第3話 ペンギンは人に告げる


 アデリアはうつむいたまま私に謝った。


 「ごめん……」

 「私じゃ頼りなかったってこと?」

 「違う……」

 「生物学者なら相手の心理もわかったほうがいいと思う」

 「ごめん……」


 アデリアが私を抱きしめた。泣きながら「情けない私を見せたくなかった。ほかの個体に取られてしまうから……」と生物学者らしい言い訳を耳元で話した。

 もう……。そんなことないのに……。

 私は子供があやすようにぽんぽんと背中を叩いてあげた。

 それからアデリアは、私を置いて行った。弱い自分を許せないと言い残して。


🐧🐧🐧


 私は視点を変えることにした。

 言葉よりコミュニケーションを優先させる。人間とやりとりを続けるうちに言葉を覚えるはずだ。

 赤ん坊が言葉を発する前には、喃語という二語を重ねた言葉を使うことが多い。「ぶーぶー」とか「だあだあ」とか。いまペンギン達が話している「むいむい」というのはそれだろう。次のステップは、それを単語に置き換える。同じ時期には物を指さして人の注意を引いたり、表情を見て行動をする。これらの行動は「共同注意」と呼ばれている。自分より外に関心が起きているのなら、ボディランゲージで単語を教えていくのはかなり有効なはずだった。それができたら、伝えるのがもどかしくなって、意味が分かる言葉を話し出すはず……。


 私は1匹のペンギンを選んだ。産まれてから1年過ぎて、少し幼さが抜けている。それに頭の輪が少し欠けていて、ほかのペンギンと見分けがつきやすかった。その子に〈ペン太〉という安直な名前を付けて、私は積極的に声をかけた。

 まず氷を指差しながら、「氷」とスピーカーごしに私の声を聞かせた。比較要素もいるだろう。自分を指さして「人」、そして地面を指して「氷」と伝えた。

 発音は根気よく続けながら、それに対応する動作を教えていく。ペンギンの体は人間よりも可動するところが少ない。工夫しながら羽を羽ばたかせる回数や角度を言葉といっしょに伝えていく。

 物を示す言葉といっしょに、「おはよう」、「おやすみ」、「バイバイ」といった挨拶も教えた。挨拶には感情が乗りやすい。子供にも覚えやすいものだった。


 1か月が経った。

 ベン太が「むいむい?」と首をかしげる姿に、私は絶望していた。

 うまくいかない。

 氷を指差しても「むいむい」と言うばかりだった。

 これでは意思疎通が出来てるのか疑わしい。


 「むいむいってなに? 教えてよ……」


 もどかしい。

 もどかしさが欲しい

 もっと、ペンギンにももどかしくなって欲しい。

 私は積みあがっている機材の奥に、ペン太を置き去りにしてみた。不安にさせたら、きっと助けを呼ぶ。そのとき言葉を発したら……。


 「むいむいっ! むいむいっ! むーいむいっっっ!」


 私にはそれがわかった。言葉が通じなくても、それは子供が泣いている声だとわかった。

 私はペン太に駆け寄ると、しゃがみ込んで抱きしめてあげた。


 「ごめんね。ほら、お母さんだよ。ちゃんと戻ってきたよ」


 ペン太は私の腕の中で、「むいむい……」と安心したようにつぶやいた。


🐧🐧🐧


 ベットの上で横になりながら、ペンギンとのコミュニケーション方法をずっと考えていた。

 ペン太だけなのは良くないかもしれない。個体差もあるし。でも、そうだとしたら、もっと大規模に実験をしないといけない。2、3匹なら自分でもできる。でも、それ以上は……。

 どうしたら大規模な検証ができる? どうしたら協力してもらえる? どうしたら……。

 こんなとき、アデリアがいてくれたらと愚痴をこぼす。でも、アデリアは自分で解決しようとしている。これを自分自身の問題だと思っている。

 大きなため息をつくと、私はベッドから起き上がった。差し出せるものは自分しかないという結論が出たから。


 ラウンジの一角に集まっていた観測班の男たちの中に、アメフト選手のような体格の良いウィルソン先生の姿が見えた。


 「私と交尾したいなら手伝って欲しいことがあります」


 目を丸くしたウィルソン先生を、私はちょっとかわいいと思った。唖然としたままで、ウィルソン先生が声をあげる。


 「交尾って……」

 「私には女を差し出すぐらいしか、あなたに対価を与えられないの」

 「イチムラ先生。人間はもっと頭で考える社会的生物です。そんなこと言われなくても手伝いますよ」

 「でも……」

 「理由を聞かせてください」

 「ペンギン達の知性化が見られないのです。委員会は焦っています。だから……」

 「人手がいるんですね?」

 「ええ……。でも、それはあなたの恋敵に利する行動です」

 「理詰めだとそうでしょう。でも、私達は同じ志を持った研究者であり、そして同じ人間という生き物です」


 固唾を飲んで私達を見守っていた観測班の男たちが一斉に動いた。スレートを手にし、あちこちに連絡をしだした。

 すぐに300人ほどの協力者が得られた。

 私はマニュアルを急いで作り、即席の講習会を開いて、ペンギン達への教え方を伝えた。

 ひとり5羽以上を受け持つ。試行錯誤していくうちに、保育園形式が良いだろうということに気が付き、ローテーションしながら集団保育へと切り替えた。

 何人かで引率して、グループごとにペンギンの遠足をさせた。そこで見た風景を手ぶりで教えていった。


 みんなペンギンのために苦労してもかまわなかった。ペンギンをかわいがり、そして愛していた。


🐧🐧🐧


 その日は、姿がわからない子供にお母さんと呼ばれる夢を見た。

 研究のため私をかまわなかったお母さん。

 私を置いて行ってしまった自分勝手なお母さん……。

 ベッドから起きたとき、私は苦笑いの固まりになっていた。そんなことは起きないのに。


 「ペンギンのせいかな……」


 ペン太の笑顔が思い浮かんだ。その顔は笑っているのかわからないのに、私はそれを笑っていると感じている。


 天王星の氷原に出ると、ウィルソン先生とふたりで日課となった作業を今日もする。おだやかな天候で助かる。離れた太陽のわずかな温かさを氷の上で感じながら、しゃがみこんでペンギン達に言葉と羽の動かし方を教えていた。

 そのとき、ふらりとアデリアが現れた。私の肩に触れると、アデリアの声が聴こえた。


 「君はもう母親になったのかい?」


 久しぶりに会えたのに、それ?


 「どういう意味?」

 「そいつと寝たの?」

 「寝られなかった、というのが正しいかな」

 「お別れ時なんだろうね」

 「ねえ、アデリア。傷ついたそぶりをしても、私はアデリアをかまってあげられない。いまはこの子たちでせいいっぱいなの。わかるでしょ?」

 「うん、わかるよ。私も考えてる」


 肩からアデリアの手が離れていく。去っていく。

 私は振り返らなかった。ずっと手を動かす。

 心配したウィルソン先生が私に恐る恐る触れた。


 「イチムラ先生……。いいんですか?」

 「いいんです。続けましょう。結局これが彼女のためだから」


 しゃがみこんだまま、私はペン太に目を合わせた。


 「ごめん、怖かった? 私はお母さん失格だね……」


 ペン太が私に触れようと羽を伸ばした。


 「よしよし」


 声が聞こえた。

 ……誰の?

 ウィルソン先生のほうを見る。首を横に振られた。

 ほかに人はいない。


 「ペン太、もう一度言える?」

 「むい?」


 ペン太は不思議そうにしていた。

 でも、確かに聞こえた。

 聞こえたんだ!

 私は歓喜の叫び声をあげた。



 狭い研究室の中で、モニターをペンで差しながらエスプタイン先生が説明を始めた。


 「追試の結果はこの通りです。結論から言えば、意味のある発声は確認できませんでした。1000匹のペンギンで、それぞれ生育時間は異なりますが、信頼に足る発声の確認はひとつもありません。どうしますか?」

 「少し、考えさせてください……」


 私はふらふらと宇宙服を着こみ、エアロックから身を投げるようにして、氷の上に立った。

 私に気が付くと、ペンギン達が寄ってきた。歩くのももどかしく、胴体を滑らせて氷上をロケットのように進んでいたのはペン太だった。

 しゃがみこんだ。膝を抱える。心配したペンギン達に突かれる。それから肩に上り、頭の上に立たれる。

 ああ、もう……。

 ペンギン達は、落ち込む私を見ながら、むいむいと言い合っている。私をのぞき込んでは、むいむいと言う。

 語り合っているのだろうか。私にはわからない。もう、なにも……。


 誰かがペンギン達をかき分け、私の肩に触れた。

 ウィルソン先生の低い声がヘルメットから聞こえた。


 「所長がお呼びです。急いで所長室まで来るようにと……」


🐧🐧🐧


 所長室の広い部屋の真ん中で、ウォルフラム所長がひとりでぽつんと立っていた。私を見ると、重々しく、そして苦々しく口を開いた。


 「たいへん残念な知らせだ。ペンギンの知性化は中止となった。計画は破棄された」


 え……。何を言って……。

 目の前が暗くなっていく私を無視して、所長の声が頭に響く。


 「地球でイルカの知性化が成功したそうだ。君のお母さんがやった研究を発展させたと聞いている。おめでとうと言うべきかな」


 所長は吐き捨てるようにそう言った。

 お母さんは同じ分野の研究者に責め立てられて自殺した。あの人たちが何をいまさら……。

 自殺……。

 あ……。


 「ペンギンは……。ここにいるペンギン達はどうするんですか?」

 「置いていく」


 それはペンギン達の死を意味する。私達から餌の供給がなければ、この過酷な星では生きていけない。


 「ペンギンを……見殺しにするんですか……」

 「即時の帰還命令が出された。遅れれば地球に帰れない。この船に余剰な食料や燃料はない。いまですらギリギリなのだ」


 所長の後ろにある壁面モニターには、ペンギン達が遊んでる姿が見えた。研究者が作った氷の滑り台で楽しそうに遊んでいる。機材によじ登って遠くを眺めている。

 この子たちを私達の都合だけで死なすって言うの……。


 「まだ方法があるはずです」

 「何があるというのだ?」

 「それは……」

 「だから早く成果を出せと言ったんだ!」


 所長が拳を飴色のテーブルに叩きつけた。


 「私だって悔しいのだよ……。私だって……」


 顔をくしゃくしゃにさせている所長を初めて見た。絞り出すような低い声で、私へ伝える。


 「非情な決断をする必要がある。なに、私が悪者になればいい。あのペンギン達の知性化を推進した人間は、この私だからな……」


 突然扉が開いた。振り向いた。


 「アデリア……」


 づかづかと部屋へ入ると、私へウインクをした。それから苦笑いしながら所長へ告げた。


 「ひどいですね、自分だけ悪者になるなんて」

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