女王陛下の正界閲覧①

 新代町が東京零区と繋がって以来、町には自然と世界中から対零組織が集まるようになった。ブラウン館の片隅にひっそりと事務所を構える電網探偵事務所も、その一つである。

 コンビニ程の広さである事務所の内部には壁一面に本棚が並べられており、部屋の半分が本を収めるラックで占められている。

 残った僅かなスペースに並ぶデスクでは。眼鏡をかけたルシアスが幾つかの書類を整理していた。


 ルシアス・クロウ。電網探偵事務所の所長であり、彼もまたイギリスの地から日本へと渡ってきた零能力者の一人だ。

 元々はイギリスの軍人として暗号解読を専門に活動しており、仕事で世界各地を回りながら神秘的な知識の一端に触れる機会を得た。

 そうして数々の経験を経て、今は極東の島国で怪しげな零能力者の事務所を開くに至る。


 そうしていると、事務所の扉が開いて九郎と啓介が入ってきた。啓介はその手に湯気の漏れる鍋を持っており、格好もいつものスーツではなく部屋着にエプロンというカジュアルなものになっている。


「やあ先生。啓介くんがお昼ご飯を作ってくれたのだけど、食べるかね?」

「ああ、もうそんな時間か。食べるからよそってくれ」


 啓介は自分のデスクに新聞紙を敷いて鍋を置くと、鍋の中から赤と白のコントラストが混ざり合う温かい料理を深めの器によそっていく。

 配膳された料理の香りが湯気に乗って運ばれ、ルシアスは頬を緩めた。


「トマト料理か。俺の好物だ」


 スプーンですくって口に運ぶと、濃い熱の中でトマトの酸味とチーズのまろやかさが感じられる。食べやすい大きさに切った鶏モモ肉に混じって、ぷりぷりとした食感が歯で弾けた。


「マカロニ……トマトとチーズを食うには最高の役者だな」


 仄かに効かせたガーリックの香味と鶏脂のうまみに確かな満足感を得ながらも、ルシアスは不思議な懐かしさをこの料理から感じていた。


(はて……どこかで同じような料理を食べた事があったか)


 だがトマトソースのマカロニなんてものは、別段珍しい味でもない。心当たりは枚挙に暇がなく、考えても無駄だろうと直ぐに思考の底へと沈んだ。


「中々の腕前だな。料理の経験は長いのか?」

「料理は基本的に私の役目でしたので。和食はまだ勉強中ですけど、そのうち振る舞えると思いますよ」

「そいつは朗報だ。日頃の楽しみが増えるな」


 ルシアスはあまり料理が得意ではない。それは九郎も同様で、今まではサリヴァンに料理を作ってもらったり、外で買ってくる事が多かった。

 そこに料理の達者な啓介が転がり込んできたもので、近頃の食卓は大いに賑わっていた。


「しかしここ最近は景気が良いね。この前の依頼もかなりの稼ぎになったし、顔役のお陰で東京零区にも出入りできるようになった。仕事がずいぶんやりやすくなったよ」


 事務所のソファに腰かけてマカロニを頬張りながら、九郎もご機嫌である。


「あれ、地下じゃ元チャンピオンなんて呼ばれてませんでしたっけ。以前にも行った事があるんじゃないんですか?」

「そだよ。で、出禁になった。当時のチャンピオンだった旧支配者レジェンドを打っ倒したら、そいつが当時東京零区を仕切ってた上位存在のお気に入りでさ。怒りを買ったってわけ」

「あー……それで元チャンピオンなんですね」

「大方あのゲキって女の上客が、ボクを出禁にした上位存在だったんだろうね。ゲキの望みを叶えてやったから、それでチャラって事なんじゃないかな。メアリスがそういう風に口を利いてくれたんだろうけど」

「あの人、見た目は怖かったですけど、意外と優しいんですね」

「優しいだなんてとんでもない。あれはボクを使って遊びたいだけの我儘な幼児だよ。それも、下手に力を持っているからタチが悪い。この数年間、ボクは東京零区の出入りができなくなっていたのだからね」


 和やかに話していると、事務所のドアがノックされる。


「私が見てきますよ」

「誰だろ。マスターかな?」


 啓介が扉を開けると、外には一人の少女が立っていた。

 髪も肌も真っ白で、身に着けている貫頭衣すらも真っ白だ。双眸だけが玉虫色に輝いており、形こそ人間だが、一目で異質な存在だと判る。


旧支配者レジェンドを殺せるという、狩人達の根城は此処か?」


 少女はえらく尊大な口調で尋ねる。


「え、えっと……?」


 啓介が返事に困っていると、後ろから九郎が彼の肩に頭を乗せて、訪問者の姿を覗き込んだ。


「おやおや、零界からの訪問者とは珍しいね。何処でうちの噂を聞いたのかな、お嬢さん?」

「顔役と言えば分かるか? 此方側に腕の立つ連中がいると紹介されたのじゃ」

「そんな事だろうと思ったよ。取り敢えず、中に入りたまえ。玄関でするような話でもないだろう」


 少女を中のソファに座らせると、九郎は正面に椅子を引いてきて腰かける。


「それにしても、旧支配者レジェンドを殺せとは穏やかじゃないね」

の命を狙う組織がいる。そいつらからシを護衛し、指定の場所まで送り届けてほしいのじゃ」

「一応、組織の名を聞いておこうか。受けるかどうかはそれ次第だ」

「……〈虚無代行アクト・ヌル〉。旧支配者レジェンド御用達の犯罪代行業者じゃ。その中でも特攻隊長と呼ばれるコーネリック・ソカスという旧支配者レジェンドが、シを捕獲するという依頼を破格の報酬で請け負ったらしい」

「コーネリック……鉄兜のコーネリックかね。これはまた厄介な男に目をつけられたものだ」


 奥の給湯室に行っていた啓介が戻ってくると、暖かいココアをソファの前にあるテーブルへと配る。


「有名な存在なんですか?」

「ボク達の間じゃ特にね。銀弾の効かない肉体を持つ、別名狩人殺し。これまでに旧支配者レジェンドからの依頼で、名の有る人間側の零能力者を何人も殺してる。クロマヌシみたいに積極的に人間を殺すタイプじゃないが、その分仕事として依頼されれば誰だって殺す危険な存在さ」

「銀弾が効かない……そんなのどうやって倒すんです……?」

「おやおや。旧支配者レジェンドの武闘派連中なんて、零銀銃ハーフクロスじゃ殺せない連中ばかりだよ。肉体が頑強だったり、剣で弾いてきたり、体捌きで避けてきたり……それをどうにかして殺すのが、腕の立つ霊能力者の本領だ。……それに、当然報酬は弾んでくれるんだろう?」


 九郎の期待に、少女は歪んだ五芒星の刻まれた玉虫色の石を服の中から取り出す。


「シは旧支配者レジェンドの一人である、サニド王と人間の女の間に生まれた娘じゃ。その石はサニド王が血族に与える加護の印。それをヌシらに授けよう」

「サニド王……列伝に語られる真実の王かね。彼の名を語る際に、一切の偽りは許されないという……それは確かに、君の身分の証明として申し分なさそうだ」

「その加護があれば、サニド王旗下の旧支配者レジェンドや、その眷属サイクルからも一目置かれよう。人間の使う金よりも価値がある筈じゃ」

「確かに報酬としては充分だ。問題は、どうして君が虚無代行アクト・ヌルを向けられるような事態になっているのかだよ。聞いた話だと、君はサニド王家の中でも末端じゃないか。それも人間との間に生まれた子となれば、人質として充分に機能するとも思えない。依頼主の狙いは何だね?」


 少女は一瞬口籠ると、重々しく口を開く。


「シには使命があるのじゃ。サニド王を見つけ出し、封印から解き放つ使命を果たさねばならん」

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