第10話 魔音の砲手

 着替えが終わると、早速朱羅の練習が始まった。Tシャツとジャージ姿は昨日と同じで、準備体操が終わると軽く打ち合わせをした。

 朱羅に渡したスマホの画面を由香と一緒になって覗き込み、昨日撮った動画を見返す。画面では奥から走ってくる朱羅が鮮やかな回転を決めていて、それを見た由佳がわぁっと歓声を上げた。

 ハジメでさえ未だに声を上げそうになるほどの技だが、技の美しさや派手さよりも肝心な音が聞こえてこない。

 朱羅の演技を褒め称える由佳を尻目に、ハジメは考える。朱羅も由佳の言葉を聞くのもほどほどに、どう改善したらいいものかと思案していた。

「両手で胸を抑えるのはどうですか?」

 思いついたまま出した言葉だったが、朱羅はハジメの方を少し見て、次に胸を両手で挟んだ。

 形のいい胸が縦に伸びる。親指と小指でなんとか抑え込むと、動く心配がないか体を横に揺すってみた。しかし胸は両手から飛び出すことは無く、一定の形のままで保たれていた。

 その様子を見ていた朱羅がぱっと顔上げる。その顔には驚きと怪しい笑みが浮かんでいた。

「おい、これイケるかもしれねぇぞ」

 嬉しそうに言うと、その状態のままで部屋の隅へ駆けていく。昨日決めた場所と同じスタートラインに向かい、あっという間にスタートの準備が整う。

 朱羅の視線に追いやられるように部屋の端に向かう。そこで動画撮影の準備をすると、由佳もその隣にやってくる。

 録画を再生すると、手を上げて合図をした。カメラ越しに見る朱羅の顔はしっかりとその進路を見つめている。上半身を後ろに逸らし、その反動を利用して部屋を斜めに走り抜ける。由佳が息を飲む音が聞こえた。

 胸はしっかりとホールドされて動かない。走る勢いそのままに大きくジャンプをする。

 ジャンプに回転が加わる。しかし肝心の回転がどこか覚束ない。軸がいつもよりブレている。大きな音を立てて着地したが、胸が鳴る音は聞こえなかった。

 ハジメが録画を止める。ピッと停止音が鳴ると、これまでの記録がスマホのフォルダに保存された。

 朱羅は両手を膝に着き、大きく溜息を吐いている。手を離したことで今まで抑えられていた胸がその姿を主張した。

 息を整えると、ハジメの元にやって来る。ハジメは先程撮った動画を再生すると、それを朱羅に見せた。

 動画を見終えた朱羅にハジメは尋ねた。

「回転し辛そうでしたね」

「腕が不自由な分、空中でふらついちまった。それに胸をぶつけるタイミングも確認しなきゃいけねぇな」

「そうですね。回転しながら腕を動かすことの両立が必要ですから、何度か練習してみましょう」

 それから何度か挑戦してみるも、一向に音は鳴らなかった。動画を見返しながら善後策を考えていたが、結局両手で抑えた胸をぶつけ合うタイミングを計れなかったのである。

 7本目の動画を見終えると、朱羅は万策尽きたとばかりに大の字になって倒れ込んだ。

「だぁーー!もう分かんねー!」

 部屋の隅々まで、口から放り出された言葉が響く。

 ハジメもどうしていいか分からず天を見上げた。

 沈黙が続くかと思われたが、壁際に立っていた由佳が大きく拍手をした。それはまぎれもなく朱羅への賛辞の拍手だった。

 首だけを向けた朱羅の目には不機嫌さがあった。上手く出来なかった悔しさがあった。その気持ちを由佳も感じ取ったのだろう、拍手は次第に勢いを弱めたが、その手は由佳自身のお腹へと移っていた。なんとか音を出そうと必死に、リズミカルに叩いていく。

 最初何が起こったのか不思議に見ていたが、ハジメはもしかしたら自分の真似をしているのかと疑い、どうやらそのつもりのようだと分かった。由佳と目が合うとニコリとほほ笑んでいた。

 突然の由佳の行動に朱羅は顔を上げて可笑しそうに笑っていた。朱羅の笑顔に、ハジメは安心していた。もし二人きりのこの状況でハジメがお腹を叩いていたら、ふざけているのかと折檻を受けていたに違いなかった。

 由佳の腹太鼓が十分に場を和ませてくれたが、由佳の演奏はまだ続いていた。腹から上に昇って胸を叩き始めた。朱羅には及ばないが充分魅力的な曲線が柔らかく弾んでいるのを、二人とも唖然と見つめていた。

 しかしポンポンとした音しかならず、胸から肩、腕と移っていき、出る音もだんだん音楽とはかけ離れていくように感じた。

 それでも手を動かすのを止めない由佳の手はスカートから覗く太ももを目指す。さらにお尻の方へと回り、その辺りを手当たり次第に叩いていく。


 するとスカート越しに叩かれたお尻から、鋭い音が鳴り響いた。それは両手を打ち鳴らしたときの音と遜色なく、むしろ両手で打つモノがある分大きな音を出していた。

 ハジメも朱羅も、そして由佳もその音に驚いていた。3人は顔を見合わせて驚いた顔を向け合っていた。

 もう一度、今度は確かめるようにお尻を叩く。遠慮がちな音が鳴るが、乾いた音は小気味よかった。次第に楽しむように何度もたたく。

 それを見てハジメは自分が腹太鼓を見つけたときのことを思い出していた。思いがけない所から音が鳴り、その楽しさに魅了されていった。今度はどんな音が出るのかと楽しみになった。

 ハジメが近づいていく。由佳はお尻から手を離すと、照れたように笑った。

「三谷先輩!今の音メチャクチャ良かったですよ」

 その言葉に、由佳は顔を赤くした。

「そ、そうかな……?変じゃなかった?」

「そりゃぁ変だけど、いきなりケツドラム始めたらインパクトは十分だよな」

 倒れたままからかう朱羅にむくれた顔をすると、由佳はハジメに向き直った。

「今の変じゃないよね?カッコいいよね?」

 変ではないことをことさら強調する由佳の迫力にハジメはたじたじとなった。

 ハジメ自身別に変なことは無いと思った。自分は腹を叩いて鳴らすし、朱羅は回転しながら胸を打ち鳴らし、由佳は自分のお尻を打ち鳴らす。三者三様のやり方なれど、体を使った音楽であることに変わりはない。


 由佳の質問に首を縦に動かすと、安堵した由佳は叩いたお尻を軽く擦った。

 それを見た朱羅は「どうした?」と聞くと、由佳の口から心配そうな声が漏れた。

「少し、お尻痛いかも。しーちゃん、赤くなってないか見てくれる?」

 そう言うと、朱羅に背を向けた。

「ん?あぁちょっと待ってろ」

 立ち上がり、由佳の元に歩いて行く。見えやすいように少し屈んだところで、朱羅はハジメと目が合った。

「……」

「……」

 無言のまま、ハジメはゆっくりと背を向けた。朱羅の目が全てを物語っていた。

「あー、少し赤くなってんな」

「本当?」

「でもそこまで酷くないから、ワセリンでも塗っときゃ治るだろ」

 そんなやり取りを背中で聞きながら、先程の由佳の演奏を思い出していた。思い出すと、自分ももっと出来るようになりたい。朱羅がさっき言ったようにインパクトのある演奏をしてみたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。


 制服に手を掛け、上から順に脱ぎ始める。朱羅が何か言っていたが気にしなかった。

 脱いだ服を放り投げる。垂れた腹が現れ、持ったり掴んだり引っ張ったりするが、アイディアが思い浮かばない。試しに自分のお尻を叩いてみる。でっぷりとしたお尻に手が上手く当たらず、ぶよぶよとした感覚があるだけでまともな音が出なかった。

 やはりお腹を叩くしかないかと思った時、急に肩を掴まれた。振り向くと、朱羅が立っていた。ハジメの腹を見ている。

 何だろうと不思議に思っていると、今度はしゃがんで腹の周りをくまなく調べていた。するとその態勢のままハジメの顔を見上げた。

「あれだけ腹を叩いて、お前は痛くなったり赤くなったりしないのか?」

 心配というよりも、ただ単純に疑問に思っているようだった。今まで痛くなったり赤くなったりすることは無かった。ハジメは自分のお腹を擦るが、やはり普段と変わらなかった。

「いえ、特にありませんけど……?」

 そう答えると、朱羅は立ち上がって後ろにいた由佳に耳打ちをした。耳を近づけた由佳が相槌を打つと、驚いたように口を開けた。視線を宙に泳がせたと思ったら、次第にハジメの体に向けられる。

 やがて話を終えた二人がハジメの元に歩み寄ってくる。朱羅の顔には不敵な笑みが張り付いている。

 嫌な予感がした。朱羅が自分の体を使って何か企んでいると確信した。


「おい、ちょっとケツ貸せ」

「え?」

 咄嗟にお尻を抑える。隣に立つ由佳は申し訳なさそうにしていて、ハジメの顔を見れない様子だった。

「このままじゃパイセンのケツ、もたねぇからな。代わりにお前のケツを叩かせてもらうことにした。いいな」

「良くないですよ!何で僕なんですか⁉先輩のお尻でいいじゃないですか!」

「あたしはあたしのやることがあるだろ」

「僕にだって腹太鼓をやるという使命があります」

 ポンっと腹を叩く。

 しかしそんなことは意にも介さず話が続く。

「だからインパクトが足りないって言ったろ。いいか?自分の腹を叩きながら、パイセンにケツを叩かれる。そんな音楽見たことねぇだろ?つまりだな……」

 言葉にタメを作って、わざとらしく盛大に残りの言葉を告げた。

「お前は奏者であり、楽器なんだよ!」

 人差し指をビシィと突きつけられる。それが催眠のように、ハジメの頭が支配されていく感覚になる。

 自分には腹太鼓しかないと思っていた。それがお尻でさえ楽器になるというなら、それも悪くないかもしれない。自分で叩くには不十分だったが、由佳が叩いてくれるなら出来そうな気がしてきた。

 ハジメの心は決まった。自然と握り拳が作られる。

「分かりました。僕のお尻が、三谷先輩のドラムになりましょう」

 その言葉に、朱羅はニヤリとして笑った。由佳は、まさか承諾するとは思わなった様子で、ハジメと朱羅を何度を見比べた。

「ほ、本当にいいの?」

 由佳の上ずった声にハジメは首を縦に振った。

「良いんです。体を使った音楽をやりたいという僕の気持ちは本当ですから。これで音楽が広がっていくなら、僕のお尻を使って下さい」

 お尻を一度叩く。だらしない音が聞こえた。これを由佳が立派な楽器にしてくれるなら本望だった。

 由佳からの返事は無かった。由佳が他人のお尻を叩くことに抵抗があっても仕方がなかった。


 ハジメの意志は固まっていた。叩かれる準備の為、腰のベルトに手を掛ける。それを見た朱羅から頭を叩かれる。

「ベルトは外さんでいい」

「でも、直の方が」

「物分かり良すぎだろ。誰もお前のケツなんて見たくねぇよ」

「ひどい!」

 ハジメの抗議も空しく、強制的に中腰にさせられる。由佳の手に合わせて、お尻の高さを調整する。

「ほら、パイセン。思いっきり頼むぜ」

 由佳に場所を譲るが、由佳は中々動こうとしなかった。

「でも、わたしのお尻も痛かったから、一唐君も痛いんじゃないかな……」

 心配そうに呟くと、利き手であろう右手を左手が優しく包み込んだ。

 ハジメの体を気に掛けてくれる由佳の姿に、ハジメは心の中に温かいものが流れてくるのを感じた。

 だから今までで一番、はっきりと伝えた。

「大丈夫です。来てください。これでも体は丈夫な方なんです!」

 お尻をしっかりと持ち上げ、ことさらにアピールをする。

「ほら、こう言ってるし」

 朱羅の言葉に、他人事だなぁとハジメは心の中で文句を言ったが、今のハジメに二言は無かった。すでに由佳を受け入れる覚悟は出来ている。

 二人の決意に押され、由佳も決断したようだった。

「分かった。じゃあ、行くね?」

「はい!」

 叩きやすい位置に由佳が移動する。お尻の前に右手を出す。

「もう少し上げれる?」

「はい」

 膝を伸ばし切るまでお尻を上げる。

「もう少し」

「はい……」

 体がふらつきながらも踵を浮かして、つま先立ちになる。

「そのまま動かないで」

「は、い……」

 かなり辛い体制に、足がプルプルし始める。それを見かねて、朱羅がハジメの肩を抑えに回ってくる。

「全くだらしねぇなぁ。ほら、頑張れ」

「うす」

 頭の上に巨大な存在を感じたが、もちろん顔を上げることなど出来なかった。

 支えられて少し楽になる。後は由佳を待つだけだった。

「よし。じゃあパイセン、後はよろ…し…」

 朱羅の言葉が途切れる。ハジメは下を見たままだから、何が起きているのか分からない。

 その時、空気が変わった気がした。無音の部屋に大きなエネルギーが渦巻いているような……。

「パイセン?おーい。……え、顔マジじゃん……え?そんな振りかぶる?」

 ただ事ではない雰囲気に、ハジメの心臓が早鐘を打ち始める。

「ちょっと!何が起きてるんですか!?やっぱり辞めます!ほら離して!離してぇぇぇ!」

 ハジメの言葉は、誰の耳にも届かなかった。

 踵を下ろそうとするが、その瞬間にベルトを持ち上げられる。前にも後ろにも引けなくなったハジメの体が、絶望感で固まったとき。

 一瞬、爆発したような音が聞こえ、すぐに雷が落ちたような衝撃がハジメのお尻を貫いた。

「きゃにおん‼」

 自分でも訳の分からない言葉が口から出る。同時に体は前へと押し出され、反射的に反り上がった顔はTシャツ越しの朱羅の胸に突っ込んだ。

「っっっ!おい、こら」

 朱羅はハジメを引っぺがそうとするが、体に手を回されて離れない。

 柔らかな胸に埋もれたまま、灼熱のごとく燃え上がるお尻から逃げるように、ハジメは言葉にならない叫び声を上げ続けた。

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ぼでぃパフォーマーズ 月峰 赤 @tukimine

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