第9話 ここにいる意味

「えーとえーと……」

 音を出せと言われて戸惑いながら、ハジメたちを交互に見やる。手を上げたかと思えば下ろし、閃いたかと思えば、ズルズルと俯いてしまう。

 

 ハジメたちの音楽を見て楽しそうだから仲間に入れて欲しいと言ったのは嘘では無かった。けれど実際にやってみるとなると、何が出来るのか分からなかった。

 ハジメを真似てお腹を叩いてみる。ぺしぺしと衣擦れの音がするだけで、二人の薄いリアクションも相まってすぐに動きが止まってしまう。


 それを見かねて、ハジメがすっくと立ち上がった。二人がハジメを見る。

「では、僕が見本を見せましょう」

「そうだな、やってみろ」

 すぐに賛同が入り、ハジメは制服に手を伸ばす。ブレザー、ワイシャツと脱ぎ、Tシャツに手を掛けた所で由佳が視線を逸らした。

「見ていても大丈夫ですよ」

 Tシャツを脱ぎながらそう声を掛けると、由佳は恐る恐ると言った感じで振り向いた。頬には少し赤みが差していて、えへへと笑っている。

 ベルトに閉められている腹の肉を引っ張り出すと、段になった太鼓が生まれた。

 そうして準備が整うと、合図の間も無く叩き始めた。


 細かく連打する。首を何度も縦に振ってリズムを取ると、次第に足も連動し始めた。腹の真ん中や側面、上下問わず思うがままに叩いていく。

 叩く場所によって音の変化が生まれるのを感じながら、自分の音楽を生み出していく。

 その時、ハジメの意識の外で手拍子が打たれていた。部屋に響く綺麗な破裂音。それが一定のリズムで刻まれると、ハジメの腹太鼓も同調を見せる。

 手拍子に腹を叩くリズムを合わせる。たまに手をだらんとさせ、腹の揺れでそのリズムに合わせることもあった。それだけでもハジメの中で音楽が出来ていた。


 ハジメが動きを止めると、今までに感じたことのない高揚感があった。由佳を見ると、恥ずかしそうに俯いて、先程まで叩いていた手をぎゅっと握りしめていた。

 ハジメは着替えながら、由佳に向けて言った。

「今の手拍子メチャクチャやり易かったですよ」

 その言葉を聞いて由佳はパッと顔を上げた。不安げな表情が少し和らいでいた。


「でもインパクトが足りねぇよな」

 批評家のような朱羅の指摘に、ハジメも由佳もドキリとした。

「手を叩くだけじゃ弱い。見てるやつの度肝を向く位のモンじゃないと」

「そりゃ僕たちの演奏に比べたらですが、これも体を使った演奏ということで……」

 弁解するハジメを見ながら、朱羅は頭の後ろを掻いた。

「お前が腹を叩くのだって、正直ありきたりだぜ。もう少し工夫した方が、面白いんじゃねぇの?」

「え?僕もですか?」

 自分も指摘されたことが、ハジメには解せなかった。

 面白いに越したことは無い。出来るならその方が良いだろうと思った。しかしその反面、演奏が出来るだけで十分楽しいのだからそれで良いという思いもあった。

「なんなら、お前も回転しながら腹を叩いてみるか?コツ、教えるぜ?」

 本気なのかどうかわからない怪しげな笑みを浮かべる朱羅に、ハジメは気後れしながら答えた。

「でも、誰かに見せるという訳じゃ……」

 そう呟くと、朱羅が「はぁ?」と呆れた声を出した。

「ここまでやっておいて、誰にも見せずに終わるなんてありえねぇだろ」

 当然という様に言いのける朱羅の目を、思わず凝視する。

 誰かに見せるということがハジメの頭には無く、朱羅の発言にすぐ反応が出来なかった。朱羅が続けて言う。

「どうせやるなら発表するのが当然だろ?このままじゃ、メンバーが集まりました、それぞれ音を出しました、楽しかったです、終わり。そんなしょうもない終わり方になっちまうだろうが」

 朱羅のその言葉に、ハジメは反論できなかった。

 自分たちが奏でる音楽。それを演奏出来れば十分だと思っていた。けれど朱羅は違っていた。やる以上は誰かに見せる必要があり、自己満足で終わらせてはいけないという。

 満足の行く音を出せればそこで終わりのハジメと、そこからを考えている朱羅。

 二人の目指していた場所に違いがあることに初めて気が付いた。

 そしてもしここで分かれるようなことがあれば、そのまま三人の関係が終わってしまうような気がした。


 それだけは避けたい。目指した音楽に少しずつ近づいているのだ。ここですべて失うことの方がもったいないと思った。

「そうですね。いつか出来るように、頑張りましょう」

 そんなありきたりな返事しか出来なかった。

 朱羅の目がギラリと光る。心の奥を見通そうという意思が感じられ、ハジメは身をすくめた。


 だが追及されることは無く「ま、いいか。そもそも発表以前の問題が山積みだしな」と自分の胸を軽く叩くと、衣服に抑えられている胸が重く震えた。

 すると、今まで発言権が無いという風に縮こまっていた由佳がそれを見て、わぁっと口を開いた。

 それが聞こえたのか、朱羅が由佳を見る。由佳はその視線に気づいて慌てて笑顔を作った。

「ご、ごめんね。わたしも頑張るから……!」

 そう言って素早く両手を叩いて見せると、部屋の中に鋭い音が反響した。 

 先程よりも音が高い。そこでハジメは閃いた。

「音階をつけるのはどうでしょうか」

 その提案にいち早く反応したのは朱羅だった。先程とは違い、感心したように何度も頷いている。

「それが出来るなら面白れぇけど、そんなこと出来んのか?」

「さぁ?」

 感心していた姿はあっという間に消え失せ、思い付きの発言に対して不機嫌な顔で近づく朱羅。その時パァンという音が鳴った。由佳が手のひらを鳴らしていた。その音が警告音であるかのように、朱羅の接近がぴたりと止まった。

 今度は指を伸ばしたり逆に丸めたりして音を鳴らす。試行錯誤しながら手を動かす姿を二人も見守っていた。

 やがて朱羅は口元を緩めると、立ち上がってカバンの中をあさり始めた。

「どうしたんですか?」

「あたしも練習するんだよ。そもそも、今日はその為に来たんだからな」

 キヒヒと楽しそうにほほ笑むと、ハジメを追い払う様な仕草を見せた。その意味を察したハジメはすぐに立ち上がった。

 部屋から出る間、もう一度音が鳴った。後ろで「しーちゃん。今のって、ド?」という声がした。

 ドアを開けて廊下に出るまで、朱羅の唸り声だけが聞こえていた。

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