第4話 竜巻先パイ脚

「今更だけど、揺らすだけで音が出るのか?一体どうやって音楽にするっていうんだよ」

 準備運動を終えた朱羅が靴を履きながら尋ねる。

 胸を使って音を出すとまでしか話していないことに気付いたハジメはポケットからスマホを取り出す。昨日見たパルクールの動画を開こうと指を動かしていると、その隣に朱羅が近寄って来る。歩く度に胸が揺れたが、ハジメは気にする素振りも無く目当ての動画に行きついた。

 

 再生すると、それを朱羅に手渡す。画面ではロックなBGMと共に水着姿の女性が現れた。水色のビキニを着て、柔らかく微笑んでいる。

 カメラは横からの画角で固定されたまま、女性の走りに付いていく。

 アスファルトの地面には様々な障害物が設置されており、それを華麗な動きで乗り越えていく。

 その度に胸が揺れるのが目につき、やがてアップにされた胸がスローで流れ始めた所で、朱羅は動画を止めた。

「こいつは何で、水着でパルクールをやっているんだ?」

 そう言われても、それはハジメの知るところでは無かった。首をひねる朱羅に「まぁ、まずは見て下さい」と説得して、スマホをタップする。

 今度は正面からの映像に切り替わる。地面が遠くなり、建物の2階の屋上から撮られていた。カメラのある手前の建物と女性がいる奥の建物との間には1mほどの距離が離れている。女性が手前に向かって走ってくる。勢いを付け、足場ギリギリの所で踏切り、幅跳びのような格好で宙を飛んだ。

 見事に着地をすると、朱羅の口から「おぉー」と感嘆の声が漏れていた。


 その次が問題の場面であった。地上に戻って、今度は斜めからのアングルに切り変わる。

 土の地面に変わっており、右斜め前方からこちらに向かって女性が走って来る。胸はもちろん、走りの勢いで土が後方に勢いよく跳ねている。

 画面の中央を少し超えた時、左足で大きく跳躍した。そのまま左周りに1回転し、画面の端にギリギリ納まる位置で着地した。

 その時、胸が大きく左右に揺れ、パンっと弾けるような音が聞こえた。

「ここです。ここ。聞こえました?」

 スマホを指さし朱羅に確認するが、こちらを見て「え?何が?」と答えた。

「何がって、胸から音が鳴ってるじゃないですか」

「あ、すまん。動きが気になって、聞いてなかった」

 どうやら競技に夢中だったらしい。仕方のない先輩だと心の中で溜息を突きつつ、少し前の時間まで戻していく。念のため音量を大きくしてから、再生ボタンを押した。

 再び女性が斜めに走ってくる。寸分違わぬ動きを見せ、見事な着地を決める。

 肝心の音に気が付き、朱羅も「あ」と声に出していた。

 そこで一時停止をして、画面の胸の上に指を乗せる。

「ほら、聞こえたでしょう?こんな風に音を出して欲しいんですよ」

 朱羅はハジメの声に答えるでもなく、静止したままの画面に集中している。やがてハジメから離れると、腕や足を大きなスライドで動かし始めた。おそらくイメージトレーニングをしているのだろうと、ハジメはこれ以上口を出さなかった。


 やがて、よしという掛け声と共に朱羅は大きく手を叩いた。

 そのまま奥まで歩いて行き、角の所でこちらに振り向く。その位置が先程の動画の女性の位置と被る。ハジメは自分がカメラになった様な気持ちだった。

 朱羅は手を前方に差し出し、走るルートを細かく調整している。

 そこでハジメはハッとした。

「あ!先輩!危ないからマット敷いといた方が良いんじゃないですか?」

 動画では固い地面だったが、あれはおそらくパルクール経験者だ。もしかしたらプロと呼ばれる人かもしれない。

 いきなりあのような技を素人がやるのは、今更ながら危険だと感じた。

 大体、朱羅が動けると言っても、日本舞踊の様なゆったりとした動きしか見ていない。こちらから依頼した手前何を言っているのかと思うが、とんでもないことをお願いしているのではないかと不安になり、背中に冷や汗が伝った。

 

 だがそんな心配をよそに、朱羅は手を大きく横に振った。

「あー、いらんいらん。それ位、何てことないからよ」

 首を左右に動かし、大きく伸びをすると、合図も無く走り出してきた。朱羅のスピードがグンと上がり、あっという間に部屋の真ん中を超えた。左足で踏み切る。腕は邪魔にならない様に内側へ折り込み、右足が鋭い回し蹴りの様に弧を描き、遅れて胸がやって来る。そのまましゃがみ込む態勢になり、ハジメの2mほど前で着地した。暴れる様に胸が揺れ動いている。

 その間ハジメは耳を澄ませていたが、着地した時の音が聞こえるだけで、目当ての音は聞こえていなかった。


「どうだ!完璧だろ!」

 立ち上がり、満面の笑みで胸を張る。そうして自慢げにハジメを見るが、ハジメは渋い顔をした。

「いや、ダメですね。全然です」

 首を横に振るハジメに朱羅は猛然と詰め寄った。

「何でだよ!メチャクチャ上手くいっただろ!音してたじゃん!」

「え?全然聞こえませんでしたよ。本当に鳴ったんですか?」

 それを聞いて、朱羅が頭を掻いた。

「ほんのちょっと、当たったくらいの音だけどな」

 ハハハとごまかすような笑いを見せた後、朱羅は抱きかかえる様にお腹の前で腕を組んだ。胸の主張が激しくなる。

「何が悪かったんだろうな。スピード?高さ?お前はどう思う?」

「ええと……何でしょうかね」

 朱羅の手が下ろされると、挟んでいた胸が弾む。

「お前、あれだけ文句を言っといて、アドバイスも無いのかよ」

 呆れた様な溜息を吐かれ、ハジメは何とかしなければと先程の動きを思い出す。しかし朱羅の動きに文句を付けられるだけの知識は、ハジメには持ち合わせていなかった。

「ま、考えても仕方ねぇ。とりあえずもう一回やるから、ちゃんと見とけよ」

 ビシッと指を差され、思わず背筋を伸ばして「はい!」と答える。

 そこでハジメは困ってしまった。きちんと見ておかなければと思うが、一体どこを見れば良いのかまるで分らなかった。胸?腕?足?

 

 考えがまとまらない内に朱羅がスタート地点に立ち、今度は軽く手を上げて合図を出した。慌ててそれに頷くと、朱羅は深呼吸し、低くジャンプをした。足が付くと同時に前へ踏み出すと、スピードが一気に加速した。明らかに勢いが増している。踏み込む足にも力が宿る。

 床を蹴り上げ、一気に回転を掛ける。

先程とは段違いの跳躍の高さに、ハジメの手にも力が入る。

一つ一つの動きに無駄が無く、最短距離で回転している。

 しかし1回転した後もそのまま足が付くことは無く、2週目に入り始めた。

朱羅から「わっ」という声が聞こえた。予想外なことが起こり、手がばらけていくと回転も落ち始めた。

 危ない。そう思い、ハジメは駆け寄った。

カカトから着地した朱羅は引っ張られる様に背中から倒れ込む。その背中を支えるようにハジメが体を差し出すが、その勢いを支えることが出来ず、そのまま二人で倒れ込んでしまった。

 

 朱羅と床の間に挟まれたハジメは腹部が圧迫されて息が詰まり、思わず手に力が入った。

「あ、てめぇ!離せコラァ!」

 ハジメの上で、朱羅が振り解く様に身をよじる。

 その時、自分が朱羅を抱きかかえる形になっており、右手が朱羅の胸を掴んでいることに気が付いた。ハジメはすぐに手を離し、無抵抗を示す為に両手を上げた。

 朱羅はハジメから降り、Tシャツを直しながら睨みつけるような眼でハジメを見下ろしている。

 ハジメは、やべぇ、殺されるわと観念し、目を閉じた。

 暗闇の中で覚悟を決めると、「やっぱりお前はドスケベ野郎だーー」という声が耳に届き、ハジメの腹に衝撃が走った。

 

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