第48話 転換の呪力

『渾沌……あの男を目の前にしたら成介は、自分を抑えられない。成介もそれが分かっているから、自分が行くとは言わないんだよ』



「なあ……成介?」


 ……成介さん。


 渾沌を後ろから押すようにこっちへと来る。

 観念するようにも、肩位置まで上げた両手。奴の体の周りには、うっすらとも赤い光が巻き付き、成介さんに動きを制限されたようだ。

 渾沌は随分と大人しく成介さんに従って歩を進めていはいるが、だからといって油断は出来ない。

 そもそも奴は、自ら僕たちに近づいて来ている。

 簡単に捕まる奴じゃないと麻緋も言っていただけに、捕まったようなこの様子も見せ掛けである事は、成介さんも麻緋も分かっている事だろう。

 渾沌の口元には笑みが浮かんでいる。

 やはり……このまま大人しくしているとは思えない。

 嫌な予感が胸騒ぎを大きくする。


 奴が僕たちを待ち望み、迎えているようだ。

 僕たちがその地へと赴く事が、渾沌のいる場所に引き寄せられているように。


 渾沌……そもそもこの男……素性が知れない。

 元よりの名さえ分からず、渾沌は呼び名だ。

 成介さんの妹の桜を供犠として殺した男……こいつは人の命を奪って力を得ている。

 それも一人や二人の命じゃない。


 成介さんと麻緋が、一瞬だけ目を合わせた。

 フードを深く被ったまま俯く渾沌は、口元に笑みを浮かばせ、口を開いた。


「来て頂けるとは思ってもいませんでしたよ……佐伯さん」

「ええ。僕も来るつもりはなかったのですが、気が変わりましたので」

 冷ややかに言い放つ成介さんに、渾沌はまた口元に笑みを見せ、紋様の外円で二人は足を止めた。


 こいつ……成介さんに接触したかったんじゃ……。



 成介さんが現れた事に、悠緋が反応を示す。

「……佐伯って……」

 悠緋の声は震えていた。桜を死なせてしまったのは自分の所為だと、その罪の意識が大きいのだろう。

 真実はまだ明らかではないが、悠緋の所為ではないと僕は思っている。

 だからこそ、僕は言う。

「ああ。佐伯 成介。桜の兄だよ」

「……っ……」

 悠緋にとって何よりも衝撃的な事だっただろう。声を詰まらせ、耐えきれずに気を失ってしまった。

 正直、今はこの方がいいだろう。それが悠緋の思い込みなら尚更だ。

 なにせ、スケープゴート……その罪は転換されたものと思うのが僕たちの真実だ。

 僕は、そっと悠緋を地に寝かせ、成介さんの様子をじっと見守る。


「……渾沌……」

 地に押し付けられるように倒れている九重は、顔をなんとか動かし、渾沌へと目を向ける。

「ああ……やっぱり貴方は弱いですね……塔夜」

「やっぱり……だと……?」

 渾沌の言葉に九重は顔色を失っていく。

「貴方が何を捧げても、私の力の足しにはならない……そう言っているんです」

「渾沌……貴様……俺がどれ程……」

 九重は、ギリッと歯を噛み締める。

 ……裏切り。そう思った事だろう。

 これで麻緋の気持ちが少しは分かればいいが……。


 それよりも……捧げるって……。

 拘束されようとも、怯む素振りなど一つもない。

 堂々と姿を現し、僕たちに近づくのを楽しんでいるように思える。

 最強と言える呪力を持っている成介さんであろうと、麻緋であろうと、恐れてなどいない。

 嫌な予感が大きく膨らむ。


 あの時、麻緋が言った言葉が脳裏をぎった。

『人である事を捨てた奴に、人の感情が分かんのかよ?』


 こいつ……まさか。

 悠緋を守る為に地に広げた呪符が、騒めくように揺れ動く。


「まあ……それでも」

 渾沌は、クスリと笑みを漏らすとゆっくりと顔を上げ、空を仰ぐ。


 ブワッと強い風が、麻緋の紋様を大きく囲むように回った。

 っ……!!

 呪符が風に奪われていく。

 バリバリと木々が薙ぎ倒される大きな音。風に押されながら折れた木が地を削り、麻緋の正邪の紋様を封じ込めるように円が描かれた。

 幻影かとも思ったが、現象が音と合っている事に、これが渾沌の秘められていた力だと知る。

 不安定に揺れ動く麻緋の紋様。風に巻かれた呪符。


は凌げるでしょうか」


 その呪力は何処から得たものなのか、与えられたものなのか。

 人の命さえ自身のものであると、命を奪って力を得る。


 空を仰ぎながら、渾沌は高らかに笑った。

 吹き荒れる風が刃のように、僕の頬を切り付けた。

 更には地を叩くような音が震動を与え、まるで大きな何かが僕たちの周りを走っているようだ。


 他に何かがいる。

 そんな気配がこの地を圧迫しているようだ。

 拘束されていようとも、逃れられる手段があるのか。

 だから……恐怖など抱く事もなく、平然と近づいて来れるんだ。


 渾沌……こいつは自身の力を得る為に、崇める対象に奪ったものを捧げている。

 麻緋が言っていた事は……そういう事か。


『神に守られる相手が本当に守られるべき存在であるのか……その見極めが出来ない神は神じゃない』


 それは、神とはいえ。


 悪神だ。

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