祝男(いわいおとこ)

もも

祝男

 男の存在に最初に気付いたのは、先ごろ行われた県知事選挙で当選したY氏の初登庁の様子を撮影している時だった。


「何かあいつ、ちょっと変じゃないですか」

「どの人」

「あそこです。入口の近くにいる、ネイビーのネクタイ締めてる男」

 拍手で出迎えている大勢の職員たちの中のひとり。

「すごい笑顔なんですよね」


 引きから寄りへ。

 他の職員たちは「とっとと終われ」とばかりに愛想笑いを浮かべているのに比べて、男は目が糸のように細くなるまでニコニコと全力で笑っているのだ。


「まぁそういう人もいるんじゃないの。自分が支持してた候補者だったとか、前の知事がいなくなったのが嬉しいとか」

 ディレクターが答える。

「そんなもんですかね」

「そんなもんでしょ。あ、そうだ。向こうの様子も押さえといて欲しいんだけど」

 俺はカメラを構え直す。

 あれこれと必要なものを撮影している内に、俺はいつの間にか笑い顔の面を貼り付けたような男のことなど忘れてしまった。


 あの就任の日からわずか一か月後。

 知事は議会の運営がうまくいかず、精神を病んだ末に辞職した。

「また選挙やるのかよ」

「元々ねじれ状態だったからな」

「投開票日、いつになるんだ」

 フロア全体ががざわつく中、俺は「また選挙の取材があるのか」ぐらいにしか考えていなかった。


 次に男を見たのは、A県とD県を結ぶ高速道路の開通式だった。

 美しく舗装されたアスファルトの上に地元のキャラクターの着ぐるみやお偉いさんが並び、テープカットが行われた。

 多くの関係者たちが拍手を送っている。

 パチパチと手を叩く人々にレンズを向け、カメラをパンする。

 女、男、男、男、女、


 男。


 あの笑い顔、どこかで見たな。

 レンズの向こうにいる満面の笑みを浮かべた男と、記憶の断片にいる目を糸のように細めて全力で笑う男の顔が、俺の頭の中で一致した。


「あいつ、またいる」

 道路建設とか、そっち系の仕事を担当しているのだろうか。それならこの場にいても特段おかしくはない。

 が、何だろう。大勢の人々の中、やけにあの男の顔が印象に残る。


 笑っているのは全員同じ。

 笑いの裏には色々な感情がどことなく透けて見えるのが普通だ。

 しかし、男からはこの場に立ち会えたことに対する純粋な喜びしか感じない。

 そんなこと、あるのだろうか。


「道路関係は色んな思惑が絡むからな。損するヤツもいれば、得するヤツもいるってことだ」

「一介の県の職員で、そんな得することってあります?」

「じゃあ無事に開通してホッとしてんだろ。公務員の世界は面倒臭そうだし」

「うーん、そういう感じでもないんですよね……」


 何かが引っ掛かる。

 違和感の正体が掴めないまま3日が過ぎたところで、俺は再び現場へ向かうことになった。

 高速道路で、大型トラックが事故を起こしたのだ。横転したところに乗用車が突っ込み大破の末、炎上。後続車も巻き込まれるなど、多くの犠牲者を出した。

 

 開通したての道でこれだけの事故が起きるなんて、責任者だか誰だか知らんが何か悪いことしたバチでも当たってんじゃねぇの。

 

 俺は、事故現場を撮影しながら「ざまぁみろ」と思った。


 男の正体に気付いたのは、3度目に見掛けた時だった。

 大型商業施設の開業セレモニー。

 県内初出店の飲食店、20代女性にターゲットを絞ったホームセンターの新業態店舗など目玉も多く、オープン前から注目度の高いスポットだった。

 施設のイメージキャラクターを務める俳優も来店し、オープニングセレモニーはかなり盛大なものとなった。


「いた」


 開店を今か今かと待つ人々に紛れて、あの男が立っていた。

 笑っているのは他と同じなのに、この男からは喜び以外の感情が読み取れない。

 なのに、期待にワクワクしているという様子は見受けられなかった。

 ただひたすら笑い顔だけを浮かべている。


「また何かありそうだな」


 その予感は当たった。

 開業当日に飲食店で火災が発生したのだ。

 ショッピングやグルメを楽しんでいた大勢の客は一瞬にしてパニックに陥ったことで避難がうまくいかず、かなり多数の死傷者が出た。

 

 新たな門出。新しい事業。新規オープン。

 おめでたい席に現れ、嬉しさを全面に押し出し、満面の笑みを浮かべては災厄をもたらしていく男。

 

 俺はこいつを『祝男いわいおとこ』と呼ぶことにした。

 

 祝男が災いを招くのは、人なのか場所なのか、あるいはその出来事と縁が結ばれた何かなのか。いずれにしても、立場の弱い人間を踏み台にして逃げおおせるような権力者や金持ちも、等しくその災いの対象になるならば、こんなに胸のすく話はなかった。


 それからも俺は、何度か祝男をレンズ越しに見た。


 C市の成人式の会場で見掛けた時は、酔った新成人たちがグループ内で揉め事を起こし、メンバーの一人が激しい暴行を受けた末、海に沈められた。

 与党と野党が激しい議席争いを繰り広げた衆議院選挙では、当選確実となった立候補者の選挙事務所で祝男が晴れやかな笑顔と共に万歳をしていたが、その議員は後日、買収などの罪で公職選挙法違反となり、逮捕・有罪判決を受けた末に公民権停止となった。


 もっと。

 もっとやれ。

 こういうのを因果応報と言うんだろう?

 悪いことをしているのならば、その報いを与えてやればいい。

 

 そう思っていた。

 

 俺の目の前に現れるまでは。


 2年付き合った彼女と今、高砂に座りながら、俺はひとりの男を凝視している。

 嘘偽りなど欠片もない、心からの笑顔で手を叩いている祝男を。


「あのテーブルにいるネイビーのネクタイを締めた男、お前の側の招待客か?」

「誰のこと? そんな人いる?」


 彼女には、祝男が見えていない。

 なぜ、ここに。

 そう思いかけて、はたと気付く。

 

 


 俺の動揺などお構いなしに、めでたい宴は進行する。

 司会に促され、俺たちは席を立つ。

 祝男は一度も笑顔を崩さない。


 やめろ、笑うな。

 笑うんじゃない。


「まもなくケーキ入刀です。絶好のシャッターチャンスですので、カメラをお持ちの方はどうぞ前へお越しください」


 目の前には巨大なナイフ。

 祝男はニコニコと笑い続けている。


 その顔で俺を見るな。

 頼むから、これ以上笑わないでくれ。


「それでは皆様、ケーキ入刀です」

 

 BGMの音量が上がる。


 災厄が降りかかるのは、俺か彼女か、会場そのものか、あるいはこの婚姻に関わった誰かなのか。


 背中に汗が伝うのを感じながら、俺は震える手でケーキにナイフを入れた。

 


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祝男(いわいおとこ) もも @momorita1467

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