最終話 ペンギンと人は旅立つ
所長は訝しげにアデリアをにらみつけた。
「どうするというのだね?」
「プラントを置いていきます」
「待て、我々の食糧供給はどうなる?」
「あらかじめ作って備蓄します。ひとり当たり40%のカロリーカットになりますが」
「原料は?」
「メタンの氷を。有機物が含まれています」
「自動給餌させても、どれだけ持つんだ?」
「2年か3年」
「たったそれだけか?」
「その間に補給を受けて、私達は天王星へ戻ります。土星軌道まで補給船が来てもらえれば可能です」
「プラントを置くというということは、備蓄食料が無くなれば我々は餓死する。補給船が来る保証はない」
「はい」
「そのために研究者を危険にさらせというのか?」
アデリアが拳を握る。
「はい。これが私の考えた結果です」
私達の身を削って、ペンギン達の延命を図る。
アデリアが私から離れて導き出した答えがこれ……。
もっと何か。何かはないの?
ペンギン達は天王星の環境に順応させてしまった。メタンなしでは生きられないし、船内に5年も渡ってメタンを備蓄させるのはむずかしい。2,3匹なら連れていけるかもしれない。それでも、大多数は置いていくことになる……。
なら、これしか……
所長は無表情に言った。
「許可できない」
「所長。いいですか、これがいちばん合理的で……」
「研究者とペンギンの命を天秤にかければ、子供でもわかる問題だ。何度でも言う。許可できない」
扉のほうから「所長!」と叫ぶ声が聞こえた。何人も研究者たちが、所長室になだれ込んできた。最初に所長へ訴えたのはウィルソン先生だった。
「3日、いや2日ください。特急でプラントを改造します。これは観測班の総意です!」
次々と研究者たちは声を上げた。
「不要な機材も置いていきます! それなら航行速度を早くできる」
「私達はペンギン達を見捨てられません!」
「補給を受けて、戻ってきましょう!」
「お願いです! 所長!」
うなり声を上げて苦悩した所長に、いつもは無表情なエプスタイン先生が微笑んだ。
「私もペンギンは大好きなんです。所長、あなたと同じようにね」
所長が目を閉じた。それからぽつりと言った。
「わかった。認めよう」
わっと歓声が湧いた。
みんな喜んだ。
そして研究者達は、それぞれがやるべきことをすぐに始めた。
🐧🐧🐧
宇宙船のエンジンが始動する。その大きな音が広い氷原に響いていた。
私はしゃがみ込んで、宇宙服越しにスピーカーと身振りでペン太に伝える。別れのことを何度も伝える。
「ごめん、ペン太ごめん……」
ペン太は「むいむい?」と首をかしげているだけだった。
そばにいたアデリアが私の宇宙服を引っ張る。
「時間だ、ナオ。もう行かないと」
「でも……」
「もう時間がない」
アデリアが私の腕を引く。それでも動かない私を無理やり立たせた。
「やだ、アデリア、もう少し……」
「ダメだ。みんな待ってる」
「でも……」
「みんな同じ気持ちなんだよ!」
私をつかんでいるアデリアの手が震えていた。
「お願いだよ、ナオ……」
「ごめん……」
私はうつむいたまま立ち上がった。ペン太は不思議そうに私を見つめていた。
「ごめんね、お母さんはもう行くね……。バイバイ。バイバイだからね……」
ペン太に教えていたように腕を上にあげて手を振った。
それから私はペン太を見ずに船へと歩き出した。何度もごめんと言いながら一歩ずつ氷を踏みしめる。
「ペン太がついて来てる。見ないほうがいい」
アデリアがそう告げた。見てしまったら、私はここに残りたくなる。それはただの自殺だ。わかっている。でも……。苦悩が私を歩かせる。
船は離陸準備をすっかり整えているようだった。エアロックにはウィルソン先生がいて、私に手を差し出してくれた。そのあとに続いてアデリアがエアロックに入ると、すぐに扉が閉まりだした。
扉の隙間から、遠くで私達を見つめているペン太の姿が見えた。
「ペン太……。ペン太っっっぁぁ!!」
泣き崩れてしまった私をアデリアが支えてくれた。
ウィルソン先生が私に肩を貸し、ゆっくりと立たせてくれた。
「行きましょう。所長室でみんな待ってます」
エアロックに酸素が満ちていくのと、宇宙船が発進するエンジンの強い振動が伝わるのは同時だった。
3人で所長室に向かった。中に入ると、壁面モニターに少しずつ遠ざかる氷原の姿が映されていた。それを大勢の研究者たちが見守っていた。すすり泣く声が聞こえる。アデリアが言ったとおりだった。みんなペンギンを愛している。
追いすがるようにペンギン達が走るのが見えた。ああ、一羽が転んだ。すぐ立ち上がって見上げてる。ペンギン達が空へ上がっていく私達を見上げている。
ひとりのペンギンが、羽をばたつかせていたのが見えた。
あれ……あれって……。あれは……。
バイバイ……。
私は叫んだ。
「見て! ペンギンがバイバイって言ってる!」
私が教えたとおりに羽を上げ、ばたばたと振っている。
私達を見上げて、ペンギン達が別れの挨拶をしている。
1羽だけじゃない。
何十羽も、何千羽も……。
そうだ。ペンギン達はわかっていたんだ。もう知性化は成されていて、研究者たちがいなくなることをわかっていた。
それでもペンギン達は……。
研究者達は、モニターを前にみんな涙をこぼしていた。拳を握り締め、うなだれたまま。号泣する者もいた。
「きっと迎えに行く。だから待ってて! 生きて待ってて!」
強くそう願う気持ちを天王星へ置いていき、船は漆黒の宇宙空間へと旅立った。
🐧🐧🐧
ペンギン達と別れて4年の月日が流れていた。アウスタティング号が再び天王星へのアプローチ軌道に入ったと船内放送があった。私とアデリアは暗い気持ちのまま通路を歩いていた。ふいに足を止める。漆黒の宇宙を宇宙船の分厚い窓から見つめた。
地球とのタイムラグがあるなか、必死に政府や組織へ訴え、心情を理解してくれた補給船が単独で土星軌道まで来てくれた。
それでもこれだけの歳月がかかってしまった。ペンギン達は生きてるのかどうかはわからない。
アデリアが私の手をそっと握ってくれた。
「もうすぐだよ」
「うん……」
「きっと生きてる。だって私達の子供だもの」
「そうだね……」
私達は寄り添った。すれ違った感情もわだかまりも消え、いまはふたりとも子供のところへ帰る母親のような気持だった。きっとペンギンの母親もそう思っている。大丈夫。私の子は生きてる。絶対また会えるって……。
窓に何かが光った。
暗い宇宙の中で光が灯る。
あ、また……。
「あれ、なに?」
なんだろう……。流星?
光がぽつりぽつりと増えていく。そして、突然、宇宙がたくさんの光で満ちた。
焦った声をした船内放送が通路に響いた。
「ペンギンがいるぞ!」
窓に光が近づいてきた。暗闇の中に光るそれは、確かにペンギンの形をしていた。一匹の後に光が続く。何羽ものペンギンが宇宙を泳いでいた。
「生きてる……。アデリア、ペンギンが生きてる!」
「体内に蓄積したメタンガスで宇宙空間を飛んでるのか……。天王星を自分たちの力で脱出したんだ。あいつらは見て覚えて、自分で工夫したんだ……」
ペンギンが羽をばたつかせていた。必死に私達へ何かを伝えようとしている。
「おかえりだよ、おかえりって言ってる! あの子はありがとうって言ってる……。みんな……喋ってる……」
「あの子はなんて?」
「お母さん……って」
アデリアはすぐに動いた。
スレートを握り締めて艦橋へ通話すると怒鳴り出す。
「おい、第7エアロックを今すぐ開けろ! はあ? 四の五の言うな! いますぐだ!!」
そこはここから一番近いエアロックだった。私達は何度も床と壁を蹴り、急いでエアロックへ向かう。宇宙服を着込むのももどかしい。ヘルメットの装着と与圧がかかると、緑色の表示がすぐバイザーに灯った。
「行こう!」
アデリアが私の手を引く。エアロックの表示が切り替わる。振動とともに扉が開いていく。
黒い宇宙が見えた。頭の輪が少し欠けてるペンギンがすぐに飛び込んできた。
「ペン太ッ!」
良かった……。生きてた……。
私はペン太をしっかりと抱え、あふれる涙がヘルメットの中に浮かぶのも気にせず、声を上げて泣いていた。
ペン太が私の胸元で喉を震わす。
「お……か、あ……さん。ぼ……く……がんばった……。泣かないで……」
宇宙服越しにペン太の声が伝わった。羽先を精一杯伸ばして、泣いている私を撫でようとする。慰めるようにやさしく触ってくれる。それは「よしよし」だった。
「ありがとう……迎えに来てくれたんだね……」
私はペン太をぎゅっと抱き締める。少し笑顔になると、ペン太はむいむいと嬉しそうに喉を震わせた。
たくさんのペンギン達に囲まれて、ついに押し倒されてしまったアデリアが、笑い声をあげる。
「あはは、良かったな、お前たね。そうだね、私も嬉しいよ……。ペンギンは自分たちが宇宙に行くことがわかっていた。だから気体がないと伝わらない発声より、伝わるボディランゲージや接触振動によるコミュニケーションを優先させたんだと思う。選択的進化とでも言うのかな。この私にもわかんないや……。あはは、やっぱり生き物ってすごいや……」
ペン太が私のヘルメットに頭を付けた。喉を震わせ、私へ必死に気持ちを伝えてくる。
そうだね、
私達もお母さんに会いに行かなきゃね。
待ってるだけじゃダメなんだ。
宇宙の果ての、その先の。それよりも遠くで待ってるお母さんに、私達人類は会いに行く。
この子たちと同じように。
<了>
飛べないペンギン、宇宙を飛ぶ! 冬寂ましろ @toujakumasiro
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