レイとヒトの交わる街④

 迫りくる猿の群れに対し、九郎は冷静に腰背面のホルスターから零銀銃ハーフクロスを抜く。啓介の銃が取り回しに優れた自動拳銃であるのに対し、彼女は破壊力の高い回転式拳銃リボルバーを愛用する。

 古来より霊的な存在に致命傷を与えるには、銀の弾丸が有効とされてきた。それは単なる迷信などではなく、ある特殊な方法で精錬した銀には、確かな退魔の力が宿る。

 それ即ち、零能力によって精錬した聖なる銀。〈信仰〉という名の零体を、物体である銀へと結晶させる武器こそが、零銀銃ハーフクロスである。

 銃刀法を掻い潜って携帯する為に、銃身には弾丸を発射する機構は備わっておらず、内部に詰める弾丸も火薬もない。代わりに銃身に刻まれた〈零次方程式れいじほうていしき〉が、銃身を握る霊能力者の放つ燐光を聖なる銀として出力する。


「多勢に無勢と高をくくったかね? 生憎だが――よ」


 九郎が引き金を引くと銃口から青い燐光反応が迸り、ぱきんっという独特な銃声とともに銀弾が放たれる。銃器の使用に慣れた肉体の勘による精密で大胆な射撃が、恐るべき連射で次々に死骸を転がしていった。

 一方で眷属サイクルによる人海戦術も、張子の虎というわけではない。生命を持たない彼らには一切の恐怖心が存在せず、主の望むがままに突撃し、多少の犠牲をものともせずに九郎へと肉薄していく。

 そして遂に猿の一匹が、背後から九郎の髪を掴んだ。背中に脚を突っ張らせてぐいっと頭を引っ張り、獲物の自由を奪いにかかる。


「終わりだ、劣等種族!」


 クロマヌシが高らかに吠え、体勢を崩した九郎に雪崩かかった猿達が、噴き上がる獲物の血飛沫を纏って祭囃子を踊る。

 長い腕の先に付いた拳で地面を殴って歩く独特の歩法で、クロマヌシは周囲の眷属サイクルの間を歩いていくと、無残に腑分けされた九郎の死体を眺めて目を細めた。


「醜い。やはり人間の死は誇りがなくて反吐が出るわ」


 嫌悪感に死体から目を逸らしたその時。クロマヌシの視界の端に、黒い影が映り込む。


「――失敬な。人間程、エロティシズムに特化して進化した生物はいないというのに」


 視線を少し戻すと、グラウンドの明かりを背に浴びて、九郎が立っていた。彼女は手の中で煙草に火を灯し、口に咥えて頭上に煙を吹く。


「ついでにもう一つ苦言を呈すならば……君は数字に対する頓着がなさすぎる」

「スウジだと……? 何だそれは」

「この世で最も美しい、神の摂理さ。君がボクを殺し損ねたのは。こうして背後を取られるのもだ」

「そんな事はどうでもいい……何故貴様が生きている!」


 吠えるようなクロマヌシの質問に、九郎は指を横に向けて答える。示した先には、先程まで九郎の倒れていた筈の場所。そこから忽然と姿を消した死体の跡地だった。


「答えは死んでいないからだ。これ以上に明快な答えがあるかね?」

! 儂は確かに、貴様が死んだのを見たぞ!」

「見えるものを信じるのは結構だが、君も0の世界側の住人なら、見えないものの存在にも意識を向けたまえ。零能力とは、01だ。ボクはその力で、君が言うものを現実にしただけさ」

「小賢しい……ならば万に一つも生き残る可能性など与えぬよう、徹底的に殺してくれるわ!」

「それも無理。何故なら君は、を見逃しているからだ」


 九郎の吐く言葉の意味が理解できず、クロマヌシは一瞬思考が停止する。

 その頭上に、筈の啓介が姿を現した。彼はクロマヌシの首に跨ると、脳天に零銀銃ハーフクロスの銃口を当てる。


「悪く思わないでくださいね。……これも仕事ですので」

「まっ……待て……!」


 銃口が青い稲妻を噴き、銀弾が一撃でクロマヌシの思考を挽き肉へと変える。その死体は周囲の眷属サイクル諸共に一瞬で消滅し、周囲には再び静寂が訪れた。

 地面に着地した啓介は、真っ青な顔で九郎を見る。


「今ので百匹ぐらい殺しちゃいましたけど……例の確率にはカウントされませんよね……?」

「そうやって一々数を気にしていると、余計に精神が不安定になるそうだ。啓介くんはもう少し、おバカになった方がいいかもね」

「そ、そんなぁー! 酷いですよ九郎さぁん!」


 仕事を終えた二人はグラウンドを後にすると、待たせていたジャガー・クーペの場所へと戻っていく。


「それにしても、何度見たって冷や冷やしますよ。九郎さんっていつも、碌に抵抗もせずに殺されちゃうんですから」

「そんな無駄な事をするのは、死に怯えている者が抱える欠点だよ。避けようのない死に抗うよりも、を模索した方が遥かに合理的じゃないか」

「そんな無茶な……普通は誰だって、死ぬのが怖いですよ。命は一つしかないんですから」

「……そうだね。命は一つだ。だからこそボク達は、どんな歩き方をしたって一歩ずつしか前に踏み出せない。例え脚が四本あろうとも、どれだけ速く脚を動かそうとも、全ては1の積み重ねでしかないのだから」


 啓介の価値観では理解不能な理論を並べながら、九郎は頭上に指を向ける。


「あの星を見たまえ、啓介くん。君はあれが、である事を知っているかね?」

「過去……? 今この目で見ているんだから、現在の輝きなんじゃないんですか……?」

「あれはシリウスという星の光は、八年前のものなんだそうだ。ボクらに生まれつき備わっている目は、欠陥品でね。光という媒介を介してでしか、世界を認識する事ができないのだよ。ゆえに星の放つ光がボク達の目に届くまでにかかる時間分だけ、星が持つ真実の姿との間には乖離が生じる。ボクが生きているのは、そんな01なのさ」


 それがに対する九郎なりの答えだという事に、彼が気づく筈もなく。

 二人が乗り込んだジャガー・クーペはエンジンを吹かせると、夜の街を満たす明かりの一粒となって消えていく。


 此処は東京都、新代町にいしろちょう。神々の住む0の世界と人間の住む1の世界が交わる、世界で最も危険な零犯罪都市である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る