伝えておいた方がいいかな?』

「は?」

『あれ、その驚き様……』

 ちょい静かにして。

 ナチュラルにとんでもないことを言われた気がするな。

 気のせいか?

大和やまと美海みなみ若宮わかみや市第一区山下在住若宮滄君が疑問に思うのも仕方のないことだが、まあ信じてもらわないといけない話でもない。取り敢えず今は、テレパシーもどきが使える全ての記憶を共有していると自称する謎の存在、とでも理解してくれればいいさ』

 うわあ、暴力だ。

 情報の物量で殴ってきやがった。

 情報の非対称性で生まれた俺はサンドバックだ。

 どっちでもいいというスタンスに、情報に勝るという強者の余裕を感じる。

 つーか、テレパシーもどきが使える全ての記憶を共有していると自称する謎の存在、とか普通に印象最悪では?欠片も信用できる気がしねえ。

『だから、なんでも質問に答えるといっているだろう?』

 そうではあるが、そこじゃない。

 そもそもが、全ての記憶を共有しているという時点で最悪だろう?

『最悪ね……まあ、そういう捉え方もあるけど、もう覆すことのできない状況、受け入れて開き直った方が、互いに良いことがあると思うんだ――記憶を全て共有して、なおかつ受け容れてくれて、パンツの種類まで教えてくれる相手なんて、この世界、ボクをおいて他にいないぜ?』

 記憶を共有しているのがお前だけだからな‼――というのはさておき。

 たしかに、俺なんかの記憶を受け容れてくれる相手なんて、ゆるく数えて一人もいない。まあ、俺なんか、ではなく他人の、とも言えるが。誰であれ、自分以外の人間の記憶を、どのようなものに悪感情を抱くのかを、どのようなものに劣情を催すのかを、どのようなものに悪意を振る舞くのかを知ってなお、それを受け容れるだなんてのは、とても普通じゃない。少なくとも、そこら辺に転がっている精神性ではない。

 なるほど。考えようによってはこの状況、とても魅力的なモノのようにも思える。唯一無二の、全てを曝け出せる話し相手が手に入るのだから。

 それ以外に道がない、とも言えるが。

 たとえ敵対的な相手であったとしても、全てを曝け出せる相手であるということは、幸せなことだったりするのだろうか?

 まあ、んなわけないな。利用されるのがオチだ。

 ならばこの関係性、俺は少しでも良好なものとするよう努力すべきだろう。

 差し当たり、最悪と言ったのを謝罪しよう。混乱した末の八つ当たりになってしまったが……今回は大目に見てほしい。

『いやなに、まったく気にする必要はないよ。そのような性質だってことも、記憶から知っているわけだし、記憶の共有だって、事情はあるにせよこっちが勝手に行ったことだしね。罵りたければ好きなだけ罵るがいいさ。辱めるがいいさ。言葉攻めをする絶好のチャンスを悠々と掴むがいいさ』

 辱めないし、そんな趣味ないし、言葉が強いよ。

 まったく、急に変なことを言い出すんだから。困っちゃうよね。

『いや?分析すると、君は案外そっちの嗜好に偏っていたりするんだけど』

 え、まじ?

 記憶を読み取られて他人から自分の性癖を気付かされるとか……死ぬか?

『既にこれ以上ない程曝け出してるんだから、ボク相手にこれ以上罪悪感や羞恥を感じる必要はないさ。気にするな、どっしり構えてろ。すべて受け容れるって言っただろ?それに——』

 一度言葉を切って、まるで息継ぎでもするかのように、深い間を置いた後に、

『君は、死ぬべき人間では、ない』

 なんだか、本気を感じさせる声だった。

 茶化す気にもなれなくて、なんなら返事をする気も起きなくて、嬉しいような恥ずかしいような、そんな気分になって、ただ何処ともなく見つめていた空から目を逸らした。

 風が急に涼しく感じられた。

『だから、死ぬなんて軽々しく言うなよ』

「……ああ、不謹慎だよな、このタイミングで。……もう言わない」

『どんなタイミングでも、だけどね。ま、それはいいか。結局のところ、自分で死ななきゃいいってだけの話だしね。ボクが伝えたかったのは、口で言ってるうちにホントの気持ちにすり替わっちゃうから気を付けなよ、みたいなそんな感じの軽い忠告さ。あ、尊厳死とか安楽死みたいなことを話し合うつもりは無いよ?そんなのは、実際にその状況に追い込まれてからすればいい話だ。今の、もっと他の理由で死にそうな君が話し合うべきは他の問題だ』

「え、俺死にかけてんの?」

『君はいま異世界にいるからね』

「一文でまとめないで⁉」

『あれ、その驚き様……』

「もういいよそれは!」

 大きく手を振りかぶるように空中に叩きつけた。ツッコミのつもりだ。

『ああ、正確に言えば異世界ではなく、星の対蹠点、君のいた場所世界の真反対なんだけど、まあ君が絶対に知らない場所だから、異世界と言っても、過言ではないよね?』

「過言ではないよね?じゃねえ!かわいく言っても意味ねえよ――え、何?本気で言ってんの?それとも冗談?」

『おいおい、ボクが今までに冗談を言ったことがあったかい?』

「その、ちょいおふざけ気味なのやめろ。それのせいだって、冗談かどうかわかんないの!なんだよ、冗談を言ったことがあったかい?って。まだ大して話してないだろ!」

『でも、関係性は時間じゃなくて密度だから……』

「そうだけどそうじゃねえよ!さっき言ったことの方に言及しろよ!爆弾落として逃げんなよ!」

 なんか……疲れる!

「一旦、整理させてくれ」

『かまわないよ、パンツはやっぱりすべすべした生地の方が好きだな』

「整理させて⁉」

 急に何!

 こんなキャラだったのかコイツ?

 俺に、死ぬべき人間ではない、って言ったやつと同一人物とは思えない……いや、そもそもが人なのか?記憶を共有したとか言ってたけど、それを把握するのはまた別問題ではなかろうか?いつ共有がなされたのかは知らないが、十七年分の記憶を欠けなく把握していたとするならば、それこそ人間業ではないだろう。テレパシー(便宜上)とかもしてるし。

 ……現実逃避だわこれ。

「異世界ってのは……本当なのか?」

『ああ、本当だよ。もちろん、信じなくても構わないが、ボク個人としては信じてもらった方が何かと都合がいいね』

 個人、ね。

「いや、この際だ。信じるよそれくらい。テレパシーがあったんだ、今更未発見の大陸くらいで驚かない」

『規模が違くないかい?まあ、信じてくれるならそれでいいんだけど……実際、君らが観測していない大陸であることに違いはないしね。そう、まさしく君は今、君が気を失う前のちょうど対蹠点に立っているわけだけど……どうだい、感想は』

「どうって……ないよ、そんなの。まだ頭ごちゃぐちゃだし。ただまあ、景色なんも変わってないし、信じる事にはした訳だけど、マジで言ってんの?て感じではあるよ」

『ま、そうだろうね。おおむね予想通りの感想だ。ただね、景色変わんないって言われると、ボクとしては、知性担当のボクとしては、異議を唱えないといけない訳だよ』

 知性担当なのか……。急にパンツとか言い始めるし、恥の方じゃないの?

 いや、恥知らずだし痴のほうか?

『恥知らずとか、人を痴女みたいに言うのはやめてもらおうか。ごちゃごちゃ考えてないで、いいから景色で変わったところを探してみろよ、本能煩悩担当』

 ちょっと気に障ったみたいだ。

 改めて周りの景色を見つめなおしてみる。言ってもさっきからずっと見ているわけなんだが……そういえば、一度辺りを見回した時になんだか違和感を覚えたのだったか。その正体がきっと、景色の中で変わったところなのだろう。

 草原、となりの山、遠くに臨む海、またも山、祠があって、塔がある。

 なんだ、何がおかしいんだ?何かが足りないのか?

 隣の山の木が一本足りないとかならキレるけど。


 ――あ。

「酒瓶が、ない」

 酒瓶なんて、およそ触れ合うことない不慣れな物ゆえに、存在自体を失念していたが、失念したからと言って消失するという話も無かろう。酒瓶は確かに、祠の裏側に隠れているという訳でもなく、この草原一体よりその存在を消失させていた。跡形も無く。


 これが違和感の正体……なのか?

『あ、いや、酒瓶も確かにそうなんだけど……そうだね、すっかり失念していたな。これでは知性担当失格だ』

「ぜったい自称だろ、それ」

『自称しているからこそ、大切なんじゃないか』

「それはまあ、確かに」

 そのコメントは知性担当っぽいぞ。

 しかし、となると他にもおかしな点があるのか……解らん。

『ふふふ、判らないかい?教えてほしいかい、知性担当のこのボクに?』

「その称号への固執具合は煩悩っぽいな」

 まあ、教えてもらわないと話が進まなそうだし、聞くだけ聞くか。

『なんだい、そのおざなりな感じは。気に入らないね。言っておくけど、気が付かないとおかしいレベルだよこれは。寧ろなんで酒瓶に気が付いたんだい?酒飲みたかったのかい?寧ろもう飲んでるのかい?』

 結構馬鹿にされてるなこれ。

 そんなレベルの見落としが?この俺に?

 あるなら見せてもらいたいもんだね。

『いや、見えてるけど。もとい、見えていないけど……なんで自分でハードル上げるんだい?』

 こっちの方がダメージ少なかったりするんだよ、このちょいふざけてる感がね。

『なるほどね、覚えておくよ。ただまあ、それはそれとして、ご期待にお応えして答え合わせと行こうじゃないか。君が見落として、君レベルの人間が、あるものならば見せてみろと、そうまで言い切った大変な見落としがなんなのか』

 やめて、そっちが持ち上げると効果半減するんだ。

『儀式の一要素として加わっていて、そのためだけに君は早起きを余儀なくされ、なんなら儀式が始まる前までずっと意識していたはずなのに、寝て起きたらそれで忘れ去られてしまった、悲しき違和感の正体。それは――』

 それは――?

『塔だ』

 塔?

『塔が、祠の後ろにあるだろう?海の方角にあった筈なのに』

 ああ!

 なぜ気が付かなかった。祠の後ろに塔があるじゃないか。

 むしろなんで気が付かなかったのか、どうしてこんなあからさまな不可解に気付かずにいられたのか不可解なレベルだ。俺以外誰が気付かないんだってレベルだ。

 恥っっっず!

 それは酔ってることを疑うわ。それはふざけて逃げようとしてるところを甚振ろうとするわ。俺でもそうするわ。

『いや、君は喜んでそうするだろ。俺でも、とか殊勝ぶるなよ』

 心なしか、当たりが強い気がする。

 けれどこれも、愚鈍な俺に対する罰というやつか。愛の鞭ってやつだ。

『はッ、Sのくせにマゾっ気もあるとか、救えないね』

 え、なんかした?そこまで言われるようなことをした?

『いやなに、そっちの方の趣味も開発してやろうと思ってね』

 なんで今?

 いろいろ寄り道はしたけど、たしか俺は死にかけているみたいなことも言ってたよね?

 そっちの方が優先されるべきじゃないか?

『そうだったね、完全に忘れていたよ』

 ……やっぱり、恥性担当だよ、おまえ。

『たしかに、今までの振る舞いは知性担当とは到底言えないようなものだったかもしれない。けれどね、これには理由があるんだ。もっと言えば君のせいだ』

 お、おう。人のせいは良くないぞ。

『君の身体が、性欲が強いのがいけないんだ。ボクの身体だったならこうはならないけどね、君の身体で考え事をしていると、不埒なことばかりが頭をよぎるんだよ』

 ??どういう何の話??

『ま、それは後にして、実は今君は結構ピンチな状態だったりする。言った通り君は異世界にいる訳だ。そこにはもちろん君の家なんて大層な代物はないし、どころか衣食住の内一つたりとも保証されてない状況だったりしちゃうのさ。もはや間接的には死んでいるといっても過言ではない状況なわけさ。どうだい、死にかけている気分になって来たかい?還りたくなってきたかい?』

 ああ、帰りたくなってきた。

 ちゃんとした情報を真っすぐ最初に伝えてくれればいいのに、なんでこんなに遠回りしたんだ?

 おかげで俺は間接的に死にかけることになった。

『そりゃあ君、信用がないと信じてくれないだろう?実際、君は最初の方かなりボクを疑っていただろう?今君に勝手に行動を起こされると、ボクではフォローしきれない公算が高い。まずは、話を聞いてもらう土台を整えないとね』

 まあ、それはそうなんだが……パンツのくだり必要だった?本当に?

『ああ、パンツの話さえ振っておけば信用が得られると、記憶を読み込んで出したボクのファイナルアンサーさ』

 マジかよ。そんなアホみたいな奴がいるのか。

『ま、冗談だよ。パンツの話は後々改めてするとして……君は今死にかけている。理由は言った通り、今の君は今いる場所に何の知識もないからだ。人里を目指すどころか、山を下りる事も叶わずに途中で餓死するか、途中で獣に襲われて喰われるかみたいな状況だ。ここまではOK?』

 お、おーけー……。

『だからこの先、君にはボクの言う事に従って欲しいんだ。少なくとも生きるための環境を整えるまではね。そこから先は、まあ自由だ。ボクの言う事を聞こうとも何しようともね。ただ、ここから先、特に森を抜けて、人里に着く時までは絶対に、何においてもボクの言う事を厳守してほしい。……いいかな?』

 言葉の端々に、俺への配慮がにじみ出るようだった。

 こんなにも俺を思って行動をしてくれている相手のお願いを、どうして断ることが出来ようか。


 俺にそんな価値はないのに。


「ああ、もちろん。たとえどんな命令だろうとも、粛に遂行させてもらうよ」

『うん、頼んだよ!』

「ああ、頼まれた」


 そんなこんなで、俺の異世界での第一歩が踏み出された。

 先に広がっている景色は、元の場所とたいして変わっていないはずだけど、

『さあ、まずは街を目指そうか!』

 そこにはとても、楽しいものが待ち受けているような気がした。

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to other world【トゥ・アダ―・ワールト】 高松シア @ichabo

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