長いお別れ 5

「惚れたって、おい、まさか。……このマンションの住人にじゃないだろうな」


 と高川は言った。


 郷田は、


「そのまさかさ」


 と布団にふたたび倒れ込むと、


「だからこうして困ってんでしょうよ」


 と、枕の中でうめき、動かなくなった。






 警備部の警察官ですら、遊びはともかく、結婚を考えるに至った恋愛についてはその相手の素性を上司に必ず報告しなければならない。


 そして、相手本人を含めた三親等までの前科や政治志向そのほか国籍など身辺を調査した上、その結果次第では出世の道を捨てるか、相手の前から去るか、その二者択一に挑むことになる。


 ──いわんや公安部。しかも秘匿レベルの高い別班。さらにそのなかでも必要時は最小限の殺傷行為を許されている、第五部においてをや。である。




 だが、高川は、


「いいんじゃねえの」と、ゲームを続けている。


 その態度が冷淡におもえるようで、郷田は首を回し、その枕を濡らしながら、


「つめたいじゃん。高川ちゃん」


 と、唇をかむ。


 しかし高川は、「あほぬかせ。冷静になれよ」と言う。



「ユーチューバーの粗探しなんてこんな懲罰みたいな仕事が終わりゃあ、このマンションの住人と俺たちは他人に戻る。そのあとで、……まぁ偶然でも装って、また再会したら良いじゃないか。それに……」


 そこに郷田が、


「……さいわい二〇一のご家族は、日本人みたいだし。って、お前は言いたいんだろ」


 と横槍を入れると、高川はうなずいた。


 だが、交際相手の親族関係、その国籍は、機密保全の観点から重要な調査事項である。


 郷田は、枕に深く顔をうずめ、ふたたび、



「それがあああどうもおおおおおお違うみたいなんだよおおおおおーーー‼︎」


 と絶叫した。


 


 





「……?」


 イーディスが、スコーンを焼いているオーブンから顔をあげ、


「なんか聞こえた?」


 と、エリンに声をかけた。それはキャリーバッグをリビングの床に広げて土産や洗濯物を仕分けてしている。彼女は母の目に、


「ん? クリスのこと?」


 と聞いた。


 が、そのクリスこと俺はこの玄関のマットのうえで、彼女ら親子のどちらかが痺れをきらし、玄関の鉄の重たい扉を開けて俺を外に出すまで、まだまだここでねばるつもりでいる。


 名が聞こえたことに俺は、いっそう声量をあげ、出せと鳴く。



 だがイーディスは、「気のせいかしらね」と、ダイニングの椅子に戻り。


「なんか呼ばれたきがしたのよね……」


 と、思い出したように故郷の両親へと、携帯からメールを打ちはじめた。


 壁の時計を見ると、その針は12時半をさしており、すると8時間先を行くロンドンは今ごろ20時。ちょうどいい夜だろうと彼女は、携帯の送信ボタンを押した。




 心の折れかけた俺の視界に、衣類をひとかかえ抱いたエリンがリビングから腰をあげる様子が見え、俺はマットから立ち、大きく伸び、その足もとになすりつき、「頼む、俺をそとに出してくれ」と一心に鳴いたが、彼女は取り合わず、


「……なんでよ。帰ってきたばっかりでしょう。すぐにまたお邪魔したらわるいでしょ」


 と、俺をたしなめ、スリッパの足で俺を優しく、かつ邪険に扱う。


二〇九あっちはね、うちと違って仕事場なのよ。わかってる?」


ニャア知ってる



 エリンは、衣類の入った洗濯槽に柔軟剤と洗剤を、目分量で直接そそぎ、


「……でもまあ。どんな漫画かいてるのか、気になるっちゃあ。気になるわね」


 とキャップをし、悪い笑みをうかべた。



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吾輩は殺し屋だった猫である @AK-74

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