東京零区の歩き方③


 自信満々に啖呵を切るザナガエラの前で、九郎は不敵な笑みを浮かべたまま大胆に間合いを詰めていく。


「なんだァ? さっきの銃を使ってもいいんだぜぇ。此処はルール無用だからなァ、ゲへへ!」


 ザナガエラは揶揄ったつもりだったのだろうが、九郎が一向に武器を抜かないまま自分の間合いへと踏み込んでくるのを見て、こめかみに青筋を立てた。


「人間風情が……ナメやがって!」


 四本の腕が目にも留まらぬ速度で駆動し、自分の撒き散らした粘液を拳で砕きながら、九郎の頭部を叩き割らんと迫ったその時。九郎は態勢を一瞬で低くして、ザナガエラの懐に潜り込む動きで連打を避けると、腕を脇に構えて足を踏み込んだ。

 銃声のような音が九郎の足元から炸裂し、ザナガエラの腹へと掌底が打ち込まれる。

 すると圧倒的な重量差を誇る筈の肉体は、喉の奥から砕けた内臓の混じる青い血反吐を撒き散らし、一撃で砂場へと沈んでしまったのである。


「安っぽいミンチ製造機ミ―ト・スクラッパーだね。これでは食えたものじゃないよ」


 周囲にゴングが何度もなり響き、試合の決着を告げる。


「第一試合——勝者、九頭竜くずりゅうの九郎ー!」


 実況役が試合の決着を告げると、客席から割れんばかりのが鳴り響き、昏倒するザナガエラをバニーガール達が担架に乗せて運んでいく。

 端で見ていた啓介の下へ、九郎は涼しい顔で戻ってきた。


「す、凄いですね九郎さん……! あんなデカい人を相手に……!」

「いかに体格差があろうとも、彼女が使っているのはだ。全身を使って戦えるボクが負ける道理はないのだよ」


 場内に流れる音楽が変わり、向こう側の出入り口に新たな拳闘士が現れる。今度は九郎よりも一回り小さい細身の女性だ。長く白い髪を花弁のように結え、目元には赤い化粧をしている。

 白い身体から生える触覚や、紫のチャイナ服側面に開いた深いスリットから覗く無数の手脚は、彼女が甲殻類や昆虫の類であると窺わせる。


「赤コーナー! ツギハギの魔術師、シミコ! 今宵も残虐なマジックショーを見せてくれェーッ!」


 シミコは観客に向けて一礼し、九郎に挑発的な笑みを向ける。


「……どうやら、一戦では満足してくれないらしいね」


 九郎が砂場の中央まで戻ると、景気の良いゴングが試合開始を告げた。


「お久しぶりですのね、九郎。貴女のいないリングは退屈でしたのよ!」


 シミコは指先から長い糸を地面に鋭く伸ばすと、その軌跡で砂場を切り裂きながら、九郎へと中距離からの攻撃を仕掛ける。

 十本の腕から繰り出される無数の糸は前方へ斬撃を放つと同時に、空中で複雑に絡み合って蜘蛛に似た巣を張り巡らせていく。これによって相手を近寄らせず、遠隔の斬撃で一方的に相手を切り刻む攻防一体の戦術が、シミコの得意技だ。

 糸を躱しての防戦一方を強いられる九郎は状況を打破すべく、零銀銃ハーフクロスを抜いて数発見舞った。

 だが銀弾は網に触れると回転しながら絡め取られ、その場で止められてしまう。


「随分と強度が上がったね。ボクに中距離戦を挑むだけはある」

「かつて貴女に敗れた時の私とは違いますのよ! 今日こそ死んでいただきますの!」

「……かつてと違うのは、さ」


 九郎が呟いた瞬間。シミコの啓介が姿を現し、彼女の腹部を零銀銃ハーフクロスで撃ち抜く。


「がっ……は……?」


 状況を把握できないまま横向けに倒れたシミコに、啓介は頭上から銃口を向ける。


「悪く思わないでくださいね。これも仕事ですので」

「貴様ッ——」


 啓介は続けざまに二発の弾丸を撃ち込み、恨み言の一つも言わせずに止めをさした。


「おッ……こいつは勝負アリだァ! 第二試合をキメたのは、謎のダークホース! リングネームはそうだな……影殺しの啓介ってところかァ!」


 先程にも増して激しいブーイングが会場を包む。その大半は今や、啓介に向けられたものだろう。


「うぅ……もの凄く嫌われている……」

「連中が拍手なんてするのは、ボクらが脳味噌をぶち撒けて死んだ時ぐらいだよ。此処での喝采なんて、そこの砂粒程の価値もないのさ」


 すると勝利の余韻に浸る間もなく、向かいの出入り口から赤い肌をした巨大な女が姿を現す。

 スポーツ用の下着に身を包む彼女は倒れるシミコを踏み潰すと、四メートルはある巨躯で二人を見下ろした。


「こんなガキどもの茶番に付き合ってられるか! 一撃でぶち殺して、内臓ぶち撒けてやる!」


 途轍もない大声で彼女が吠えたその時。その肩に、後ろからどすんと手が乗せられる。


「あぁ⁉︎ 何だテメ——」


 女が振り返ると、そこには体躯を持つ、金髪に褐色肌の巨女が立っていた。


「よう、オマエじゃ役不足だ。オレちゃんに代わりナ」

「な、何だと……? 暗黒パンクラチオン地下王者のオルガ様に向かって——」

「そんじゃ、死んで失せろ」


 乱入者はオルガの分厚い腹筋に両腕を回すと、無数の傷が刻まれた筋肉の塊で彼女の腹を締め潰していく。


「ぐっ……ぶ……この……!」


 オルガは懸命に腹へと力を入れて耐えようとするが、はたから見ていて分かる程に、腹が少しずつ凹んでいく。


「ひっ……ま、待で! まいっだ! よせ——うぶっ!」


 必死の命乞いも虚しく、強靭な腕にオルガの腹がぺしゃんこに圧し潰され、彼女の口や肛門から血に塗れた内臓が飛び出す。

 巨大な身体が砂の上に崩れ落ちると、九郎達の目にも乱入者の姿が明らかになった。


 他の神々と比べると、その容姿は極めて人間に近い。

 頭部の立派な双角と、巨大な四つの乳房が、彼女を人ならざるものとして誇示している。

 鎧の如き筋肉に包まれた褐色の身体には大小無数の傷が刻まれており、金色の細かい体毛が腕や脚、胸の谷間や腹にも生えていた。

 格好は赤く染めた獅子の毛皮を頭部から被るのみで、裸も同然である。

 左目を覆う眼帯と太い黄金の眉が印象的な凛々しい顔が、九郎達を見下ろす。


「オレちゃんが此処の現チャンピオン——勅殺公ちょくせつこうゲキだ! 今宵のメインイベントに、殺し合おうぜ! !」


 チャンピオンが名乗りを上げると、会場がこの日初めての喝采に包まれた。

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