3-4:報告書
銃声が鳴り響く事はなかった。
数日後、姿をくらませていたプリンツィプは警察に自首し、黒い手について彼が知り得る限りの情報を話した。逮捕前にマスコミへ送った書簡には、自身の動機と大セルビア主義の正当性について記述され、その内容は国外問わず大々的に報じられた。
特筆すべきは、彼が世界大戦という暗澹たる未来について言及したことだ。
その内容は机上の空論と憶測の塊であると書評では揶揄されたが、読む者に幾らかの厭戦的感情を抱かせるに足るものであった。即ち、直視し難い残酷な現実について幾らか肉薄していたということである。
そして、その書簡が発表される直後、彼は獄中にて暗殺される事になる。
黒い手による暗殺であると噂され、それはまた真実でもあったのだが、その実情が明かされる事はない。
何にせよ、彼の死が証言に信憑性を持たせたのは言うまでもない。
死人は時に生者よりも声高に叫ぶ事が可能である。
だが、それでも一人の死では複雑怪奇に入り乱れた欧州情勢をときほぐす事など叶わなかった。
皇太子暗殺という明確な雷管があらずとも、バルカン半島という名の火薬庫が炸裂する事は不可避なのだろう。人類史の初めから様々な民族が住みつき、追い出され、また住みつく。そうした円環の中で溜まった憎しみの汚泥は如何様にも攫い難い。
列強間の対立は少しずつ最大級の植民地を有する英国の方へ傾いていく一方で、オーストリアやプロイセン側の経済は徐々に停滞を見せつつあった。
そして、その余波を最初に喰らったのは東欧の小国群である。
経済格差はやがて民族間への対立を煽り立てる。貧困と飢えは人々から判断力を奪い、他責思考へと陥れる。知識人がそれを理屈立て、それを潜在的同調者へと広める。
タチが悪いのは、そこに各国の思惑が重なり合った事にある。
国際法が定められる以前の外交戦、諜報戦は何処までも恥知らずだ。世界大戦を経験していない世界に、東欧の利権を見逃す事など出来はしなかった。
そして、1920年。事は起こった。
ヴォイヴォディナの独立自治を巡り、セルビアとオーストリアの戦争が勃発した。
三国協商との関係悪化による石油資源の高騰がその間接的な要因であった。オーストリアは自身が干上がる前に、文明の血液を欲したのである。
後は史実と通り。
なし崩し的に欧州各国が参戦し、世界初の世界大戦の幕開けである。
後世における変化といえば、ベオグラードのプリンツィプの銅像が無いことぐらいだろうか。
この報告書から得られるものがあるとすれば、それは一つだけであろう。
『良かれと思って何かをしでかし、何も得られず、更に大きな悪を為す』
教訓というよりは唯の事実確認かもしれないが、我々は大なり小なりそういう生物だ。
翡翠色の女武器商人 〜愛と鉄、平和と血〜【短編集】 タイガー・ナッツ・ケーキ @tigernutscake
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