第49話 残酷な選択

 吹き荒れる風が呪符を奪い、地を叩く音が僕たちの周りを走り回るように響く。

 幻影ではない事に気づくのと同時に、渾沌へと目を向ける。

 奴は成介さんの術で拘束されたままだ。

 風に巻かれた呪符が空へと舞い上がり、紋様と共に呪符が揺らぐ。

 渾沌は、空を仰ぎながら高らかに笑った。


 何か……別の力が働いている。

 その力が僕たちを威嚇するようにも、敵意を見せている。



「……ようやく本性を現しましたか」

 成介さんは冷静だった。

 麻緋の紋様が不安定に揺らいではいるが、完全に封じられてはいない。

 揺らぎながらも円を広げ、紋様を呪符ごと封じようとする悪神の呪力を抑えている。

 それでも紋様の力が及ばない周囲の木々は、バキバキと大きな音を立てて倒れていった。

 悪神とはいうが、これは神獣だ。

 周りを走り回るような音も、風が刃のように鋭く吹き付けるのも、神獣が暴れ回っているからだ。


 成介さんは、この地を巡るように薙ぎ倒していく木々を振り向き、それを追うように手を滑らせる。

 その手が一周すると、ボンッと弾けるように朱色の炎があがり、辺りを染めた。


 ……走り回るような音が……止んだ。


「……佐伯さん」

 渾沌は顔を伏せたが、口元の笑みは消えてはいない。

 神獣相手に僕たちが、回避出来ないと踏んでいるようだ。

「貴方がこの力を抑えようとすればする程、貴方が失ったものをご自身の手で失う事になりますよ」

 僕は、奴の言葉に眉を顰める。

 失ったものを……自身の手で失う……? どういう意味だ……?

「それと……藤堂さん……貴方も同様に」


 近くで人が動いた気配を感じる。

 スッと僕を擦り抜け、紋様の中心へと向かって行く。

「え……」

 ……悠緋。

 気を失っているままだと思っていただけに、起き上がるとは思ってもいなかった。

 だけど……妙だ。

 あんな状態で直ぐに起き上がれるはずがない。

 そもそも、悠緋の心理状態からしても、紋様の中へと向かう事は考えられない。

 麻緋の呪力に干渉すると言っていたくらいなのだから、自ら紋様の中に進むなんて……。

 そう考えている間にも、悠緋の歩が進んで行く。

「悠緋!」

 僕は、悠緋を掴もうと手を伸ばす。

 悠緋の手を掴む直前で、バチッと手が弾かれた。

「チッ……!」

 なんだ……? まるで電流が走ったようだ。悠緋から発せられる呪力が、悠緋自身を囲う結界になっているのか、誰一人として近づけさせない強い呪力だ。

 呪力を制御出来ない悠緋の本能がそうさせているのか、だが……。

 僕は直ぐ様、悠緋を追うが、交差する風が邪魔をする。

 それは、麻緋にも成介さんにも及んでいた。

 渾沌を拘束しようとも、手出しが出来ないこの状況……。

 神獣だけの問題ではなさそうだ。


 九重を前に悠緋は足を止め、目線を合わせるように屈んだ。

 悠緋の手が九重に触れる。

 そして、九重に向かって投げ掛ける声に、僕は……僕たちは息を飲んだ。


「わたしを……帰して。お兄様の元に……帰して」


 悠緋から発せられたその声は、女性の声だった。


 ……まさか。


「桜……」

 成介さんの口から出た名は、やはり予想通りだった。

 悠緋の体に……桜が乗り移った……。

 これは……巫女であった桜の力が影響しているのか、人身供犠とされた事で神獣の中に留められていた桜の念が現れたというのか……。

「桜……!」

 成介さんの呼び声に、悠緋の目線が成介さんへと向いた。


「お兄様……」

 悠緋……いや、体は悠緋でも、魂は桜だ。その頬に涙が伝う。

「桜……」

 成介さんは、ゆっくりと歩を進め、悠緋との距離を縮めた。

 その様を眺める、渾沌の口元が笑みで溢れる。


 近づく成介さんに悠緋が手を伸ばした瞬間、また神獣の走り回る音が響き、風が吹き荒れた。

 バチッと弾けるような音に空を見上げると、麻緋の紋様が消え、呪符が散った。だが、呪符は僕の手元に戻ってこない。

 天の紋様が消えると、地の紋様も消えてしまった。

 その瞬間に、意識を失ったように悠緋が倒れる。

「悠緋!」

 咄嗟に麻緋が動くが、交差する強風が僕たちの邪魔をして近づく事が出来ない。

 攻撃するというより、今は足止めのようだが、無理に進めばこの足止めが攻撃と変わるだろう。

 クソッ……! 呪符さえあれば……。


 悠緋が地に倒れ込む寸前、下から悠緋が抱き抱えられた。


「……麻緋、感謝しろよ。この状況の中で動けんのは俺だけだ」


 九重が悠緋を抱き抱え、体勢を整えながら起き上がると悠緋を背負った。

 ああ、そうか……。

 麻緋の紋様から解放され、神獣に供犠を行った側の九重は、神獣の圧力から除外されるという事か。


「だが……麻緋……神獣から供犠になった者を取り戻すには、それ相応の、新たな供犠を与えなければならねえ。悠緋か……佐伯 桜か……」

 九重の声が重く沈む。

 そして、続けられた言葉は、成介さんと麻緋に残酷な選択を突きつける。



「救えるのは片方だけだ」

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Dyed : 成橋 阿樹 @aki-ryu

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