第5話 開眼!ハジメ鑑定団

 ハジメが胸を掴んだことで、朱羅はTシャツの裾を結んだ。程よく割れた腹筋とくびれがはっきりと姿を現している。

 さらに胸の形が強調される形となったが、ハジメは、それでは音が鳴り辛いのではないかと朱羅に抗議をした。別にスケベ心で言ったわけではない。胸の可動域が狭くなると、それだけ音を出すためのエネルギーが生まれないのではということを主張した。

 それに対して朱羅はハジメのスマホを奪い、パルクールの動画をハジメの眼前に突きつけた。

「水着でも音が鳴るなら、これくらい変わらねぇだろ」

 とハジメの訴えを却下した。

 不満げに見つめるハジメに同情する余地は無かった。まだ後ろから掴まれた時の感触が、胸や腕周りに残っている。

 朱羅が倒れるのを助けた結果であることは、十分に理解していた。胸を掴んだのは偶然のことだと分かっている。

 それでも、ハジメにそんな気持ちが1つでもないと言い切れるかというと、まだそこまで信頼することは出来なかった。

 まだ出会って1時間も経っていない。それにこの部屋は滅多に人が通らない場所だ。もし先程のように背中から掴まれては、さすがに男子の力には勝てないかもしれない。

 むきだしの腕を擦る。ハジメの腕と比べると、何とも頼りない。

 スマホをハジメに放り投げ、朱羅はドアへと歩き、少しだけ開けた。

「熱くなってきたから、少し開けるぞ。あんまりデカい声出すなよ」

 それは表向きの理由だが、内心では万が一の安全の為だった。

 ハジメは特に疑うことも無く「確かにちょっと熱いっすね。熱気が籠ってるし、良いと思います」とネクタイを緩めてワイシャツの襟を仰いでいる。


 ハジメはもう片方の手で、パルクールの動画をチェックしていた。

 その動きを頭の中の朱羅の動きと重ねてみる。だが、朱羅が劣っている部分は無いように思えた。

 イメージ通りの動きをしてくれているはずなのに音が出ないのは、まだハジメ達が気付いていない秘密があるような気がした。

 ハジメなりに二人の違いを整理してみた。

 お互いに身体能力に差は無い。むしろ朱羅の方がジャンプの高さや助走の速さは勝っているように感じた。回転の仕方に関しては完全に一致している訳ではないが、特に直すべき点は無いように思える。着地も完璧だ。

 違う所と言えば、部屋の中と、外。

 床と、土の地面。

 Tシャツと水着。

 そしてもう1つ……。

 もしかしたら、とハジメは動画をもう一度再生した。何度も見たシーンが映し出される。斜めに走る女性がジャンプをすると、ハジメは目を凝らした。

 注目したのは水着に収まっている胸の動き。軸のブレない回転と共に、胸が一緒になって回っている。着地したと同時に左右の胸が再会し、高らかな音を生み出していた。


 ハジメは朱羅を見た。朱羅は背中を向け、以前蹴り飛ばしていた白いタオルで汗を拭っている。Tシャツの中が蒸れているのか、襟の所からタオルを突っ込んでいる。

この部屋で始めた朱羅の踊る姿。その姿が、頭の中に蘇る。

「先輩、ちょっといいですか?」

 声を掛けると、朱羅はタオルをTシャツから引き抜き、こちらに歩いてきた。頬が上気して、汗を吸ったTシャツが胸に張り付いている。

「何か分かったのか?」

 期待と不信感が入り混じった声が届く。ギロリと向けられた眼差しに臆することなく、ハジメは答えた。

「もしかしたら、という程度ですが。もう一度先輩の動きを見ていいですか?」

 その言葉に含まれた思いを、朱羅は感じ取っていた。ハジメの目に真剣さが増す。

 ふん、と鼻を鳴らして、朱羅は微笑んだ。

「しょうがねぇなぁ。後でちゃんと教えろよ?」

 持っていたタオルを壁に向かって投げると、足取り軽く歩いて行く。

 ハジメはスマホのカメラを起動し、動画を取る準備をした。朱羅の通るコースに合わせて立ち位置を変える。着地していた近くの壁際に立つと、スマホを横に向けて右隅に朱羅が来るように角度を合わせた。

 赤いボタンを押すと、ピッと音が鳴って録画が始まる。すると、スマホの中の朱羅が腰に手を当ててこちらを向いた。

「おーい。あたしはどうしたらいいんだー?」

 その呼びかけに、ハジメは手でメガホンを作って答える。

「一番最初にやった時と同じでお願いしまーす!出来れば、パルクールのお姉さんと同じ様な動きが撮りたいでーす!」

 大きな声を出したから、喉がヒリヒリとする。

 朱羅は『同じような動き』という所で一瞬ムッとしたが、やがて真剣な顔に戻って親指を上げると、ハジメも片手を上げて応えた。

 朱羅が走り出す。疲れを感じさせないスピードで、予定通りのコースを駆け抜ける。スマホを通して見ても、その迫力に圧倒される。

 左足で踏み切り、体に素早い横回転が加わる。回転にもブレが無く、速度を落とさず回りきる。地面の着地に遅れることコンマ数秒で、大きな胸がやってくる。


 一連の流れを見届けると、その場に沈黙が訪れた。ハジメはスマホの録画終了ボタンを押すと呼吸を忘れていたことに気付き、慌てて息を繰り返す。

 朱羅が立ち上がり、こちらに駆け寄ってくる。

「どうだ、何か分かったんだろ?どうだった?どっちが上手かった?やっぱりあたしだろ?」

 矢継ぎ早に聞かれて戸惑ったハジメは、とりあえず朱羅を落ち着かせた。動画の保存ファイルを開くと今日の日付の所にこの部屋のサムネイルが映る。タップすると、画面いっぱいに広がった部屋が映し出された。

 前から覗き込む朱羅だったが、見え辛かったのかハジメの横に移動する。

 スマホから朱羅の声が聞こえると、隣に立つ本人が恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。

 遅れてハジメの声も聞こえ、いよいよ朱羅のパフォーマンスが始まる。

 画面の奥からこちらに向かって走る姿は、パルクールの動画と酷似している。背景や服装を合わせれば、ほとんど違いは無い。

 走り、跳躍、回転、着地まで30秒も無い動画だった。

 満足な笑みを浮かべる朱羅だったが、ハジメは真面目な顔で再生バーを少し戻した。跳躍をした所で止め、スロー再生に設定する。動き出した朱羅はゆっくりと回転していく。

 やがて着地に近づいた時、ハジメは画面内の朱羅を拡大した。正面を向く体に反して両胸はまだ動いており、少し間を置くと、その勢いのまま縦横無尽に暴れ始めた。


 もう一度見ようと再生バーに指を合わせた時、額にカーンという音と衝撃が来た。次第に焼けるような痛みがやって来る。しゃがみ込んで悶えると、朱羅も目線を合わせて言った。

「お前まさか、ただ撮影したかっただけじゃないだろうな……?」

 指をデコピンの形に変えていく。それを見てハジメは慌てて額を隠した。

「ち、違いますよ!どうして先輩だけ音が出ないのか、見比べようとしたんですよ!」

 その言葉を聞いて、朱羅の手が引っ込んでいく。それに安堵したハジメは朱羅の胸を指さした。


「先輩が音を出せない理由。それは『胸が大きすぎる』ということだと思います」

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