近しさの理由

湾多珠巳

The reason of closeness



「ほらほら、見て見てっ、かわいーっ!」

 嬉しさを顔いっぱいに浮かべて、ミエコが子供みたいにはしゃぎ回る。そんな彼女を取り巻くように、五、六匹の野鳥が上半身にまとわりついていた。肩や頭や、手のひらの上で、止まったり飛び立ったりを繰り返しているさまは、ただ人をからかっているようでもあり、ある種の宗教画のように天からの祝福を与えているようでもある。

 丘の上の公園には、ひんやりした清冽な空気が満ちていた。爽やかさを絵に描いたような、休日の朝だ。こんなところ、普段ならバードウォッチングの趣味人ぐらいしか来ないだろうに、今日はずいぶんにぎわっている。中高年のハイカー以外にも、自分たちのようなカップルと、家族連れと。

 まったくもって、ニュースの力というのは侮れないものだ。

「ほんとに人懐こくなってるねー。前からなんか、距離が近くなってるなあって思ってたけど、日本中でこんなになってるなんて」

 なおも鳥と戯れながら、感慨深そうにミエコが言う。純粋な興味で、私は問いかけた。

「前からって、いつぐらいから?」

「んー、ここ三年ぐらい? 私の実家、ここよりずっと田舎でえ。通学路なんか畑だらけで、通るたんびに雀がさーっと逃げていくっての、毎朝見てたからあ。でもそういえば、ここ最近の鳥は変だって、大学に来るまぎわにじいちゃん達が話してたなあって」

「変っていうのは、逃げなくなったってこと?」

「そう。なんだか警戒心がないって。人を怖がらなくなってるって。ネコとか犬からは逃げてるのにね」

 野鳥たちの不思議な行動変化が一斉に報じられたのは、十日ほど前のことだった。有り体に言えば、それは大型連休を前にしての、レジャー産業への援護射撃的な意味合いが濃厚だった。けれども、投稿動画の分野でその時期にちょっとした波が来ていたのも確かだったのだ。なんでも、飼い鳥でもない野生種の鳥、それも何匹もの群れと、まるで対話するように戯れ合っている映像が、最近大量に投稿されるようになっているというのだ。最初は、鳥の扱いに長けている人々の技の披露のような扱いだったのが、やってみると自分も出来た、という報告が相次いで、またたく間にSNS界隈を席巻する話題となった。

 しかも、信じがたいことにこの傾向は世界各国でも同様に起きているらしい。いわゆる先進諸国を中心に、だいたいどこでも、この五年以内になって急に野鳥たちが人懐こくなった、と。

「なんだか感動するー。やっとトリさんたちと心が通じたなーって」

「それ何の話?」

 含み笑いを浮かべてみせながら、私は彼女に尋ねた。

「えー、言ってなかったっけー? あたし、ずーっとこういうの憧れてたの。あたしが呼んだら小鳥がいっぱい集まってきてえ。んで、一緒になって遊んでくれるっていう、そういうの」

「遊ぶ、ねえ」

 つい懐疑的に返してしまう。鳥たちは確かに、人間たちの体へ無警戒そのものな態度で接してはいるが、実のところ、それはコミュニケートしていると言うより、単に面白い動きをするとまり木を見定め、うまく足場を置こうとしているだけとも見えた。

 が、ミエコの方では自身の解釈に微塵も疑いなど感じていないようだ。

「だいたいさー、人間の方で鳥に悪さなんてしないんだしー。もっと仲良くしてくれてもいいじゃんって、ずーっと思ってたんだよねー」

「人間はずっと鳥を食べてきたんだよ」

 冷静に指摘しても、ミエコは却ってムキになるだけだった。

「そんなの、ずーっと昔のことでしょう? 原始時代とか」

 ミエコの大真面目な返答に、しばし絶句してしまう。彼女の郷里では、昭和の中頃まで鳥は罠で捕まえて、それぞれの台所で捌いて食卓に並べていたはずなのだが――これは彼女に歴史を学ぶ姿勢が足りないと言うより、あまりに時代の価値観が変化してしまったせいだろう。

 今や人間の側で、野鳥を真剣に追いかけ回さなければならない理由など存在しない。そういう風潮が二、三十年も続けば、野鳥たちにとっては相当な世代の間、人間は自分たちを捕食しないという認識が蓄積していく。ここしばらくのこれは、もちろんそういう鳥たちの人間観の変化によるものだろうが――

「きっとさあ、動物にも愛が芽生えてきたんだよ」

「その場合の愛って何?」

「えええ? わかりきったこと訊かないでよ。んーと、ほらあれ、人類愛……は変だから、そう、博愛! 博愛精神!」

「そんなものが動物にあるのかねえ。ましてや、鳥に」

「あるからこういうことが起きてるんじゃない」

 誇らしげに両手を掲げるミエコ。その腕を枝に見立てたかのように、今しも数匹の鳥が頭上から舞い降りてくる。

 数匹のムクドリに混じって、一匹のモズがミエコの肩口に止まる動きを見せた。のみならず、くちばしを柔らかい首筋に突き立てようとする気配まで露わにしている。

 私は努めてさり気なく指を差し出し、モズを牽制した。鳥の視点だと、かなりはっきりした意思表示に見えたはずだ。それは止めておけ、という。我々はお前に害を加えないが、その行動はだけは断固として阻止するぞ、という。

 一介の野鳥がどれだけ私の意図を汲んだのかは分からないが、そのモズは悄然と動きを止め、おとなしくミエコの肩に落ち着いた。私が鳥たちにお手を仕込もうとしているとでも思ったのか、ミエコがこぼれるような笑みで私と鳥を見、五月晴れの空を仰いだ。どうやら、人と鳥との間に生まれた愛の形を見たつもりになって、ひたすらに多幸感を満喫してるらしい。

 愛、か。不思議な概念だ。

 私には――いや、我々には、未だに不可解極まりない行動原理ではあるけれども、ミエコの言葉はおそらく彼女の独特な発想というわけではない。むしろ、この世界の人々の平均的な価値観であり、姿勢なのだろう。

 ここの人々は、鳥たちのこの動きすら、愛という概念で全部納得できる気分でいる。論理的にはともかく、情緒的にはその気配が濃厚だ。

 つまりは、この世界でのこれからの展開も、愛ゆえのもの、と見なすべきだろうか?

「んで、どうするの? 論文になんて書くつもり?」

 ちょっとからかうように、ミエコが私に問いかけた。彼女とは大学の環境生態学の講義で知り合った。私自身のことは、動物行動の研究家ということにしてあって、今日のこれも、野鳥の行動変化のレポートを書くための調査だと説明してある。まあ、嘘は言ってないが。

「聞きたいの?」

「少しはね。うん。人類と鳥たちとの愛の交流とか書いてくれたら、嬉しいんだけど」

「それはいささか学問的じゃないな」

「じゃあどんな言い方だったら学問的なのよ?」

 口をとがらせる彼女に、私はとりあえず、自説の要旨だけ話してみることにする。一応の情報を開示して、どんな反応をするのかも興味があった。

「まず、鳥たちのこの行動は、一時的なものじゃないということ。種としての行動原則そのものが、ここに至って大きく変化しているんだと思う」

「変化ってどんな?」

「その先は可能性の話になるけどね。とにかく、鳥たちは人を忌避すべき対象とは見なくなっている。もちろん仲間と思ってるわけじゃなくて、言ってみれば人の縄張りに恐れなく飛び込むようになった、ということ」

「それって共存してるってことじゃないの?」

「共存だと思うの、ミエコは?」

「えええ? 学問的にはどうか知らないけどさあ、別に共存って言っても……いいんじゃないの?」

「この先も?」

「先って?」

「世界中の鳥が平気で人間のふところに飛び込むようになって、次に起きることは何だと思う? 今のこの動きは、何を目指した行動変化だと考える?」

「ええぇぇぇぇ? …………愛?」

 失笑するしかなかった。何がおかしいのよ、と抗議しつつも、ミエコも笑っている。明るく、無邪気に。

 短いシグナルの音がして、端末に最新のニュースが届けられた。ひと目見た私は、少し迷ってから、それをミエコに見せてやる。

「……え、何、これ?」

「信州の山ん中で起きたことだってさ。現場が見つかっただけで、これが何の事件なのか、まだよくわかってないみたいだけど」

 速報記事には、「鳥葬?」という題字がついていた。ある集落で複数の放置死体が見つかったのだが、発見当時は野鳥が多数群がっていて、さながら遺体を鳥に始末させるという、異国の風習現場のような状況だったという。

 死体の損壊が激しいので、調査には時間がかかる模様、との但し書きで閉じられているその記事を、ミエコは複雑そうな表情で読んでいた。

「どう思う?」

「えええ、こういうのはちょっと」

「愛の交流を期待し続けてたら、最後はこうなるとか思わないの?」

「いや、だからって死体を食べてもらおうとか……って言うか、食べさせてるんでしょ、これ? こういうのは感心しないなー」

 誘導したつもりはなかったけれど、結局ミエコは「鳥葬」という題字から離れて考えることが出来なかったようだ。こちらとしては最初から、フェアに情報を提示したつもりだったのだが。

 これはつまり、さすがに世間のみんながみんなではないにしても、真っ先にこういう判断をしてしまう風潮が、今や主流になりつつあるということか?

 で、あれば。

「あれ、もう帰るの?」

「うん、ちょっと論文の項目が増えたような感触があるんで」

「そっか。じゃあたし、もう少し鳥さんと遊んでるから」

「ああ。ごゆっくり。また大学でね」

 彼女に軽く手を振って、その丘の上の公園を後にしつつ、高い確率で、もうミエコと逢うことはない、と思った。近いうちに、お互い逢うどころじゃなくなるか、さもなければ道理的に不可能になるか、だ。

 鳥類全般と人間との距離が縮まった。とりあえずは、この段階でしばらく安定するものと思っていた。が、これだけ通信速度の上がった文明になると、数世紀かかりそうな変遷も、ほんの数年で経過してしまうものらしい。思えばさっきのあのモズの動き、あれがすでに兆候だったのだろうか? 案外、ニュースに上がってこない小さなトラブルが、ここ数日の間だけで爆増しているのかも知れない。これは急がなければ。

 改めて上司の言葉を思い出す。「惑星生物学的に、きわめて珍しい現象」――なるほど、我々と全く交流のない星にも関わらず、危険と手間を掛けて私のような調査官を現地に紛れ込まれてレポートを送らせる、その意義は確かに大きなもののようだ。

 果たしてこの異変の顛末はどうなるものか。ここの人々には申し訳ないが、学者としての私は、こういう形での種と種のぶつかり合いがどう終わるか、その行方を見届けることに、大きな興奮を禁じえない――とここに告白しておく。


 ああ、もちろんさっきのニュース、あれは鳥葬などではない。




  <了>


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近しさの理由 湾多珠巳 @wonder_tamami

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