東京零区の歩き方④

『おーッと! これは支配人のシナリオにもないビッグ・サプライズだァーッ! 何かの地下王者とやらに代わって、旧支配者レジェンドの一角、勅殺公が参戦ときたァ!』


 実況も興奮たっぷりに叫び、会場のボルテージは際限なく上がっていく。頭上の観客達は、今にも落下防止の網を破って襲いかかってきそうだ。


「おい、オマエ!」


 ゲキは銃を構える啓介に指先を向ける。


「一発撃ってみナ。オマエの好きな場所でイイからよ」

「悪いですけど……遠慮はできませんよ。私は臆病なので」

「ギャハ! よく狙えよ、コザカナ!」


 挑発の言葉を言い終えるや否や、ゲキの腹に十発余りの弾丸がぶち込まれる。これまでの相手であれば、肉が削がれて胴体が真っ二つになっていてもおかしくはないだろう。


「なんだァ……腹が好みか? フェチぃナ、オマエ♡」


 銀弾はゴムの壁に撃ったBB弾さながらに砂の中へと落ち、ゲキの肌には僅かな赤みさえ滲んでいなかった。

 九郎は間髪入れずに彼女の胸元へと数発の銀弾を放つが、ただでさえはち切れんばかりの乳房が一瞬のうちに張って力瘤となり、腹と同様に弾丸を跳ね返す。


「オレちゃんのカラダは特別製でナ。乳の中まで脂肪の代わりに、柔らかい筋肉が詰まってんだ。そいつに力を込めてやれば、銃弾なんざ屁でもねえぜ。ギャハッ!」


 鋭い牙の並んだ口を大きく開け、ゲキは悪辣に笑う。


「啓介くん、下がっていたまえ。ここからは巻き込まれると死ぬよ」


 九郎の言葉に啓介は無言で頷き、出入り口の方へと下がる。

 一対一でゲキと向き合った九郎は上着とセーターを順に脱いでいくと、黒いスポーツブラだけになった上半身を露わにする。

 ゆったりとした服に隠されていた肉体は鍛え上げられた筋肉に包まれており、腕や背中は無数の刺青で飾られていた。そのデザインは目玉を持つ炎のようで、吸盤の並ぶタコの脚にも似ている。


「さ、殴り合おうか怪物フリークス。台本はないが構わんだろう?」

「ああ、最高だ! 死ぬまでヤろうぜ!」


 ゲキは躍り上がって拳を振るうと、一切の防御を捨てた捨て身の一振りで九郎の首を刈り取りにかかる。九郎はそれを頬で受けると、身体をぐるんと回転させて受け流した。


「お!?」


 姿勢を低くしてゲキの腹に肉薄した九郎は、再び大地を踏みしめて強烈な破裂音を響かせると、その衝撃を打ち込んだ掌底を通じて相手の肉体へと送り込む。

 大陸の拳法で〈発勁はっけい〉と呼ばれる、気の操作を極意とした破壊術である。全身の運動エネルギーを身体の末端へと集中させ、体躯に見合わぬ破壊力を発生させる。

 また先程の流れるような受け身も原理としては同じであり、相手から受けた破壊エネルギー体内へと流して体外まで通り抜けさせるという荒業によって、ダメージを最小限に抑えているのだ。

 ザナガエラの巨体を一撃で粉砕した一撃を受け、ゲキは口の端から血を流しながらも、余裕綽々と牙を見せる。


「面白れえナァ! 水を相手にしてるみてぇだ!」

「君はまるで炎だね。拳から美しい熱が伝わってくるよ」


 体躯に倍程の差がある二人は真正面から殴り合い、血の火花を散らしながら熱狂の渦に身を投じていく。

 恐怖の感覚が麻痺している九郎でなければ、生物としての格が違う相手を前に、繊細な肉体の操作を維持してはいられなかっただろう。九郎は絶妙な綱渡りの上で、辛うじてゲキと互角に打ち合っていた。

 だが受け流してはいても確実に蓄積していく打撃のダメージが、九郎の肉体を次第に鈍らせ始める。雪だるまに増えていく負債が、一歩ずつ試合の終わりへと近づいていく。

 一方でゲキの肉体は打ち込まれるごとに躍動を強めていくばかりで、一向に衰えを見せない。彼女は頬を紅潮させ、まるで九郎の掌からパワーを吸い取っているかのようだ。


「痛みなんて感じるのはいつぶりだァ!? 最高だぜ元チャンピオン! 頼むから緩めるんじゃねえぞ! 久々にイケそうなんだからよォ!」


 被虐快楽者。ゲキは自身の肉体に与えられた苦痛が快楽に変わる、特異体質なのだ。一方で生まれ持った強靭な肉体のせいで満足に痛みを感じる事もできず、欲求不満に陥っていた。

 九郎との戦いは、彼女の肉体的退屈を久方ぶりに拭い去った。そのせいでゲキは殴るよりも寧ろ殴られるがわに意識が行ってしまい、攻撃の手がおざなりになる。

 その好機を九郎は逃さず、多少捨て身になってでも渾身の力で足を踏み込んで、渾身の一撃をゲキの身体へと流し込んでいく。


「ア゛ッ……すげえのクる……! 最高だぜオマエ――」


 九郎が両腕を突き出して最後の一打をゲキの腹へとぶち込むと、現王者は悦楽に満ちた表情で喉の奥から砕けた内臓の混じる血を吐き出し、膝から崩れ落ちる。

 弛緩した身体の各部からは大きな染みが布地へどくどくと広がり、幸せそうに身体を痙攣させていた。

 狂ったように鳴るゴングが試合の終了を告げ、周囲から九郎への喝采が降り注ぐ。


 すると、頭上から赤い影がリングの上へ颯爽と飛び降りてきた。

 先程まで実況をしていた、赤いタキシードだ。下から覗く赤い筋の入った黒い触手状の身体は、首の辺りから広がってマントの形となり、幾つもの白い仮面がくっ付いている。

 拡声器型の仮面は肩にぶら下がり、今は整った中性的な人間の顔を模した面へとつけ替えていた。目の部分に開いた穴からは、赤い瞳の双眸がきょろっと覗く。


「アラアラアラ。これは素晴らしい試合でした。ワタクシからも礼を言わせていただきますよ、九郎サン。それと、後ろの啓介サンもね」


 仮面に呼ばれ、後ろで試合を見守っていた啓介もおずおずと砂場へとやってくる。


「久しぶりだね、メアリス。試合に満足してもらえたのなら、クロマヌシの件はお咎めなしって事でいいのかな?」

「イヤですねェ、九郎サン。クロマヌシの事なんて、端からどうでもいいに決まってるじゃありませんか。今回の件は貴女をリングに呼びつける為の口実ですよ。……というのも、そこにいるゲキサンは旧支配者レジェンドの最上位層の皆サマを客に取る、最高ランクの娼婦なのですがね。最近どうも不感症で仕事にならず、困っていらっしゃったんです」

「それでボクと戦わせて、スイッチを入れさせたというわけかね。君の酔狂には呆れさせられるよ」

「アラアラ、そうおっしゃらず。は、貴女もよく分かっておいででしょう?」

「……そうだねぇ。ボクの方は今回も恐怖を感じるには至らなかったよ。不公平なものさ」

「ともかく、ワタクシからの依頼を果たしてもらって助かりましたよ。神々の仲介者たるとしては、顧客の面子を立てられなければ沽券に関わりますから。ミスター・サリヴァンにも、よろしくとお伝えください」

「ふふ。ってさ」


 去っていく九郎と啓介の後ろ姿に、メアリスは深く一礼を向けた。

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