第三話  クジラ

「あっ! 何するんだ米由可めゆか、昼間っからおまえ……!」


 久自良くじらが驚いて、一歩後じさる。

 

「あたしもう、十八歳だよ。久麻くまにも、加良虫からむしにも、妻問いされたけど断った。知ってた?」

「知らなかった……。」

「ずっとずっと、一人のおのこの妻問いを、待ってるからだよ。」

「それって……。」

「二年前の歌垣からずっと、あたし、誰にもあたしの身体、触らせてないんだからね……? 知ってた?」

「知らなかった……、けど……。」


 久自良の目が迷った。


「もしかして、そうなんじゃないかとは、ちょっと、思ってた。……ごめん。」


 あたしは上目遣いで、じっと、その続きの言葉を待った。


「ええと……、オレ、鎮兵ちんぺい進士しんし(志願兵)になるんだ。この郷を離れるんだ。だから……。」


(えっ! いなくなるの?!)


「あたしもついてく!」

「えっ?」

「あたしを妻にして!」


(ああ〜、言ってしまった! 久自良から言ってほしかったのに。)


「……良いの?」

「良いに決まってる。あんたが行くところなら、あたし、どこへでも行く。」


 あたしは久自良の胸にとびこんだ。


「久自良、恋うてる!」


 そう、久自良の胸に顔を押し付けて言うと、久自良はためらいがちに優しく抱きしめてくれた。


(抱きしめてもらえた。やった!

 突き放されないって事は、受け入れてもらえたのかな?

 まだわからないよね。

 あたし、気持ちを伝えたよ。

 久自良、久自良は?)


「んっん〜! おほん!」


 家のなかから、母刀自のわざとらしい咳払いが聞こえた。


「はっ!」


 あたしは我に返り、すぐに久自良から離れた。

 夫婦めおとでも、明るいうちは、手をつなぐ事しかしない。

 抱きついたのは、恥ずかしい事。やりすぎの行為だった。


 母刀自は、家の壁の隙間から今しも見てるに違いない……。

 

(さっき、口づけしたのも見られたかな? うわあ……、この後、母刀自に顔をあわせるのが、ちょっと気まずい。)


 あたしは顔を真っ赤にしつつ、


(まだ、久自良の心を、聞いてない。

 言葉か、行動で、示してほしい。)


 と久自良を見上げた。




    *   *   *




 久自良は、頬を染めた米由可めゆかに見つめられて、


(あれ? こいつ、こんなに可愛いかったっけ……?)


 と心臓しんのぞうが早鐘を打った。









 米由可めゆかは二歳年下。まだ久自良が男童おのわらは(少年)の頃、


「待ってよう。」


 と、いつも久自良のあとをついてまわる、鴨の子供のような女童めのわらはだった。


 木登りが下手なくせに、果実をとろうとして木登りし、足を踏み外してころんころん、と地面に落ち、頻繁に泣いていた。


(なんだか目が離せないな。)


 と、久自良は良く気にかけてやっていた。


 でも、それだけ。


 大人となり、おのこおみなは一緒に野山で遊ぶことのなくなる、十六歳以降。

 郷で時々会えば、米由可めゆかの強い視線を感じた。


 でも、それだけのこと。


 兎来嶺うきねの妖しい美貌に惹かれたオレは、二年前の歌垣に行くつもりはなかった。


 しかし、米由可めゆかが歌垣で、誰にも相手にされず、最後まで焚き火のまわりで一人踊り明かす事になったら可哀想だな、と、米由可めゆかが売れ残ってないか、確認の為だけに、歌垣に行った。


 米由可めゆかが、まさか本当に遅い時間まで売れ残っているとは思わなかった。


 米由可めゆかはそれなりに可愛いおみなに成長していたから。


 オレは、米由可めゆかを慰めるように相手をしたが、米由可めゆかを一晩以上、どうこうしようというつもりはなかった。

 オレの心には、兎来嶺うきねしかいなかったから。







 オレが兎来嶺うきねに捧げた恋心は、兎来嶺うきね自身によって、散々に打ち砕かれた。








 愚痴を聞いてほしい、と思った時に心に浮かんだ、仲が良く、口のかたい男たちのなかに、なぜか、米由可めゆかの顔もあった。


(なぜかな?)


 と思いつつ、仲の良い男たちをひっつかまえてまったく同じ愚痴を聞いてもらい、米由可めゆかのところにも来た。


(今までオレは、米由可めゆかの面倒、沢山見てきたろ。オレの愚痴を聞いてくれたって、良いはずだ。)


 そう、思っただけ。

 そのはずだったんだ。


 でも、なんだろう。

 米由可めゆかに、素早い口づけをされて動揺し。

 郷のおのこ久麻くまにも加良虫からむしにも、妻問つまどいされていたのだと聞いて、驚き。


「ずっとずっと、一人のおのこの妻問いを、待ってるからだよ。」


 そう言われて、


(ああ、オレのことか。待たれてたんだな。)


 と頭にバチッと火花が散ったように、理解した。


(でもオレは、郷を離れるから……。)


 兎来嶺うきねがいるこの郷から、離れたくて。

 多賀城たがじょう鎮兵ちんぺいとなり、兵舎暮らしをすることを、もう、親と決めていた。


 米由可めゆかが、ついてきてくれるかは、自信がなかった。


 でも、杞憂きゆうだった。

 米由可めゆかは、ついてきてくれる、と、迷わずに言ってくれた。


(可愛いな……。)


 今、目の前の米由可めゆかが、なぜか、直視できないほど可愛く見える。

 大きな潤んだ目。

 ぷっくりした唇。

 ほほづき(ほおずき)のような頬。

 良く日焼けした肌。




 さ寝を、したい。




 想いを美酒のようにわし、二つの別れた川の流れが、一つの川となるように、逢瀬おうせをしたい。


(そうか、オレは米由可めゆかを恋うている。)


「オレ、荷造りがあるから、もう帰る。……今夜、月が昇ったら、来るから、戸の前で待っててくれたら、嬉しい。」


 オレはソワソワと言った。

 米由可めゆかは嬉しそうにはにかみ、


「……待ってる。」


 と微笑んでくれた。


 



        *   *   *







 この月の  ここに来たれば


 今とかも


 いもち  待ちつつあるらむ








 此月之このつきの  此間来者ここにきたれば

 且今跡香毛いまとかも

 妹之出立いもがいでたち  待乍将有まちつつあるらむ







 今は月がここまで出ているから。

 オレのいもは、家の外に立ち、オレが逢瀬しに行くのを、今か今かと待っていてくれてるだろう。






    万葉集  作者不詳






        *   *   *





 久自良は、月が昇ってから、照れ笑いをしながら、あたしのもとに来てくれた。

 あたしは静かに家の戸を離れ。





 月明かりに、をばな(ススキ)の穂が揺れ。

 りー、りー、りー、りー……、と秋の虫が鳴くなか、素晴らしい時間を過ごした。






 あたしは、久自良に身をゆだね、快楽くわいらくと嬉しさのなか、


「久自良、久自良……。」


 と涙をこぼした。








 頬を撫でられながら、


米由可めゆか。オレの母刀自に、米由可めゆかを妻にすること、許してもらったよ。

 米由可めゆかの母刀自は、どうかな? オレが婚姻を申し込んだら、許してくれそう?」


 と久自良に訊かれた。


「もちろん!」


 母刀自はあたしの気持ちを知っていて、応援してくれてるのだ。


「じゃあ、明日、米由可めゆかの家に行くよ。……その前に、ちゃんと言っておかなきゃな。

 米由可めゆか、恋うてる。オレの妻になってくれ。」

「はいっ!」


 あたしは元気に返事をして、久自良くじらに抱きついた。





 あたしの長い恋が、実った瞬間だった。









       ───完───





 

↓挿絵です。(それと『場所問題』) https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093081276749238

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メユカはクジラに口づけする 加須 千花 @moonpost18

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