長いお別れ 4

 郷田は俺を胸に抱いたまま超高速で、10度の礼をし、ひらいた口で息を吸いこみ、.50口径くらいの爆音で自己紹介をした。


「ふるさと郷! たんぼの田! 郷田と申しますッ! クリスちゃんの件でご厄介になりますッ‼︎」


 大声に聴覚をやられ、くらくらする意識のなか、俺はエレベーターに向けてもがいた。






 だが、握った左の拳を腰に当て、自衛隊式の不動の姿勢で前を向き、俺を右手で大胸筋に抱いている郷田からは逃げられるわけがなく、エリンは両耳から手を離し、


「いやいや、こちらこそです…… 妹やネコやら…… ここんとこ御迷惑ばかりおかけしちゃって……」


 苦笑いで声をかけるが、


「いえ! とんでもありません!」


 郷田は、前職の総理大臣部隊査察時のように、いちいち声を張る。


「あ、ど、どうか、おらくになさって……」


「はいっ!」


 こんどは左手を背に回し、俺を抱いたまま、両足幅を25センチにひらく。



ニャウ、ニャーーウバカ! 休めじゃねーよ!


 俺がそう言うと、エリンはきっかけを得たように、助かり顔で近寄り、


「もしかしてこの仔、帰りたいってせがみました?」


 と、母親ゆずりの美しい指で俺の鼻先を撫で、郷田を見あげた。


 すると俺の耳もとで心臓が爆発し、俺は、うるせえいちいちトキメいてんじゃねえ!と、鳴こうとしたが、


「ミャウッ」


 郷田は両手で俺を彼女に差し出し、エリンはそれを受けとって、俺はこっちの居心地にほっとした。だが郷田は、


「あのッ、できたら長嶺さんの下のお名前も頂戴したく!」


 と、またエリンと俺の鼓膜を破壊した。


 すくめた首を亀が戻すように苦笑して。


「え、エリンです。 長嶺ながみねエリン」


 彼女は答えた。


「ありがとうございます!」


 ……と、ふたたび高速で10度の礼をし、「失礼します!」と郷田は、右足踵を斜め後方におくり、左つま先と触れた位置でくるりと右回転をし、背中を見せ、両拳を握ったまま降って廊下を進んでコーナーで、90度に角をとり、二〇九号室に向けて進んでいった。





 見送ったエリンは、


「びっくりした…… 小野田少尉のお仲間かしら……」


 とつぶやくと、胸に抱いている俺の目に、


「じゃ、かえろっか」


 と微笑み、俺をつれて家に帰ろうとするが、



「ミャウ。ミ、ミャーウ」待て、出かけてくる。おろしてくれ


 俺はもがきながらエレベーターを見て、そう頼んだが、ネコ語はやはり通じない。






 ──その頃、二〇九号室では。


 よろよろと、弱りきった様子で戻った郷田は、和室のふすまを開け、仮眠用の布団を敷き、メガネをはずし、冷えピタを貼り、そのままうつ伏せに、布団に倒れ込んだ。


「──なんだ!?」


 驚いて高川がふりむいたが郷田は、顔を突っ込んだまま、「天使かよ……」と、枕のなかでつぶやいた。



 高川は、まあほっとこうと、ポーズ画面メニューにした『龍が如く』のプレイを再開したが、


 郷田は枕のなかで、


「きいてよぉ」


 と言う。





 めんどくさい相棒に、高川は、


「──はいはい。どうした筋肉」


 と聞くと、


 郷田は身を起こし、ふとんの上で枕の形を整えて、


「今さ、廊下にね、天使がいてね」


と言いいながら、息を吸い込みおわると。枕を顔に強くおし当てて、


 「れたああああああああーーーー!」と叫んだ。


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