レイとヒトの交わる街②


「ひっ……ひっひぃー! こ、ここ殺しちゃいました! 私知ってるんですよ! 動物を殺したら、霊がついてきてしまうんだって!」


 バスから降りた夜道を歩きながら、スーツの男が情けない悲鳴を上げる。先程の冷静沈着な振る舞いが、何かの間違いであったかのような変貌ぶりだ。


「大丈夫だよ。拳銃というのは、十字架を斜め半分に割ったような形をしているだろう?」

「言われてみれば……それが何か……?」

「これは拳銃が、かつて〈聖十字教〉で悪魔退治に使われていた十字架から発展して誕生した、聖なる武器である証なのさ。拳銃で殺した動物の霊魂は浄化されるから、祟られる心配はないのだよ」

「そ、そうだったんですね……! まさか拳銃の形にそんな由来があったとは……」

「驚いただろう。今ボクが考えたんだ」


 得意げな女の横顔に、ビビりの男はあんぐりと口を開ける。


「な、何でそんな意味のない嘘を……?」

「真実に意味があるような言い方はよしたまえ。大切なのは、だ。『動物霊が一つ憑依すると将来的に発狂する確率が2パーセント上がる』なんて研究結果より、ボクの言葉の方が遥かに救いがあっただろう?」

「うわぁー! そ、そんな事聞きたくなかったぁー!」


 二人は料金制の駐車場に駐めてあったジャガーFタイプの青いクーペに乗り込むと、左の運転席に女が座って、夜の街にアクセルを踏み出す。今では電気式が主流になったジャガーモデル最後の内燃機関タイプで、英国の伝統を象徴するスポーツカーである。


「ときに啓介けいすけくん。先程の猿は別に死んだわけではないのだよ。というか、そもそも生きてすらいない。あれは〈零能力れいのうりょく〉によって生み出された、単なる操り人形なのだからね」

「あれも零能力ですか……目の前で見たのは初めてじゃありませんけど、いまだにどういうものかよく分かってないんですよね」

「何を言うかね。君だって零能力者の端くれじゃないか」

「私のはそんなのじゃありませんよ。仕込みの単なる暗殺術です」

「日本の一般家庭で暗殺術は習わせないと思うのだけどねぇ」


 二人を乗せたジャガー・クーペは住宅街に入ると、背の高い門の開いた城のような洋館に車で乗り入れていく。奥には中庭式の駐車場が広がっており、その周りをぐるっと壁のように集合建築が囲んでいた。

 これはミューズと呼ばれるイギリス式の集合住宅で、馬を飼う為の中庭と、それを通す為の背が高い門を備えた伝統的な長屋である。

 壁の色から〈ブラウン館〉と銘打たれたこの建物は少し特殊で、一階部分には全て企業のオフィスや店舗が入っている。近隣住人がよく利用する格安のスーパーに加えて、飲食店や病院までもが揃っており、小規模な商業施設として機能していた。


 その一角に、カフェ兼バーの〈ヴァチカン〉という店がある。その店内カウンターで、一人の男がワイングラスを傾ける。

 壮年後期と見られる西洋人で、長い銀髪をハーフアップにし顎髭を生やした風貌。服装は上着を省いた黒のスリーピース・スーツに、真っ赤な銀ストライプのシャツを合わせている。


「んで、話ってのは何だ? サリヴァン」


 銀髪の男はカウンターの中にいる、マスターらしき男に話しかける。


「……とぼけるな。お前のところのじゃじゃ馬娘が、またウチの管轄に割り込んできたと報告が入ったぞ」


 マスター:サリヴァンは銀髪の男と同年代と思しいが、その体躯はラガーマン顔負けに筋骨隆々とし、シャツとエプロン越しにもその逞しさが分かる。ウェーブのかかった逆立つ黄金の髪は立派な顎鬚と一体化しており、堂々たる体躯も手伝ってライオンと形容するのが最も相応しい。

 目元にかけた眼鏡が、その野性的な外見に申し訳程度の理知的な印象を添えている。


「そりゃ、お前さんとこの若い衆が遅すぎるんだろ。これ以上管轄で人死にが出たら、次は左遷じゃ済まんぜ、元枢機卿カーディナル

「……フン。ウチを正義の味方か何かと勘違いしてないか? 大切なのはを速やかに遂行する事だ。その過程で幾ら死人が出ようが、俺の知った事じゃない」

「大した説教だ。積んでる徳が違う」

「……ルシアス」

「分かってるよ。俺からあいつに言っておけばいいんだろ。報酬も半分はそっちに譲るさ」


 銀髪の男:ルシアスがワインを呷ると、背後の扉が開いてジャガー・クーペの男女が入ってくる。


「やあ。それにマスター。二人で仲良くお話かね?」

「丁度お前さんの事でな。手柄の横取りは勘弁してくれとよ」

「ヴァチカンの経費からボクの口座に毎月振り込んでくれるのなら、考えなくもないのだけどね」

「……だそうだ」


 ルシアスがサリヴァンに話を振ると、彼はすっかりまいった様子で頭に手を遣っていた。


「……俺は忠告したぞ。現場で銀弾をブチ込まれても文句は言うな」

「肝に銘じておくよ。マスター、ボクと啓介くんにも何か食べさせてくれたまえ」

「ウチはパンとワインだけだ。サンドイッチでよければ作ってやる」

「冷や肉とマスタードソースのやつを頼むよ。啓介くんは?」

「えーと……同じものを」


 サリヴァンは食パンを切ってサンドイッチを拵えながら、視線を合わせずに話し始める。


「そっちの若造も、もういっぱしの零能力者って面だな。……零銀銃ハーフクロスの具合はどうだ」


 話しかけられた啓介は、やや間を開けて答える。


「あ、えっと。良い感じです。今日も猿の幽霊を退治できました」

「当たり前だ。ウチの工房の最新式だぞ。ずぶの素人でも動物霊ぐらいならぶち抜ける。そいつをあてがってくれた九郎くろうに感謝するんだな」


 この場にいる男は、既に名前が判明している三人だけだ。然らば九郎という名前は、にしか余っていない。頬杖をついて啓介の顔をによによと覗き込む長躯の女。彼女が九郎その人であった。

 明石家九郎あかしやくろう。人呼んで〈電網探偵でんもうたんてい〉。対零犯罪のスペシャリストであり、稀代の神秘学者オカルティストである。

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